#15   Love me long ,Love me little ?  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
sub title:やりっぱなし なげやり なりあがり ひらきなおり できあがり 解ったフリ …やめたほうがいいよな。 
    
    
見た目には、どんなに頑丈そうに見えるオバサンであったとしても 
穴に挿される攻撃本能に対しては受身でしかない人間の女性ほど
世の中に壊れやすいものはない。
人の世の男なら常に、その心と身体に対しても、そういうこころがけが必要…だよな。
だから、ひとつ屋根の下に生きる旦那と女房の関係にしても 
ただ単に「やりゃぁいい」とか 
「できるなら誰とでもトコロ構わず…!」などということではない
そういう程度の低さも、人類の子孫繁栄。義務の遂行。男女の神聖な交わり。
当り前の性行為、SEX、夫婦生活…という、
この地球上に生きて生かされる人類に与えられた人間の役割を破壊している。
とくに今の時代、教育にしても宗教にしても社会常識にしても 
ここまで人間の性が破壊されてしまってる世の中では
どんな女性の場合も、やる前の子宮の位置の整えや、
そういうことの準備体勢も大切なんだけど、
やったあと。子宮が動いたあとの処置も重要になってくる。
でも、そんなことは、本来なら、互いに肉体が健全なら意識することはない。
意識することはないんだけど、最早、世の中は今まで通りではないので 
現代人の男も女も、当り前の人間として生きて、当り前の人間として死ぬことを望むなら 
自分自身の肉体の、どこがどのように、当り前ではなくなっているのか? 
本来の人間の創られ方の事実から外れてしまっているのか? 
それを自覚する必要がある。
…それでも 
最近はもう、そんなことすら自覚できない高齢者や産まれながらに
自分の男女の区別が意識的に不明瞭なヒトもいてしまう ので 
ここまで書いてきた内容を理解するとか受け入れる以前に 
まったく通じない…話しようもないのではなく、己自身に気づくまでには
今から膨大な時間を費やして、考えてる間もなく●●●しまう人もいるかもしれない。
それもそれで自然界の整理整頓なのか? 
ちょっと納得できねぇ部分もあるかもしれないけど 
そういう人達にはまた、それなりの役割もある 。俺が決めるわけではない。
時代が時代でも、人間は中途半端には終われないはずだ。
   
そういう人たちには、こっからの内容は、あまり通じない・かもしれないけど 
この世に人間が人間として生きていて、まったく関係ないことではない。
なぜなら、本来、この自然界における人間の世界には、男と女しかいないはずなので。
んで、
明日からの新たなる夫婦生活でも新婚初夜でも、成人式の夜であろうとも 
“やったあと”、“子宮が動いた…動かされたあと”のケアについて。
やったあとスグに子宮の位置を整える方法のひとつ。
現代人の男が女にしてあげる、しなければならない、する必要がある、最小限のこと。
   
