893映画が日本人の役者業界に必要な理由  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

ミッドタウンの限定“大人チョコ”、知ってる?  元actorS☂ネタ: ミッドタウンの限定“大人チョコ”、知らねぇけど 俺がオンナなら遠藤さんにあげるんだけどな。   参加中 
 
 内容 ミッドタウンの限定“大人チョコ”、知ってる? つながり  
 
こんにちは!ブログネタ運営局 ルーシーです音譜
いよいよもうすぐ、バレンタインデーですね恋の矢
ルーシーは、ここ数年本命チョコは渡していないものの、
同僚の男性に贈ったり、“友チョコ”を交換したり、
自分にあげる“ご褒美チョコ”だったり、毎年チョコは買っています。
けど、なんだか最近ワンパターン化しちゃってて……ガーン
と、悩みを友だちに相談したら、
こんなイベントを教えてもらいました。
東京ミッドタウンのバレンタインイベントドキドキ
『La Joie du Chocolat ショコラと恋する媚薬たち』
http://www.tokyo-midtown.com/jp/valentine/index.html
媚薬だってーーラブラブ
「ジャン=ポール・エヴァン」や「フレデリック・カッセル」、
「ノカチョコレート」など、“大人なチョコ”を扱う有名店が勢ぞろいビックリマーク
しかも、オリジナルパッケージの限定チョコも目
promotionのブログ
ううっ、“限定”に弱いルーシー、かなり惹かれますラブラブ!
会場では、食文化・ショコラ研究家の小椋三嘉さんと有名ショコラティエの
トークショーや、デザートワインやシャンパンの試飲も楽しめるみたい。
ちょっとスタイリッシュなチョコレート&イベント、
今年話題の「逆チョコ」選びにもピッタリですよね恋の矢
ルーシーにも、誰かくれないかなーにひひ
みんなはミッドタウンの“大人チョコ”、どれが気になる?はてなマーク
すでにチェック済みって人や、「初の逆チョコ」を探してる人も
あなたの気になる「ミッドタウンの“大人チョコ”」教えて下さい! 
 
■関連リンク(チェックすると記事に貼り付けられます)
check_vox_simple 
東京ミッドタウン オフィシャルサイト
 
クチコミ投稿期間 2009年01月30日~2009年02月13日
 
 
 
 
 
 
 
 
  ポリースというロック・グループのスティングという人 が かつて 
  現実に今、自分が生きていて直面している様々な諸問題のうち 
  社会に対する憤りや嘆き哀しみ、苛立ち…など 
  非現実的な狂気を演じることで そうしたところから解放される… 
  というようなことを どっかのインタヴュー記事で読んだ記憶があるんだけど 
  いわゆる現実逃避ってもんと 
  脳内のモルヒネ(麻薬にちかい分泌物?)とかいうもんを分泌させたりすることが 
  肉体を持って生きている期間に どこまで可能か否か… 
  そういう、人間の創られ方の基本、ゼロの位置を無視して
  「10」や「20」のあたりでデキアガッタ、よくありがちで浅墓な問題ではなく 
  いま現実の世の中に生きていて 
  自分という人間独りだけでは 
  どうにも押し明けられない扉やゲート…それは 
  「あと もうちょっとのところで 今いる場所からステップアップできそうなんだけどなぁ~」 
  というような気持ち、感情、自由意志コントロールの限界、向上心みてぇなもんが 
  その時の肉体の状態を自分で把握できているときに ふと アタマの中によぎる瞬間がある。 
  
  かつては俺も在った。時には毎日のように。
  今も・・・・時々ある。 
  精神的にも その段階から ひとつ上の段階へあがれる自分を確立できる瞬間てもんは
  それを克服するために幾つか必要なことがあるんだけど 
  簡単にいうと それが家族(親兄弟が仲よくできる時間)であったり 
  男なら女を必要として オンナなら男に守られる自分を認めた、きわめて健康的な恋愛や 
  あるいは 
  どんな職場の何の仕事においても そこで生きて働く者同士が互いに 
  意思の疎通に滞りなく スムーズに事が運ぶセンス・バランス・タイミングの連鎖とか 
  そういうことは子供いるヒトであるなら 自分の子供と遊んでるときにも感じることだと想うんだけど 
  今ここに書いてる事実を理屈化した内容は あくまで 
  心身共にバランスの整った人間の営みについてだ。 
  
  今この時代の日本人の世の中には もうそいうことが非常に少なくなって来・・・・・て・・・・ 
  
  
  ったく、煩ぇなぁ、今これ真剣に書いてる途中で 
  石油ファンヒーターの送風ファンガードのお手入れランプがピーピー鳴りやがって 
  まぁず、タイミングわりぃな、くそっ! 
  
