喜納昌吉さんの事について、詳しく述べるには、この場では収まりきらないし、また、わたしが、その任に適しているとも思わないけれど、・・・
最近、特に、喜納昌吉さんが述べてきたことが、世の中の核心を射抜いている想うのである。
「すべての武器を楽器に」というメッセージは、いままで一度くらいは、誰もが耳にしたことがあるだろうけれど、案外に、日本の中では、それが喜納昌吉さんが発信し続けてきたメッセージであるという事を知らない人が多いのかもしれない。
それに反して、海外では、喜納昌吉&チャンプルーズの音楽とともに、「すべての武器を楽器に」というメッセージは、人々の心に沁みわたっている。
そして、今日、「イラク、不屈のタクト 演奏続ける国立交響楽団
バグダッド=渡辺淳基2015年2月14日05時44分
その記事は、悲痛な紛争の真っ只中にある場でイラク国立交響楽団が「テロの脅威を乗り越え音楽による連帯」をテーマとして演奏活動をつづけていることを報じたものであるが、指揮者のカリム・ワスフィさんは、「前向きなエネルギーは暴力に必ず勝てる。」と信じるからだと云う。
また、「過激派の青年たちと話せるなら、15分で彼らの銃を楽器に持ち替えさせてみせる。」と、イラクの国難を指揮棒1本で戦い抜く覚悟を決めていると報じている。
アーティストが、その真摯な制作活動を通じて得た、直感や考察は、人の普遍的なテーマに結びつく。
喜納昌吉さんと、イラク国立交響楽団の指揮者ワスフィさんが、直接会ったことがあるとか、直接話したことがあるとか、交流した事があるとかないは、この場合は問題ではなく、二人の類稀なアーティストが、音楽を通じて「すべての武器を楽器に」という結論に達し、その確信を得て音楽を演奏しているといことが、奇跡的で素晴らしいのだ。
つまり、アーティストが、個々の制作活動を通じて、どんなに距離が離れていても、会ったことがなくても、共感し合い通じ合っているという、魂の対話が有り得るのが、アートというものだと想う。
ミサイルも飛び交わないし、銃撃の音も聞こえないが、
時折、ニュースを通じて信じられないような非合理なことが伝えられる日本の山村という場から、・・・
わたしは、この紛争を乗り越えて、喜納昌吉さんとワスフィさんが、いつか、ひとつの音楽を奏でることを想像している。