現実の世界に神が存在することを物理的に証明する方法…など。 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
はようっス。
そんじょそこいらのモウロク爺さん婆さんよりも大東亜戦争に詳しい南です。
   
   
あのぉ~っ、 
“神様”ってのは、
どこまでも素直に正直に生きようとする人の味方になってくれる…と、
最近の俺は そう思うようになってきたんですよ。
んで、その“神様”ってのは、その辺の宗教の中には
もういない。どこにも。
街に宣伝車両を回して、1980年代には
「神は必ず降りてこられます」と叫んで、
世紀末から21世紀にかけては
「神は既にこの地上に降りて来ておられます」
とかなんとか言ってた覚えがある。
渋谷のハチ公前とかでな。
あれは、嘘。
勝手気ままな布教活動に過ぎない。
俺の云ってる神様は、その神様じゃない。
自然界の…創造主というか、
宇宙の果ての方までも詳しく知り尽くしている、
すべての構成を許可してる存在。
俺は、それを「神」と呼んで、そう思ってる。
自由自在だ。何でも思うがまま…のはず…と伺っている。(
誰に
んで、その下に仕える仲間はピラミッド状に数限りなく、いっぱいいたとしても、
ほんとうの神は一つだけだ。
その存在の分身に近い状態で人間という生物だけの魂の中に、
それぞれに程度を決められ、
我々人間が生きて生かされている この自然界における一定の法則に基づいた階級が用意されてる。
ある意味では支配かもしれないが、
その階級の中には、それぞれに自由がある。
だから自然界の道理と基礎に従った人の営みも本来なら、苦しいことはない。
だから、通常は、口で吐いて鼻で吸うという、肺と鼻を上手に遣って空気を出し入れする行為も、
これを「苦しい」と感じる人はいない。
むしろ、呼吸を止めてしまうことの方が苦しい。
んで、これを誰にやらせてもらっているのか? 
決して、自分が勝手に作って遣っている行為ではない。
それでも、そういうことは意識せずに、自由に空気を吸ったり吐いたりしているのが我々人間だ。
こんな精巧な物を人が造れるものではないし、何か学問的に奥深く研究して解るものでもない。
巷のテレビや本の中で騙られてる、いわゆる『進化論』には嘘が多いというより、
全部が嘘でしかない。
「ビッグバーンのあとに硫酸の海が月の引力によって雨風、雷鳴轟ける日々を繰り返して、
そこに潮ができて、宇宙から飛来したニュートリノという物質がどうのこうのとなって、
アメーバのような微生物が誕生して、そこに脊椎が現れ、
魚が陸へ上がって、ヒレが手足に変わって、トカゲになったり鳥になったり、
猿から人へ…。」
アホかっちゅうの! 
しかも
、「そこに環境に応じた進化、突然変異を繰り返して…」
んじゃぁ、みんな奇形生物なんじゃん。ヘンテコの。 
   
そんな者がどうして、衣服を着たり身に纏ったり、クルマに乗ったり、会社を経営したりしてるのか?
だいたいにおいて、どの学者も、
突然変異における過程の証拠を発見してはいないし、発見できない。
なぜなら、そんなモノは最初からない。
どこにある? 
誰もが納得の行くようには並べられないじゃん。
捏造された化石のような“模型”(
プラモデルか?)はあったとしても、
「何万何千年前のコレとコレの間の、この何千年かのうちに、ここで変異したのではないか…」
という推測…憶測だけを連ねて並べてみただけであって、
幾人か学者の勝手な創意工夫だけで、現代教育の中の『進化論』が決められている。
そういう嘘が、義務教育の教科書に平気で載っかっている。
これは極めて独裁的でファシズムに近くはないか? 
西洋文化圏内限定で。
んで、問題は、そういう、嘘は泥棒の始まり進化論を一人一人に教え込むことに何の意味があるのか? 
ちゅうことだ。
そんな嘘っぱちを写真図解入りで並べて、60年前の戦争で繰り広げられていた事実は
ほとんど何も教えない。
家へ帰っても曾オジイサンもバァチャンも寝たきりだ。あるいはボケまくってる。
自分の先祖が、自分のお爺さんやお婆さんが何をして今日まで来て、
そこに繋がる自分の存在が今ここにあるのか? 
もう誰も教えようともしないし、
そういうことが重要だと感じる人手さえ、いない。 
いたら手をあげてみて。
ダメだよ、自信を持って真っ直ぐに堂々と手を伸ばして返事ができなきゃ。
小さく、肩の上あたりで、「ハイ。」なんてのは、自分の存在理由や存在過程を判ってない証拠だ。
で、学校の歴史教科書の、“
載せろ・書き伏せ・誇張しろ・もみ消せ…合戦”は、
巷の立派な先生方に任せておいて、
我々、「当たり前に生きたい」と願う人たちは、もっと先へ進まないと、
この先、大きく騙されて死ぬことになる。…教育詐欺に。
   
