起きる事が起きる。
それ以外は決して起きない。
こうなればよかった、こうならなければよかったと思ってはいけない。
それ以外は決して起きなかったのだから。


釈迦の言葉「タタータ」として、スピリチュアル系のブログやサイトでよく引用されている言葉です。

反省にははメリットがあると思いますが、後悔には何のメリットもないですよね。


いくつ選択肢があっても選べるのは一つです。
選んだ時点で他の選択肢である可能性は消滅します。

『今ここ』は一つでパラレルワールドは存在しないので戻れません。


だいたいがその時点では、自分の実力によって選べるものしか選べないわけです。
それは仕方のないことです。

それは起こるべくして、その選択が起こっていると言っても良いでしょう。

だから、後になってジャッジし直しても意味のないことです。
あとは、反省して今後の選択のときの糧にすれば良いだけです。

後悔しても成長はできません。
心が痛むだけでしょう。
自分で自分を傷つけているようなものです。
そしてその間遅れを取るでしょう。

遅れをとった事は反省しましょう。
ただ、ことが起こっただけだから反省など必要ないという態度ではまた苦しむことになります。
仏陀は合理性を伝えたかっただけですから・・

失敗を反省して、次の失敗の確率を減らすことを考えるべきです。

どんなネガティブな経験も反省することによって成長の糧とすることができます。



中にはこう考えている人たちがいます。
すべては起きるべくして起こっている。
すべては神の采配で決まっていたことだ・・・と。
そして反省しないで、とりあえず楽な気持ちを味わっているだけの人たち・・

罪悪感からは開放されてホッとするかもしれないけど、問題は解決していない訳ですから、そのうちに再び浮上して苦しみます。
せっかく残してた仏陀のタタータも台無しです。

やはり、反省というのは大切ではないでしょうか。
そして、采配はどちらかというと人間に任されているのではと思うのですが・・・・

でなかったら、ブログなんて書かないでもう寝ています。
こうして思ったことを何か書いていると、転ばぬ先の杖になるかもしれません。

実存するとは投企することだと実存主義のサルトルは言いました。
若い頃に読んで、勇気づけれたものです。

未来を創像してゆくのが実存としての人間です。

それは神に託された私たちのミッションではないでしょうか?


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