    神よっ! 邪魔するでないっ! バーロぉっ! 
  
  
ちょっと待ってろ。今それを洗面所もっていって歯ブラシで洗ってくるからな。 
  
    約5分経過。 
  
  んで、なんだっけか? 
  人間がこの世に生きている上での人間的な充実の実感について…だったよな。 
  
  こんなアホな野郎の日記BLOGでも更新のたびに読んでくれているヒトの仲には 
  なに云ってんのか意味不明なヒトもいるかもしれないけど 
  たとえば NewYorkアクタースタジオのメソードの芝居を学ぶ上では 
  その様々なテキストのどこを捲ってみても 
  肉体的にも精神的にも自分が現実に抱えている諸問題は自分で解決するようにだの 
  魂の容れモノとしての肉体が産まれる以前から五体満足じゃねぇと 
  
    おめぇはわ、はなっから役者に向いてねぇんだよ! 
  
  とかなんとか云わんばかりに 
  過去、偉大なる多くの表現者、演技者、アクターが どのように生きてきたか? 
  ってことには一切ふれずに 
  彼らが何を実践してきたかについて丁寧に詳しい記述はあっても 
  芝居、演技、自己演出、役者という世界に生きる人間にとって 
  とくに生殖機能の役割に結びつく問題として 
  この人類における自分自身が今この瞬間に どんな役割にあるのか? 
  その答えを導き出せる方法や策とか、生きるために必要な知恵は 
  いちかバチかの実践に懸けるしかって判らなかった。今まではな。 
  
  もっとも 今の日本の映像業界が黒沢監督以降は 
  ほとんど一歩も進歩してねぇようなところで 
  単なる生業として職業俳優とか除優業なんて仕事やってる連中には 
  そんなことチンプンカンプンだったり 
  何年もしたあとになって 
  かつて そんときだけ間に合わせに見栄えよく整形したツラの筋肉が弛んだり 
  老化や細胞の衰えに伴って 斬り摂りしたり縫い合わせた部分が
  見るも無残に痘痕やキルティング状態になっちまったり… 
  人間の顔ってのは 
  自然界の田圃を人間の都合よく区画整理するために敷かれるような
  畦の修復作業のようにはいかねぇんだから 
  あとさきのことよく考えねぇで 
  「ただ上へ昇りたい!」 「メジャーに生き残っていたい!」 
  っていうような…、たとえ そんときは誰より真剣勝負であったとしても 
  世の中の役者さんの誰もが メリル・ストリープデ・ニーロさん のようになれるわけじゃねぇし 
  ましてや どんなブ男の勘違いであろうと ジャック・ニコルソン のように 
  ハリウッド・ヒルズの大豪邸に住めるようになるわけじゃない。 
  
  それなりの名声はせるためには 
  努力とか精進なんて言葉で言い訳とりつくろって 
  チャラチャラと亜細亜の演劇クラブに埋もれて消え失せる世界にいる連中とは別に 
  最初っから素質がちがう。どなた様も。 
  そういう宿命、定め、自然界の掟もあるってことを充分に覚悟できたところで 
  
    「女優になりたい!」 だとか 「芝居の道で飯くっていきたい!」
  
  と、そうした夢と希望に胸をふくらませるならまだしも 
  第二次大戦後の日本の、
  人間の本質をクローム鍍金で加工したような世の中で 
  
    「おまえにもやればできる」 だの 「もしかするとワタシも?」 とかなんとか 
  
  世間の教育常識や 愛と平和と自由を騙る男女平等思想の植え漬けによって、
  勘違いしたオネェちゃん、オバサン、オッサン連中が 
  どこぞの撮影現場にも掃いて捨てるほどいやがる。 
  
    そんな連中が 人類の意識を向上させる作品を創り残し 
    次の世に伝えつづけられるわけがない!
 
