ありがたい“朝ご飯”について。  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
ある日、人力車に乗ったベルツさんが、
その、タッタッ、タッタと、何キロも走りながら車を引く日本人の、
その足腰の強さに驚いて、
「この人は普段、どんな食生活で、どんな暮らしを営んでいるのだろう?」
と疑問を抱いた。
すると、ちょうど昼時になった頃、
人力車の男は道の脇に車を寄せて、
乗っているベルツさんに、こう云った。
「ちょっと、飯を食べさせてください」
「どうぞ、どうぞ、私は急ぎませんよ」
ということで、しばしの休憩。
で、ベルツさんは、人力車の後ろ側の、
その陰に控えて食事をしている男を
そっと覗いて見た。
人力車の男は自分の腰に巻いていた風呂敷を外して、そこから、
朝 仕事へ出かける前に奥さんが持たせてくれた
笹の葉に包まれた“握り飯”を二つと、
一本の“メザシ”を食べていたそうだ。
そしてしばらくするとまた、
タッタッ、タッタと、
只管に人力車を引く姿。
ベルツさんは思った。
「たったそれだけの質素な食事をしているだけで、
これほどまで健康な体で働いている日本人がいた。
その日本人が主食としている“米”という物は素晴らしい」

   
というような内容で、
それは実際の文献を俺も見たことはないけど、
こんな内容の日記の一部が、
どっかの大学の資料室ではなく、
とある民家に残されて宝物にされているらしい。
   
で、それに付け加えて“カツオ爺さん ”は云ってた。
 
  
「朝、一膳、あったかいゴハンを一口たべることによって、
その時に胃に入ったゴハンという物は、
人間の体に物凄い血液の循環を促すことになる。
それは、どんな漢方の薬よりも効き目のある…なんて云ったら、
それこそ、それ以上の妙薬はないというほど、
自然界に生きる人間の体、その健康に左右するもんなんですよ。
人が朝 目が覚めてから一日 動いて働くためには
体にとって何より必要なエネルギーになる…。
朝たべるゴハンという物はそういうもんなん。
かといって私は、
朝、パンを食べたい人に向って、
『ゴハンを食べれ!』とは決して云わない。
パンが好きな人はパンを食べればいいし、
ゴハンが好きならゴハンを食べていればいい。
世の中には、向き・不向きというものがあって、
いま寝ている人に向って、
『おまえ、起きて働けよ!』とは云えないし、
具合が悪い人には優しく、
『そこでゆっくり休んでてね』と云えばいいし、
反対に、どこも悪くないような人には、
堂々と自分の云いたいことを云えばいい。
それを人は、自分の勝手な想像で、
『この人には何か言うと怒られるんじゃないか』とか、
遠慮ばかりしてるから物事も うまく行かなくなるんでしょ。
一緒ですよ、人間の体も。
いま自分が、目の前に何か食べたい物があって、
コレが食べたいのに遠慮して、
『ください』とは言えない人も、
素直にそう言えれば心も体も楽になるのに、顔も態度も、
『いらねぇーよ』と、こうなってしまえば、
苦しいじゃない。
だからたとえ食べたあとも決して素直に
『ごちそうさま』とも言えないし、
『おいしかったよ』とも言えない。
だから、健康にイイ とか、体にイイ とされて、
そう言われている物であっても、
食べる以前から、そういう心の容器である肉体にも健康はないじゃない。
そんな人ばっかりだよ、今の世の中は…」

   
http://ameblo.jp/badlife/entry-10004456818.html  September 21, 2005 より。
   
   
   
   
   なにごとも、感謝ってことが大事だよな。 
   つくづく、そう思うよ。 俺はな。