めずらしい見世物はスグあきて、自分だけが珍しくなってく …いつまで、つづくやら。  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
   
妻は裁縫や料理よりも菓子づくりを得意とする。
ビスコッティやワッフル、クレープやクッキー…。
家族一人一人の誕生日にはケーキも焼き、クリスマスには毎年、
どこかの本の写真に載ってるのと同じ形で出てくる。
   
dec2005cake
   
それなりに無理のない材料費をやりくりしながら、
自分の中で、いろいろとコダワリがあるらしい。
そんな中で、もっとも彼女が得意とするのが
スコーンという名前の菓子。
単なる洋菓子ではなく、どこの国が発祥だったか? 
パンとクッキーのアイノコのようなもんだ。
ときどき、朝に持たせてくれる弁当を忘れたり 
寝坊してつくる時間が間に合わなかったときとか 
午前中のうちに蔵元へ届けてくれるのと一緒に
それを20個ほど焼いて、差し入れしてくれることもある。
「いつも主人がお世話になっています」
ということもあって、酒づくりの職人の休憩時間に、それをみんなで喰う。
美味いらしい。俺も、旨いと思う。
   
そして仕事にとりかかる数時間の間に
過去の色々なことが頭をよぎり 
「…これでいいじゃねぇか。これでもいいさ…。」
と、そう思ってみたり 
帰宅途中、クルマを運転していても 
「たぶん。これでいいのかも知れない…」
と、自分の未来を見つめようとする。
   
そういう日常の中で、なぜか(…理由はあるんだけど…)、昨日(12/10)の朝。
午前中の仕事中に 
『眠れない夜』という歌を口ずさみながら 
蒸し米を釜から掘り出す仕事をしていた。
すると、18時間後。
さっき、哲也さんのサイトを覗いてみて 
なにがどうしたというのか? 
12月10日のLIVE! のお祝いに贈らせてもらった酒を飲みながら 
泉谷しげる兄貴のその歌を歌っているではないか! 
「偶然なんでしょ。」
そう、偶然だ。単なる偶然。
   
    伊丹哲也 OFFICIAL WEB SITE  
    http://home.p02.itscom.net/fighting/T.ITAMI%20OFFICIAL.html
    おれのたわ言コーナー 2006.12.10更新分にて。
   
   
昨年9月24日 に、アッシュさん のサイト
 http://blog.livedoor.jp/assimilate/
で、伊丹哲也 の名前、四文字を発見して以来、
自分で見失っていたモノの半分以上のモノを獲り戻すことができた。
それ以前は、毎日が、The Rolling Stones で、近いようで遠い存在。
子供には、そればっかり聴かせるわけにもいかないので
泉谷さんとか甲斐バンドの歌をカセットへ録音して
妻の母親が所有するオンボロの三菱軽自動車の純正クラリオンで流していた。
『寒い国から来た手紙』という曲がある。
曲調はナッシュビル風の心あたたまるようなカントリー系で
カナダとかアルプスとか…そういう山々の風景を思い起こさせる感じ? 
歌詞は、田舎から出てきた若者が都会での夢を捨てきれずに
親が送ってきた手紙に応えてるような内容…だよな。
♪まぼろしよ早く消えてくれよ。
 かわいた笑顔は僕には似合わない。

と歌われる。
中島みゆき お姉さんの歌に『ホームにて』という曲がある。
また、松山千春さんの歌で『ふるさと』という曲がある。
俺もかつては何度も何度も聴き返して、
その3つの曲にある同じような人々の境遇を理解しようとした。
それでも俺には故郷と呼べるような故郷はないので
それらの歌の本当の意味は、まだ…きっとこれからも理解できないかも知れない。
ただ、『街が泣いてた』という曲だけは別で、
今はもう1980年にヒットした曲として色褪せた…ように…
(その歌に限らず)歌っていたご本人も、
時代は変るよ 』という最近の新曲の中で そのように歌っているけど
初めて聴く人にとっては新鮮な歌だと思う…想います。
あの歌にはすべての日本人が心に持つ何かが凝縮されている。
なにがちがうのか? 
(別に他の方の歌と比較するわけではありません。
 他は他。こっちはこっちです。)

