皆さんは七奪という言葉を知っているかな?
七奪とは日本が朝鮮から強奪したと韓国人が主張するものです。
これについて調べてみたので、今後の参考にしてもらえればと思います。
七奪とは
1、韓国国王を奪った
2、主権を奪った
3、土地を奪った
4、国語を奪った
5、姓名を奪った
6、命を奪った
7、資源を奪った
今回は1回目ということで
「1、韓国国王を奪った」をいってみよう
日韓併合時、日本は李王家を皇室の一員としてお迎えし、
併合時の純宗(スンジョン・1874-1926)皇帝は李王となられて日韓の皇室が融合し、日本は李王家を手厚く保護した。
朝鮮総督府『施政三十年史』(国立図書館蔵)には歳出項目の最上段に「李王家歳費」とあり、毎年180万円が計上とされている。
現在の価値で約200億円もの金額になる。当時の宮家の皇族とは格段の差がある金額だ。
さらに李王家の王世子・李 垠(イ・ウン、1897-1970)と当時、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)のお妃候補のひとりとして名前が取り沙汰された 日本の皇族の梨本宮正王の長女・方子(まさこ)女王と結婚する。
余談だが、方子様は学習院中等科在学中に滞在していた大磯の別邸で婚姻の知らせを受けショックを受けたという。
当たり前だ、当時まだ15歳の少女。しかも後の昭和天皇の御妃候補だったんだから。
それでも方子妃は、自分に課せられた日本と朝鮮の架け橋としての責務を強く自覚し、祖国を離れて日本で暮らす夫を支えたんだ。 そのエピソードは2006年菅野美穂主演でドラマ化されている。
また、ご夫妻が当時暮らしておられた館は現在、赤坂プリンスホテル別館として残っているhttp://www.tokyo-kurenaidan.com/prince1.htm
このこと一つをとっても日本の「朝鮮統治」は植民地の王室をことごとく廃止した欧米列強の「植民地支配」とは根本的に違っていることが明らかである。
終戦後、李垠 イ・ウン 殿下は密航してでも朝鮮に戻ろうとしたが王政復古を疑う李 承晩(イ・スンマン)大統領の妨害などもあり帰国できなかった。
韓流歴史ドラマなどで李王朝をさんざん取り上げ、歴史ある大韓帝国を誇らしく謳う一方で全ては日本が奪ったと嘘をついているが、李王朝を復活させず共和制国家を作ったのは他でもない韓国自身だったというわけだ。
写真の人物が誰だか知ってるよね?そう日本初代首相・伊藤博文だ。
そしてその傍らにいる少年こそ李垠 イ・ウン 殿下。
伊藤博文は殿下の教育係りだったんだよ。 なんとも豪華な話だね。
ネットで検索していると、多くの者が「植民地政策の詭弁」と語っているが
どこの世界に200億円もかけて植民地の王家を護るバカがいる?
実にくだらないね。