そういうことの行き詰まりがハッキリと目に見える歪み…弊害として現れたのが、今のフランスだ。
どこまでも無理を承知で教育水準を高くすればするほど、失業率も高くなってしまった。
大変な事実。
明治維新はともかく、日本はこれまで、マトモな革命なんてのはやってこれなかったので、
ああゆう成るべくしてなっちまう社会状況には陥らないと思うけど、 (
誰もあんな元気はない。今は未だな。
フランスは常に本格的な革命に告ぐ革命を繰り返し、
時には底辺から変わって自分達の暮らしを整えて来た。
医学も教育も経済も宗教も政治も、
営みを変える時には一掃して変えてしまうほど、今まで在ったモノを潔く捨てる。
全部が全部そうしてきたわけじゃないかも知れないけど、それくらいの勢いで変わる。
(…そういうところも、ミック・ジャガーという人は気に入っているのかも知れない。フランス語ペラペラの英国紳士)
 
 
ここからの内容は、読む人によっては幾分、
アタマの中が混乱してしまうかも知れないけど
まぁ、暇つぶし程度に。
真剣に読まなくてもいいけど、真剣に取り組んでみてもらいたいこともある。
そこに、
生きている人間の心と身体は常に一体で動き続けていること。
そして、
善いことも悪いことも、決めたことは、決めたその瞬間から、その方向へ向かって進んでしまうこと。
この二つが人間一人一人の人生に備えられていることを念頭において、
明日、2006年4月1日からの俺のページ、“mind resolve”は書き進められてゆくことになる。
 
そういう意味で、これまでは ちょっと判りにくかった断片的な内容の幾つかも
徐々に整理整頓されてゆくと思うので、
どうか読者のみなさん、末永く、
タダ同然で今まで知らなかった事実を知ることができるページの一つの読者でいてください。
宜しくお願いします。
そして、アメーバ・ブログのサイバーエージェント社さん、
今後、このサイトで公開してる内容に対して、どのようなクレームがどこから舞い込んで来たとしても、
どうか、簡単には削除・抹消しないでください。
おまえ、コレはマズイだろぉ…という部分があるなら、
キチンと修正し、対処いたしますので、どうか、このサイトの運営を続けさせてください。
あしからず。
   
さてと、
話の本題に移ることにしよう。
…俺も準備が整って来た。
頭の中はスッキリしてるぞ。 (…ほんとかよ。)   
   
   
   
   
人が、
たとえば何か上から物が落ちてきて、
今まさにそれが自分に「ぶつかってきそうだ」という瞬間に、
人は咄嗟に心の中で、「神様!」って、
声に、言葉にして叫びはしなくても、そう“思う”。瞬間的に。ほとんど誰もの人が。
で、そんときに必ず、目を瞑る。咄嗟に。瞬間的に。(中には無意識に掌を合わせる人もいる)
黙って、それを見上げながら、そのままぶつかってくる物を顔で受け止める人は
まずいない。
その時、その瞬間に、無意識に目を瞑る行為、瞼の動作は、
自分でやっていることなんだけど、
それ(瞼の動作)を自分で考えて造って発明したわけじゃない。
「そこに神の力が働いてる」とまでは 厳かに云わないけど、
脳や「神経」がどうとか、遺伝子の情報がどうとかの、アホな学者の言ってる浅はかな問題とも違う。まったくちがう。
その瞬間の動作は、この自然界の、ある一定の規則正しい原理原則に基づいて決められている。
無意識のうちに使っている物ほど、
無意識のうちに心に思うことほど、
「神」の存在が明らかになっている瞬間てことだ。
これを否定してしまうのが、
狭い計算の範囲でしか物事を捉えられない科学者や、赤組の思想の人たち (ほか、その類い)。
そして、昨日までの多くの中国人の人たちだ。
中国の人だけは、心の中で、
「神様ぁ!」ではなくって、「ほとけ様ぁ~っ!」と、唱えてしまう。
そういうふうに教育されてしまってる(ような人が多い)。
 