おそらく、…これはまだ気づいているファンも少ないと思うけど 
伊丹哲也というプロのシンガーソングライター がつくる歌は、
すべてにおいて、“出発”なんだと思う。
回帰や回顧や想い出、追憶…ばかりではなく、
出発点、スタート、原点…あるいは、そういうことの確認。常に。
世の中の、多くのヒット曲というものには
そういう点で両方が備わっていて、現状の自分と照らし合わせることや 
自分の今を確認できる確かさ…実感のようなものにつながると思うんだけど 
哲也さんの歌は常に、出発や出航の、あの時の緊迫感や不安とか、夢や希望が
心に突き刺さってくる感じが強い。…強すぎる?)
そういう理屈ぬきで、ただ好きだから聴いている。
好きなのでLIVE! を楽しみにして、LIVE! へゆく。
それが普通なのかも知れないけど、いい意味でも悪い意味でもなく 
「よしっ!」という決断で前へ進むエネルギーは、ない人にはない。
   
なにを云いたいのかというと、世間の流行歌のうち、
企業やテレビや雑誌、ラジオなどの媒体、メディアが
故意に売り込むようなモノとは別に
“シングル・ヒット”というモノが、どうして音楽業界の枠を飛び越えて行ったような
幾つかのヒットソング、ヒット・メロディがあったのか? ちゅうことだ。
たとえば、甲斐バンドの曲で『HERO』というのがある。
メロディはともかく、歌詞はまるで、The Rolling Stones の『HAPPY』そのものだ。
べつにパクったわけではないんだろうけど、
あの歌を作詞作曲された方もおそらく、キース・リチャーズ のファンだったのかも知れない。
それが発売された当初のシングル・レコードのB面に
『からくり』という曲があった。
 ♪見えないモノがある日 急に、視えてくる瞬間【とき】がある。
  視えた気になっては手酷い痛手 受けることになる。
以下略
そんな歌いだしで始まるナンバーで、日本歌謡には珍しく、
若者が自分の存在理由を確かめるような歌詞の内容と
ヴォーカルの力強さ、曲の持つリズムは、最近のヒップホップにもつながっているほど
日本人が作って演奏する内容とは想えない歌だった。
そういうパワーを感じるわけ。
甲斐よしひろ氏は、あの感じを持続して、『アウトロー / 漂流者』以降も頑張るべきだった。
『安奈』という素晴らしいクリスマス・ソングの続編に
『街灯』という曲をつくってそれもそれでいい歌なんだけど 
かつてヒットを放った夢に酔いしれるのではなく…
再び、あの頃のスタートにかけたエネルギーを蘇らせてほしい。できることなら。
ばんばひろふみ氏は、『いちご白書をもう一度』のヒット10年後に
『SACHIKO』を歌い、とあるライヴ・ステージで
「また10年してから、もう一度ヒットが出るかも知れない」と言いつつも、普通の役者になってしまった。
どこかでまだ歌っているかも知れないけど。
   
昨日、蔵元の仕事の昼休みに休憩室で、いつもNHKのテレビが時間確認のために流されてるんだけど
日曜日の昼の『のど自慢』がやっていて、秋田県からの生中継だった。
あの番組はラジオも同時放送で、しかも全国ネットだ。
そこへ初出場というゲストに、クジラさん…じゃなくって、イルカの母ちゃんが出てた。
「なにを今さら…」という感じだったけど、司会者の
「昭和五十ん年に大ヒットした曲です!」ということで、お約束どおりに
『なごり雪』を歌ってくれた。
その姿は21世紀初頭の現代でも、あの時のまま、あの時の声で、あの時の衣装と顔と
あの時のギターの持ち方で歌ってたよ。
俺は、とくには感動しなかったけど、会場にいて、その歌を聴いている“ふるさと”の人達は
みんなその歌を真剣に聴いて、
なにか自分が昭和の時代に置き忘れたモノを想い描くような顔をしてた。
   
やってくれますNHK! 歌ってくれても、時代は変るよ。
あのね、止まってはいられないんですよ。人間は。
前へ進んでくれ…さい。
出発のエネルギーが弱すぎるんべよ。
そうだんべ。そうでねぇかいな? 
   
   
ああ、またもや、バンソウコウ男は、雪とも雨とも云えないミゾレ風味で突っ走ってしまった。
名残りミゾレ? 
誰も覚えがない? 
そんなもんだよ。
雪の中にいるより、てぇへんだ、てぇへんだ。
って、もう朝の4時になるよ。
寝てくれ~っ、俺の身体! 
    
    
 ♪ めずらしい歌番組は、ス~グあぁきて、
    自分だけがぁ、珍しくなってくぅっ、
     ねぇ~むれない、よぉるがぁ、いつまで つづくやらぁ。 
      ああ、手紙も書いた。ブログ(日記)もつけた。
       だけど宛名は、すべて俺の明日ぁ、ねむれぇ~なぁい、夜。

   
   
   
   
   次回のLIVE! 2月? 
   また酒づくりの最中じゃん!
   …精神的な、リスク増す!
   なんとかなるかな。