物語論で読む村上春樹と宮崎駿 ――構造しかない日本 (角川oneテーマ21)/大塚 英志
¥740
Amazon.co.jp

ジョージ・ルーカスの映画の元ネタになっているという

ジョゼフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』

ロシア・フォルマリズムのプロップ『昔話の形態学』をひきながら

村上春樹の小説と宮崎駿の映画はこの2つの物語の構造を踏襲しているという事を

色々な事例を挙げながら論じている。


興味深かったが著者の言うとおり、物語の構造に意識的に当てはめて

ストーリーを作っているのか、ストーリーを作った結果が似ているのかは

私にはちょっと分かりかねた。




子供が親から離れて自立していくという成長物語

そこには親以外の導いてくれる人(導師)の存在や、お守りのようなものが必要で

こちらの世界からあちらの世界へ行って成長して

こちらの世界へ帰還するが

既に成長した子供にとってはまた違う世界になっている。


しかし村上春樹の小説は

自我をもたない「僕」が巻き込まれて色々な試練にあうが(物語を生きさせられるが)

女性は成長するのに「僕」は結局成長しないままであるという構造に

オウム真理教の信者自己啓発セミナーと「僕」との同一性を著者は見ており、

なるほど~と思ったが

  

    オウム真理教に関しては自分の周りで関わっていた人は居なかったけれど

    自己啓発セミナーはありましたねーー

    高校時代に先生に大学へ進学したら気をつけるように先生に言われました。


オペラファンにとって「行動する女」「ボケーっとしている男」というのは

良くある話だから、村上春樹的なるもだけを責めるのも良くわからない。



それと、この本は『1Q84』出版前に書かれたそうだが、

著者はオウム真理教の信者的なものとして

現在(ちょっと前)の小泉純一郎や小林よしのり等に煽られた(ている)人たちを挙げているが

『1Q84』では

学生運動家→ヤマギシ会→オウム真理教

という風に書かれているのでその辺りのことも(このように糾弾するのであれば)

今後決着をつけて欲しいかな?と感じた。

まあ、どっちもどっちなのかもしれないが・・


『1Q84』で村上春樹が

学生運動家→ヤマギシ会→オウム真理教 という書き方をしたのが良く分からなかったが

オウムだと分からないけれど自己啓発セミナーと聞くと少し納得。

結局真面目な人たちという事なのかな?


   「真面目でいい人」って最近増えていると思うし、立派な人も本当に多いと思うのですが、

   「自分はいい事をしている」という認識で他人を指導する人とかはちょっと鬱陶しいな・・


右も左も真面目すぎると原理主義になってしまうのだろうし、

やっぱり<正義と聞いたら気をつけろ>@山本夏彦 かな?


と、否定的な感想になっていますが、面白い本でした。