日本の時代劇がチャンバラなら、西洋はウエスタンのドンパチ。
中国では(一部を除いては)クンフーとか拳法のとっ組み合い、棒術とか…まぁ、そのヘン。
んで、その中…そういう映画の中に出てくる台詞の幾つかに、
「神のみぞ知る」(God Only Knows)とか、「天に代わってセイバイっ!」とか云ってやってる。
中国人だけは、「仏様に誓ってそんなことはない!」とか言ってる。
そういう台詞が物語の節々に出てくる。
あれが常識になっちまってる現実。
だから、ほとんどのチャイニーズの人が、
何か自分に災難が降りかかりそうになったその瞬間に、心の中で、
「仏様!」と、思ってしまう。
仏様。すなわち、死んだ者だ。神ではない。
日本人をはじめ、西洋人も
インディアン(ネイティヴ・アメリカンも、イヌイットも、
それこそ、アラブ諸国やイスラム圏の人も、
国連に加盟してる・してないには拘らず…隣にいる人の眼は気にせずとも、
普通の人は、咄嗟の瞬間に、
「神様!」と、思う。
この思想の違い。心理の食い違いが、現在、
世界各地の様々な場所で様々な問題を勃こす原因の一つになってる。
「中国人が悪い」ということではない。 誤解しないでくれよ。
 
  
キレイに洗ったコップを二つ用意して、
両方に同じ水を入れて、
自分の好きな方に、一方を
「これは神様の分」
もう一方を
「これは仏様の分」
というふうに、心の中で念じて、
どこでもいい、いつもの自分の部屋のテーブルの上へ置いておく。
一晩。いや、一時間でも、10分でもいい。
自分が「そろそろいいかな」と思ったときに、
その二つのコップの水を比べて見る。匂いも嗅いでみる。
するってぇと、不思議なんだけど、
「神様へ」ってして、置いた方は澄んでいる。飲んでもいい。大丈夫だ。
ところが、
「仏様に…」て、備えた方は、もう生臭くてヘンになってる。味もマズイ。飲めたもんじゃない。
嘘ではない。
手品でもないし、何かの魔術でも、超能力でも超常現象でも何でもない。
俺が何かしてるわけでもない。
この時代に人間として生きてゆく気力がある人なら誰にでも体験できる。
それは、「神」がこの世に存在している証拠、証のひとつであり、
「仏」
(死んだ者)には「与える」「恵む」という力がないことを明らかにしている。
 
 
さぁ、実証してください。
そこには神棚も仏壇もいらない。どっかの大衆食堂の粗末なテーブルの上でもいい。
むしろ、そういう人間くさい場所であればあるほど、
その実験(?)の結果はハッキリしてくる。
信じる・信じないは別問題。
そこで自分が素直な人間かどうかもハッキリする。 (赤組の人は無理かもな)
   
んで、今日はこんなことを説明するつもりはなかったんだけど、
フランスで闘争する若者にも関係するので、
こういう話になった。
今、フランスでは一人一人の若者が、
ある一定の規則や規律、管理に反抗して、自分達の権利を主張してる。
それを「神が許した」という問題ではない。
かつて、アメリカのボストンやカリフォルニアとかで繰り広げられた学生闘争や
日本でも60年代、70年代に様々な思想が氾濫して、学生が荒れた次代があった。
中国でも天安門広場の一件に限らず色々とあった。
とくに中国なんて国は、過去何千年に渡り、常に思想を変えて今の国を築き上げてきた。(歴史的にはな)
ところが、今回のヨーロッパのフランスの、パリ中心部の凱旋門の周りで繰り広げられている騒ぎは、
思想と思想の対立ではない。
映画『いちご白書』の題材になったコロンビア大学の紛争とは わけがちがう。
自分達が生きるか死ぬかの根本的な人間生活に直接 関わってくる問題で荒れている。
だから、今まだ子供のまま成長できないような、ウ
ゲバとか革マ派とか日赤軍とか、
ああゆう左右ゴッチャの
オコチャマ思想の連中が血気盛んに旗を振り回してた時代の話ではない。
その点を重々承知の上、俺はわざわざ、このコーナーのタイトルを
フレンチいちご白書 としている。
できることなら、フランスの一部の若者たちの間で、おかしな変革思想が芽生えてしまわないように、
各国の協議を早急に進めて、事態の紛糾打開に取り組むべき…なんだけどぉ、
俺がここでそんなことをほざいても生姜ない。 (…
70年代に燃えたつもりの新橋のオヤジ ぎゃぐ
 
