村山談話。 | 崖の上の単車乗り

村山談話。

「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。」

大体問題になるのはここらへんだよね?

鬼畜米英の支配からアジア諸国を解放(色々な意見あると思いますが…)し、大東亜共栄圏としての繁栄を目指す。

ハルノートによって戦わざるをえなかった、先人の苦渋の判断から始まった先の大戦であるが、敗戦したからと言って、現代を生きる我々の代表である総理大臣が、どんな理由があろうとも、この責任を一手に担い、我々の先人が残虐であったかのような発言をするのは何事か!

って事で否定したい人も多いと思う。

大東亜戦争後に植民地は無くなった。

これは、日本国民が誇りに思って良い事である。

今も日本を好きでいてくれる国は多くある。

それは、東北地方太平洋沖地震でもよくわかった。

色々な事を利用して、自らの利益を求める様な輩に、僕等の誇りは汚せない。

村山談話を読むと、こうも受け取れる。

「私達の国はその昔、大きな理想の為に戦い敗れた。その理想がどんなに素晴らしいものであったとしても、大切な人を守る為に戦った人や、関係の無い多くの血が流れ、たくさんの人が死んだ。責任者が、その責任を取り、綺麗事を言わないのは当然だ。」

まるで侍の如き覚悟と潔さじゃないか。

あの時点でのアジアのリーダーは、間違いなく日本であったという事を、子孫に伝える為の布石にも思える。

結果として今、この世界に植民地は無い。

こんなにも多くの人が簡単に繋がれる時代だ。

何が正しくて、何が悪いかを誰が判断できるんだ?

日本人にだってクソ野郎はたくさんいる。

誇り高き日の本の国に産まれる、多くの子供達の為に伝えるべきは、愛のみでしか判断してはいけないと思う。