9月2日を越え、ふと思う。 | 崖の上の単車乗り

9月2日を越え、ふと思う。

未曾有の大震災以降、平和ボケ世代という言葉を聞かなくなった気がする。

世界中に不幸を振りまいた、あの悲惨な戦争を経験した世代が、必死になって作り上げてくれた現代の日本社会。

戦争に負けたこの国が、経済という新たな戦いで列強諸国に立ち向かっていく為には、個人を社会の歯車に変え大きな一つの機械になる必要があった。

高度成長期を作ってきた諸先輩がたは、凄惨な状況を体験しているからこそ、自身が大切に思う人を悲しませたく無い、苦しませたく無いという、いわゆる優しさを積み重ね、自身を殺し個を捨てる事で現代の日本社会を築いてきてくれたのだ。

戦争で亡くなった多くの方の気持ちと一緒ではないか。

この状況が健全かそうでないかは置いといたとして、今のこの国はどうなっているのだろう。

一個人が国を想像するのは難しいけれど、戦争を社会に例えたら想像できるかもしれない。

例えば誰もが知っている様な大企業。

その会社を作って来た人達も、育ててきた人達もずっと戦い続けてきた。

戦い続けた上に勝ち取ってきた待遇や仕組み。

戦わずして与えられた者にとってそれは、あって当たり前のモノになってしまい、ただその権利のみを主張するようになっていく。

そういうところで胡坐をかいてる奴等に、何かを産み出す事や相手を思って行動しろと求めても、出来る訳がないだろう。

大企業が縛られている呪縛というのはそういうモノ。

シルクロードの最果てにあったこの国が、どんな理由があったにせよ幾千年も文化を伝えてきてくれた国々を襲い、列強諸国と殺し合い敗れた。

その歴史は、胸に深く刻んでおかなくてはいけない。

敗れたからこそ伝わる事実もある。

人の本質は変わらない。

どこの国の人であろうが変わらない。

変わるのは影響を与えるモノだけだ。

大企業を想像すればわかるだろう。

名前に躍らされる者の愚かさは知っているだろう。

それが困難な道のりであっても、クソだと思うなら自分達で変えていくしかない。

ただ忘れてはいけないのは、どんなに愚かに思えるような事もどんなに堪え難いような不条理も、それは優しさの積み重ねで出来ているのかもしれないという事。

優しさから怠慢が生まれ、人を苦しめる事もあるんだ。