この世に現象したからには物事はすべて何か、目的があるはずである。
それが人間によって造られた物でも、自然界で生まれてくる動植物でも、また自然に起きる季節の変化、や毎日の気象や、時々起きる地震ですら、その発生の意義がある。
何の為に生まれたのか、その意義は何か、そしてその目的とすることは何か。
この三つを完璧に捉えて、その真意を深く考察してこの世を生き貫いていかなければ、人はその目的を見失うことになるのです。
この世の一般的社会通念や価値観なんかでなく、本来の目的とした深い真理に目を向けなければ、迷いと混沌の渦の中にどんどん巻き込まれてしますのです。
毎年3万人以上の自殺者や、精神障害者が多発する社会が、その結末として物語っています。
その原理原則基本は何かを学ぶ事が、精神知識を学ぶ事であり、学校で教えている一般教養知識とは、完全に分別しなければならないのです。
その精神知識としての、初歩の初歩は家庭で行なう「しつけ」から始まるのです。
「しつけ」の基本は、言葉遣い、挨拶、礼儀、身の振り方、身だしなみであり、これは人と接する為の最低限のルールを、家庭で親が教える事なのです。
この「しつけ」も、高度になれば人間の品格を顕す美学にも通じるのです。
「しつけ」ができればその次は、道徳を身につける段階にはいるのです。
道徳の徳目は仁、義、礼、智、信、の五つであり、これは人と人とが関わり合って生きていく為の、重要な心得となります。
仁は、人に対する思いやり、やさしさ、許すこころ、寛容な精神などを言います。
義は、恥を知ることであり、約束を守る信義がその柱であり、その他社会のルールや、慣習などを守ることなのです。
礼は、自らは辞し他人に譲る「辞譲」の精神が基本になっており、それが発展して他人を尊敬したり、神を崇拝する気持ちまで高める事なのです。
智は、善悪をみわける分別であり、それはこの精神知識である道徳が基になります。
人の行いは大まかに、正、邪、善、悪の四つに分かれますが、この四つがどんなものであるかを分別する事が正しい生き方をする為の基本になるのです。
そして最後の信は、信仰の信であり、目に見えない物事を信ずる事なのです。
この信の基本は、家庭で毎日行なう先祖崇拝や掃除そしてお盆、年忌、などの宗教行事から身を以って、目に見えない存在を悟る事なのです。
この精神知識を得る事こそ、人間が生きていく為の原理原則基本となります。
そしてそれから、人間が赴くべき最終目的地を教えるインド哲学バガヴァット・ギーターの世界が待っているのです。
覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に進め
これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。
バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。
私は宗教団体には一切入っておません。
全て独学でギーターを身につけました。
私の主義は人を集めず、金を集めず、去る者は追わず
独立個人、自尊独立を尊重します。
スカイプでバガヴァット・ギーターの無料指導を致します。
我こそはと思う方は、お気軽にコールしてください。
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人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。
バール・クリシュナ・フミオ