やったあとスグに、そのまま脚を伸ばさず
両脚の膝を立てて、足は軽く閉じて、横にいる男が尿道の上、クリトリスを触って 
女性本人は肛門を閉めるように、呼吸を吐く。
場所は布団の上だろうとベッドだろうと、どこだっていい。
とにかく、自分の妻なら妻。奥さんなら奥さん。大切な彼女なら大切な彼女の、
クリトリスに軽く利き腕の中指の先を当てて 
しばらくの間は、その男が自分の腕が疲れようと痺れようと我慢しろ。
腕や手の指も、絶対に下腹部に押しつけないように
そのデリケートな部分に軽くそえて、ジッと静止させたまま、祈る。
子宮が、その女性の正常な位置に戻るように。
触る場所がハッキリ判らないのなら、
「どこですか?」
素直に相手に訊けばいい。
判ったフリをして、スレチガイを繰り返すよりはマシだろ。
で、その女性は、全身リラックスして、身体の肛門筋肉と膣の筋肉以外には
力を入れないように、無理なく、自分の口でゆっくりと息を吐く。
吐いてから、鼻で吸う。
この呼吸は、なるべく、下腹部の筋肉も動くような感じで 
深い呼吸がいいんだけど、無理はしないでね。
でもって、そういう格好で何度か吐いたり吸ったりしてるうちには 
それまでどんなに極端に下垂して恥骨の中に固定されていたような子宮の位置も
普段よりは動きやすく、元の位置に戻りやすくなる。
とくに、やったあとは、子宮も子宮を支える筋肉も
いつもよりはいろいろと動いたあとなので
それは何もしていないときよりも、相手もいるので整えやすい。
嘘だと想うなら、やってみな。
わりぃけど、そういうふうに創られてんの。人間てもんわ。
でだなぁ、これは自分独りでやるのと、相手があって感じてやるのとでは、
“元通りになろうとする子宮の動き”が大きくちがってくる。
「卵巣だけあって、子宮はない!」という女性であっても、
人間、子宮を採っても女は辞められない。だから、
生理が閉経していようといまいと、年齢には関係なく 
こうすることで、その女性は、自分の子宮が動いて、お腹の中に
まっすぐに整おうとする感覚が判るはずだ。
場合によっては音がして動くほどの感覚もある。
して、普段から下垂している子宮が必要に応じて動いて 
元の位置へ戻ろうとすると、それまで圧迫されていた場所… 
左右の傾きはあっても、後屈なら肛門筋肉が解放され 
前屈なら、尿道や膀胱の圧迫がなくなるので 
場合によっては、トイレへ行きたくなることもある。
「おい、男! おまえが先イッテどうする!」
というトンチンカンなことも、拡い世の中にはあるかもしれないけど (俺じゃない。)
たとえ漏れそうでも、自分の腹筋が弱いことに自覚ある女性はとくに 
いきなりスクッと立ちあがってはいけない。
どうしても我慢できないなら、また寝る場所へ戻ってくるまでは 
なるべく、ヘソの下に力を入れておいて、
それ以上、引力に従って内臓が下垂しないように心がける。
トイレへ行くのを我慢しなくてもいいんだけど、なるべくなら 
そのまま横になっていて、床に対して45度に両膝を立てたまま、
しばらくは、足を動かさずに安静にしているようにする。
トイレへ行ってる間に旦那が寝てしまったなら、
もう叩き起こす必要もないけど 
「ありがとう」という気持ちで、自分も眠る前に、もう一度、
自分でもやってみる。
クリトリスを軽く触りながら、ゆっくりと息を吐く。
そのときに自分の子宮が動く感じが判らなくても、とにかく 
今この世に、肉体を持って人間の形をして女として生きていることに
感謝するつもりでやってみる。
明日の朝…翌朝、寝て起きてからの体調も、心の軽やかさも 
それまでとは全然ちがうはずだ。
旦那もビックリするほど、顔つきまで変わってくる。
   