  
  素晴らしい作品の評価? ナニナニ賞受賞? 
  それはそれでいいと想うけど 
  そういうことがスゲェことじゃねぇんだよ。 
  この地球上に生かされる人間に課された役割ってもんわな。 
  
  
  偏屈にも かつて俺は そういう目線になってしまって以来、
  日本の映像業界や音楽業界の貧しさを見限ってしまった。 
  「こんな狭いとこで生きてても生姜も売れねぇよな…」 
  
  そういう意味で俺は 北野監督が常識はずれてやろうとしてることは理解できても 
  北野監督の映画が面白いと想ったことは一度もない。 
  
  創る側や演じる側が愉しんでどうする!? 
  映画ってもんは、学芸発表会へ出展する放課後のクラブ活動じゃねぇんだよ。 
  (・・・・って、そんなデケェくち叩いといて 
   実は幾つかの作品に仕出しで遣っていただいた経験ありますが。ごめんなさい。)
 
  
  芸術は宝じゃない。爆発でもない。生業の種でもない。 
  そんな時代は もう終わったんだ。 
  
  観る側、聴く側、今日を生きる人間にとって 
  自分が生きてる実感をしっかりと確認できるほどの 
  生命の育みや その魂の成長の役に立つモノじゃなきゃならない。
  
  一連のバラエティ番組とかいう箱の中で ネタミやヤッカミも押し殺して騒いでるような 
  垂んとゲイノウ陣の日常のウサバラシみてぇなもん、はたで見てても 訊き齧ってやっても 
  つくづく、さいきんのテレビだの雑誌だの 
  あんなところで人間として生きる意識を堕落させることに忙しくなってるヒマが 
  今の世の中の何処にあんの? てな感じなんだよな。 
  
  
  それでも 日本の任侠モノを創る世界には 今まだ 
  なにか薬物に頼ることなどせずに 
  自身の肉体の管理と限界も弁えた上で 
  日常の自分から解放させる瞬間と 
  日常の自分へ戻るスイッチの切り替えが可能なら 
  それを今日を生きるエネルギーに還て 
  この世で生きる自分自身の役割や意味を
  自分に厳しく追及している人たちもいる。 
  
  そういう意味では 日本人の役者さんてのは恵まれてる…と想う。 
  マフィアだの893だのの芝居台本が用意される専門のチームも幾つか生き残ってる世界。
  たとえ製作予算の都合とかで 
  過密スケージュールで慌しく 春夏秋冬の流れがあっという間であっても 
  そういった
  
    「観てるヒト、少ねんじゃね?」
  
  というようなドラマや映画であろうと 失礼。) 
  そういう現場がないと 
  役者として成長して生きるスピリットが雲ったり翳ったり 
  「なんでやってるの?」 「向いてないのか?」
  ってところで炎が消え去ってしまう。 
  
      「あの女優さんの卵、笑顔は素敵なんだけどねぇ 
       泣いてる顔も笑ってるように見えちゃうんだよ…」 
      「その顔の癖、どうにかなんないの? 警察官に見えないんだけど。」 
      「いやぁ~、おれなんて まだまだ素人ですよ、ハハハ。」 
      「おいっ! 衣装っ! ちょっとコレ直してくれっ!
       バッカヤロぉーっ! テメェの目線で見るんだよっ!」 
      「・・・・ヤク者とヤクザは一字ちがいだからな。」 
      「ねぇっ! 今日は何時に終わるのっ! それから あのヒト、
       ワタシの眼線から退けて!」
 
  
    そんな微温湯の中で満足してんじゃねぇっ! 
 
 
 
 
 
 
 

  てなわけで 
  俳優の やまとたくや さんのBLOGに 遠憲情報 があった  http://ameblo.jp/yamatotakuya/entry-10196955232.html
  
  
  
  
    稲穂の無頼  
    稲穂の無頼
     稲―――。実り、醗酵し、酒となる。人を酔わせる侠となれ!!
     スタッフ 監督 / 金澤克次 脚本 / 鈴木修 
     キャスト 遠藤憲一、伊吹剛、加納竜、四方堂亘、松田優、
       倉見誠、永倉大輔、中倉健太郎、曽根悠多、大門正明、村野武範、小野寺昭

 
       詳細はこちら   引用先: GPミュージアムソフト 1月リリース作品  
  
  
  
  
    稲穂の無頼 完結編~死闘の果て~  
    稲穂の無頼 完結編~死闘の果て~
     死闘の果てに生まれた真の親子愛。
     スタッフ 監督 / 金澤克次 脚本 / 鈴木修 
     キャスト 遠藤憲一、伊吹剛、加納竜、四方堂亘、松田優
       倉見誠、永倉大輔、中倉健太郎、岡崎二朗、村野武範、小野寺昭

 
       詳細はこちら  ☜ 引用先: GPミュージアムソフト 2月リリース作品  
  
  
  
  
    俺は 任侠モノを応援します! 
    
       いつまでも若く、Fighting!