アパートの隣の部屋に私の娘と同い年の女の子がいます。
どうみても、私の娘より、隣の子の方が大人びて見えます。
理由ははっきりしていて、隣の子には妹がいるからです。
私の娘は一人っ子で、「姉としての自分」を知らないのです。
「妹か弟が欲しい!」と以前、よく言っていましたが、あれは、自分が精神的に成長したいと言う心の叫びだったのでしょう。

同じことは私にも言えていて、私は今まで部下を育てたことがありません。
つまり、「上司としての自分、先輩としての自分」を知らないのです。
だから、同い年のサラリーマンと比べると、自分が精神的にとても幼いことを痛感します。

人間は集団の中で、与えられた役を演じたり、役割を果たしたりして、自分と言うものを確立していきます。
人の心と言うのは、他者との関係の中でしか育たないそうです。
心、すなわち自意識を確立するには、鏡としての他者が必要です。
だから、孤独の状態が長くなると、だんだん自分の意識が薄くなっていきます。
心が少しずつ消えていくような感じがします。
この状態に耐えられなくて、自殺する人もいます。
自殺しなくても、人は生きる気力をなくして死にます。(本当です。)

以前、こんな日記を書きました。

http://ameblo.jp/ballroomdance/entry-11078436328.html


「人間にとって、最も大切なものは、自分の命」だと思っていましたが、これは間違っているようです。
最も大切なものは、「自分と言う意識、つまり心」です。
いくら命があっても、意識をなくして、植物人間になってしまったら、生きている意味はあまりありません。

心をしっかり保つには、社会の中で何らかの役を持つということが必要だと思います。
昔は年を取ったら、若い人に自分の経験から得た知恵を伝えるという大切な役割がありました。
しかし、今はそういう需要はあまりありません。
かといって、高齢になると、仕事を得て、何らかの社会的役割を果たすと言うのも難しいです。

たとえ役割をなくしても、人間でさえあれば、誰にでも与えられている役があります。
それは男であり、女である、という性役割です。
年を取ったら、この性役割を演ずる、というのも悪くないと思います。
「もう、色恋沙汰は卒業だ。」などとは言わずに、恥を捨てて、男や女を演じれば、再び自分の心がよみがえるでしょう。

その点で社交ダンスなどのカップルダンスは趣味として悪くないと思います。
男は男らしく、女は女らしく、性的魅力を前面に出して踊ると、何となく意識がしゃきっとします。