このように、最近多くの主婦のみなさんとか、下腹部が膨れていたり
本来の人間としての体型を崩しているために呼吸も浅く、
内臓が下垂してしまい、なおなお女性としての体型も崩している現代人には、
“やったあとが大事”。
それでも、そういうことは本来、そんなふうに意識することなく
お腹ぜんたいの筋肉、腹筋や、子宮を支える膣の筋肉も、子宮を吊る四本の靭帯も、
常日頃から ある程度しっかりしている女性というのは、
どんなに激しく、なにをどうして、どうしたとしても(?)、自然に無意識のうちに、
自分の子宮の位置を自分で整えることが可能なんだけど 本来はな。) 
現代女性は、若ければ若いほど、それができないほど、お腹の筋肉にも力がないし 
年間を通して呼吸も浅く、全身の血液循環がおかしくなってる人が多い。
だから、“やったあとが大事”だ。
やりっぱなしでは、なんの進歩も発展もないし、
冷めたモノは冷めたまま、スレチガイは擦れ違いのまま…
そんなことを何年も繰り返さないうちに、性の不一致で離婚してる男女は大勢いる。
要するに、自然界における人間の営みの衣・食・住の中では 
食べる物や着る物、住む場所に限らず、自分の肉体にも心にも 
それをスムーズに循環させるための臓器の位置や管理、役割分担にも
整理整頓が必要になる。
世の中には、メシを喰っても喰いっぱなしの人もいるかもしれないけど 
普通は、食べたあとは、次にまた気持ちよくつかえるように
食器を洗って、料理を食べた人も作った人も、自分たちの手で拭くなりなんなり 
きれいにしてから、それらをしまう場所も食器棚も決めた位置まである。
世間一般に高等な教育を受けた人ほど神経質にも丁寧に 
そういうことをキチンとやっている人もいるのに 
いざ、自分自身の不健全な肉体に関しては、何かあってから他力本願にも 
医者や医学や現代医療の世話になって、
自分が人間として生きている時間を大きく無駄にしてしまっている人もいる。
人間の肉体にある臓器の位置も、たとえそれが表側からは見えなくても 
どれひとつ、いつでも気持ちよく使えるように心がけたほうがいい。
肋骨の中の心臓や肺、肝臓は、それほど位置がズレルことはない。
卵巣もほぼ決められた位置があって、身体の中でヘンな場所へ移動することはない。
ところが、腹筋という脾臓【ひぞう】 。この、
お腹ぜんたいの筋肉の中にある大腸・小腸・膀胱・胆のう・胃という臓物や 
女性の子宮だけは、便利な棚の上に置いてあるわけではないし 
ハンガーにかけて吊って置いてあるわけでもない。それらはすべてが 
おなか全体の筋肉によって支えられている。
それを支えておく力が弱くなってしまっているために 
やったあとも、やりっぱなしで、下垂した子宮の位置も更に
定位置から外れた場所に片寄ってしまうと、月に一度の生理も大変になるし 
月経不順も生きている間には様々な症状を巻き起こす結果にもつながってしまう。
そして、“やりっぱなしの夫婦生活”が今も日本全国で家庭崩壊の第一歩になってる。
    
たとえば俺は、やったあと必ず、奥さんのアソコに指を触れて、
本人に無理のない呼吸をさせておく。
本人が安心するまで、ちょっと腕が疲れて、そのうち、
俺の方が眠ってしまう場合もあるけど、
それでもそういう後始末を何もしないよりは
その子宮を動かした女性の翌朝の体調は ぜんぜんちがう。
一人一人が、ぜんぶ同じように子宮が下垂しているわけではないし、
自分の内臓の位置、下垂してる状態なんて、自覚のない人のほうが多い。
自然界と人間の関係も、そこでヒト独りが喰うにも飲むにも寝るにも 
着るにも住む場所も、
戦前戦後の今までの常識で生きてきた人間と我々の世代では
あきらかに、食べることも学んで経験してきたこともちがう。
昔のヒトが産んだ子供と、最近のヒトが産んだ子供も、ぜんぜんちがう。
基本的には、ヒトの形をしているので、見た目には同じにみえても
育つ場所がまったくちがってきてしまった。
それこそ、正常に妊娠をして正常なお産をしてる人なんて
今はもう、一人もいないかも知れない。
これほどまでに、かつてなく、教育によって破壊された人類の母体は 
一旦すべてが自滅に近く清算…整理整頓されないかぎりは最早、
元には戻らないという処まできている。ここまで来るともう、
文部科学省や地域社会がどうとか、学校の先生や政治家がウンヌンだのと、
誰が悪いわけでもなく、最終的には自分の問題。自分次第だよな。
かといって、これだけでは、
結婚してない人も、彼氏がいない人も 
生理になったばかりの小学生にしても 
自分の身体のことや家族のことが心配で
何かの検索で ここへ辿りついた小中高生以外の女性も、主婦も、お婆さんも、
これを読んだ誰かが、自分で自分を救うことにも限界がある。 
    
   matrix_mental  
    初版『しあわせをつくる子宮』152ページより引用。 
    
これを自分独りでやっても、意味はなくはないけど 
まにあわない…かもしれない。
残酷なことを云って申し訳ないけど 
人間が人間として生きることを獲り戻すためには
ちょっと遅かったかもしれない。
もう誰かが何かを頑張っても、しばらくは無理。
要するに、独りで生きる時間が長すぎたんだよ。 
無理じゃん。独りだけで生きるなんてことは。誰にも。
だから相手が必要だ。 
親兄弟や友人知人ではなく、
男には女が。女には男が。自分の心で決めた特定の相手が必要になる。
 