んで、ベルリンの壁やレーニン像がブチ壊された時と同様、
あの現状を観てる
ポール・ウェラー がもう一度、
「自由のハンマーを持て!」とシャウトするかどうかは判らないけど、
まぁ、そういうこった。
若者のうち学生が中心になるのではなく、全労働者の問題として底辺が動くというのなら、
それは権力を揺るがす脅威かも知れないけど、そこには、
自分が人間であることを見失ってしまうような思想を絡ませてはいけない。
だから、かつての学生紛争時代を名残り惜しむかのように
そういう偏った見方で今のフランスを騙ろうとするジャーナリストは、
本がいっぱい積まれた部屋の片隅にでも ひっこんでいた方いい。
結果的に無意味というより、人類にとって大きな損害・損失を蒙る戦争や流血騒ぎというアホなことを繰り返すのは、
人間の弱さと、
その大衆を操ろうとする肩書きだけの権力者や、財団財界人の個人的な“幼稚な欲”から生じるんだろうけれど、
そこにその場所に、しっかりとした正しい方向
(?)へ導き、統率のできる指導者がいないのなら、  
火事があった家の近所の人が着る物も食べる物も寝る場所も助けてあげるように、 
その周り(諸外国)が援助し、
最悪の事態を招いてしまう前に、
暴れる者の要求を受け入れさせる必要もある・と思う。
 
要は、「大人の都合のいいように回せる世の中はもう終わってしまった」っていうことを認めればいい。
フランス政府が。
 
たとえば、40人の従業員がいる会社の社長は、
その従業員一人一人に家庭や家族がある限り、単純に計算しても40×2~4の核家族の、
その生活の安定や維持を考えて、業績をあげ、利益を潤わせることだけが
それだけが社長の器ではない。
時には、面倒をかけてばかりで必要のない者はズバズバと、バッサリと首を切る。
それは覚悟ではなく、社長の器に備えられているはずの能力の一つだ。
それでも、自分の城から追い出した者の首を撥ねて葬り去ってしまうような王族の王様ではない。
ちゃんと補償はしなければならない。保証ではなく保障。
それがしっかりと後始末できない人(“社長の器”がない者)が指導者になっちまうから、
世の中がおかしくなっちまう。
自由と平等と権利と義務の区別さえすら判らないでいる。
マツリゴト(政治)に首を突っ込んでる連中なんてとくに、
国民の暮らしの安定を図るための犠牲に対してはそれなりの代償を払う義務を整えるべきだ。
フランスの社会教育の詳しくは知らんが、フランスという国も日本と同様、地方には方言がかなり複雑にあるという。
要するに日常会話言語が異なる。
するってぇと、生活様式も各地域ごとに微妙に異なってるのは当然で、
それをすべて一定の状態に画一化しようっていう旧い時代に生きた人たちの頭の中にある魂胆が、
そもそも今の時代に合わない。
もうまったく合わない。
経済の何の流通も、どこにかかるコストも材料費も、国民の生活意識にはまったく噛み合わない。
不釣合いが激しくなるのも当然だ。
同じ欧米人として、クリントンやチャーチルを見習った方がまだマシかも知れんが、
そういう柔軟性もないように窺える。
そりゃそうだ、バックにいる財団の老いぼれ連中が自分達だけの安泰を考えてる限り、
最早これほど迄にあらゆる情報が隠しきれない世の中では、
嘘ばっかりが浮き彫りになってくる。
この点は、平成日本の状態と大差ない。
「お前にも やればできる」と、できる者にもできない者にも教え込み過ぎたし、
嘘は嘘で最期まで包み隠しておけるように、情報公開にまで“平等な権利”をくっつける必要はなかった。
“高い教育水準の落とし穴”ってのはそういうことだ。
んで、どの人も優秀にされてしまうと、終いには人間が機械に操られることになる。
それはちょっと先の話だけど、
人間の中に神の存在がある限り、神が存在しない機械の世界(
科学という狭い世界)の進行を
そのまま推し進められるわけがない。