どこにいるのか? 
それは俺には解らない。
自分で見つけてくれ。
 
 
ああ、「まにあわない…かもしれない。」というのは、
彼氏が見つかるとか、彼女ができるとか、
今後誰かが結婚できるか・できないかの問題じゃねぇよ。
このまま人類が消えてなくなるかもしれない…という、
その段階に差し掛かってるってことだ。
まだそれは、ほとんど誰にも視えないかもしれない。
明日かもしれないし、何十年か…何百年後かもしれない。
また、「そのほうがいい」と想ってしまう人もいるかもしれない。
  
でもね。
たとえ今後、そういうことがハッキリと視えてしまうような日が来ても 
絶対に諦めないでね。
自分が幸せになる自分だけの方法ってもんは、必ず見つけられるはずだ。
「そんなもんは、どこにもない!」 
俺も以前は、そう想って生きてた。
でもちがった。
要するに、自分だけが生きて世の中が終っちまうような、その日暮しで 
独りで生きてるつもりの時間が長すぎたんだ。
…つっても、40年しか生きてねぇけど。
わずか2年。
佐渡のド田舎で酒づくりに携わりながら、インターネットを覗いてみると
あるじゃねぇかよ。
自分自身に素直に生きようとする人々の懸命な姿が。
こりゃぁ、ぶったまげたぜ。
世間様を甘くみてた。
なかにはねぇ、こんな歌まであったよ。 
    
    君と風と洗濯物  http://home.catv.ne.jp/hh/fighting/GALLERY2_2.html
    
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real player が展開します。なお、楽曲の著作権は伊丹哲也さん にあります。
    
そして、ほんのわずかでも、今まだこの日本人の仲には、
テレビドラマより先に進んでる人たちの頭もある。
以前は、テレビや映画の内容のほうが世の中より先行してるときもあった。
今は、犯罪も事故も、誰かの勝敗や葛藤、悩み苦しみが、
どんなに複雑に程度が酷くなっても 
テレビ・新聞・雑誌をはじめとするメディアに流されず  
自分を見失わないようにしようとする人々が現実にいる。
それは最期の、人間の正しい姿だと思う。
食べる物も、飲むモノも、着るモノも、住む場所も、
自分が生きる場所で、何が今の自分自身に必要なのか? 
少なくとも、俺がいつも読んでいるページやサイトには 
そういうことが驚くほど たくさん書いてあるし、
ちまた世間の店で安っぽく売り出されてもいない歌や演奏まである。
そして、選択した自由に限界が視えてしまっている事実を訴える声や言葉もある。
「んじゃぁ、その限界を超えられるようにもしてやろうじゃねぇかよ!」
ってのが俺だ。
でもって、ここまでの内容を長々と書いてきたよ。
みなさん、読んでくれてありがとう! 
    
    
…ああ、それでも、これではまだ〆られないね。
なんど読み返してもいい。
書く方としてもシツコイほど、理屈を並べる。
「こんなんじゃ誰にも通じないだろ」
そういう想いで何度も何度も書き直す。
今よりも大勢の人間に通じるまでは、やめない。
誰かの何かの役に立つかどうか? 
そんなことは知らない。判らない。
「これでいい」なんてことはない。
「今のままで終わりたくない」
それだけの思い。
俺は伝えつづけなければならない。
そのうちの幾つか、どこかに、なにかひとつでも 
自分自身で利用できそうなモノがあるなら 
とことん利用してくれ。
   
   
    http://ameblo.jp/badlife/entry-10039681179.html
   
   
   
   
 
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