ーとんとん機音日記ー

養蚕・糸とり・機織り:
草木染め紬を織っている "機織り工房"の日記


三重県の山間部の集落に設けた"機織り工房"で、国産の絹を使って植物染料で染めた紬などを織っています。

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◎ わたしの工房や、当工房の草木染め紬・silk stoleなどについて、
御質問などありましたなら、御気軽にお問い合わせくださいませ。


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◎ 2006年に独自の発想からスタートさせた
“織ってつくったアクセサリー”のblogをはじめました。


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◎ event information
workshop の、お知らせです。



『絹にふれるワークショップ』

“山村生活ぎゃらりぃー”では、絹を身近なものとして感じていただくために、

「絹にふれるワークショップ」を開催しております。


●「絹にふれるワークショップ」の御案内


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『山村生活ぎゃらりぃー』


● 「民族の布」展
2012年 2月18日~3月31日(土日、祝のみ OPEN )




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≪ sericulture 養蚕・製絲と絹 reeling&raw silk ≫

≪ 蚕種「眞玉媛」のこと ≫

●黄繭種“眞玉媛”の座繰り糸 

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≪ 国民が注目すべき時事問題 ≫

- それぞれがインディペンデントな立場から考える。 -

≪ 国民の生活を壊すTPP問題 ≫

●もっと知ろう。考えよう。TPP 
●TPP等の関連レポート一覧
●日本農業新聞 e農ネット


●“季刊地域”農文協|TPP反対の大義

● 農文協の主張



≪ 日本の領土・領海・資源を脅かす、日本海呼称問題 ≫
●日本海呼称問題・・・外務省見解 


≪ 緊急時ポータル ≫

防災科学技術研究所 地震観測網ポータル



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ーとんとん機音日記ー-民族の布展-001



養蚕の準備に取り掛かる前に、小さなxhibition を企画しました。

このような企画展の場合、だいたい、企画する側の主張の導線、論理の導線というものがありまして、「どのような方向性で観ていただきたいのか。」というような趣旨というものがありますけれど、色々考えた末に、今回は、あえて、そのようなものを設けないことにしました。

山村生活ぎゃらりぃーの告知記事にも記したことですが、
この企画は、・・・

“布”をテーマとした展示の場合、色や模様や技法というところに興味を持つ人が多く訪れますが、企画している側の、私が想うところというのは、そのようのものを成り立たせている“暮らし”という部分について、織物を通して考えて欲しいというようなところなのです。

・・・というようなところから出発しているのですけれど、

同時に、わたしも、いうまでもなく、「一度止まってしまい断絶した文化を隔てる溝」のこちら側の世代なのです。

だから、“溝を隔てた、こちら側からでは、「昔のことを、見直そう。」と、どのようにがんばってみても、文化として連続性を持っていた溝の向こう側のリアリティーに遠く及ばない。”と何時も切実に感じているわけですが、そこの辺りは、それぞれ温度差があるようで、そのような部分を感じない人もいたり、引っ掛かりを感じない人もいたりする訳ですけれど、わたしは、そこを絶対に誤魔化したくないところだと考えます。



ーとんとん機音日記ー-民族の布-003


そのような位置から、わたしは山村で養蚕を行って、絹を織っているわけなのですが・・・。

その現場には、いろんな矛盾が、ゴロゴロと、いっぱいあるわけですね。

まぁ、伝統と、現代とか、手作りとか、プロダクツとか、

「機械と、手仕事…。」どっちがいいのか。?・・・とか、色々と。


結局、つくるっていうことは、それらの矛盾を乗り越えないと、伝統的なことも、新しいことも始まらないと思いますから、時折、このように愛おしい布を取り出して、眺めながら、いろいろ想いを廻らせるうちに、何か予感が訪れることを待ってみたりするのです・・・。

つまり、今回は、そのような企画です。


わたしは、カタ、カタ、カタ。と座繰器で、糸をひいていたり。
backstrap loomで、なにか織りながら、待っていようと思います。

遠い土地の人々の暮らしと、日本の暮らしの重なり合いが、
織ることや布を通して見えてくるでしょうか。?

そして、わたしたちは、どのような暮らしを求めるのでしょうか。?

「みなさんは、どんな兆しの訪れを待ちますか。?」






ーとんとん機音日記ー-民族の布展-004
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「三重県の座繰製糸についての一考察」


当記事中の製糸にまつわる用語について

動力(蒸気機関など)を伴う製糸機械(reeling machine)が導入された明治期の文献等に於いては、
それを指して“器械”と表記し、製糸機械を用いた製糸の事を“器械製糸”と呼称していました。

製糸の分野では、現在でも当時の表記法や呼称を踏襲し、製糸機械(reeling machine)による製糸を“器械製糸”と言い習わしていたりします。しかし、それでは現代的な“ことばの感覚”とは乖離が著しく、「機械」と「器械」を明確に言い分かつ現在の言葉の用例に沿えば理解に混乱をもたらします。
事実、製糸を扱う、各々の専門領域でも、製糸機械(reeling machine)を用いる製糸について、
器械製糸と機械製糸が鼎立して用いられており、例えば、製糸機械という用語を用いながら、そのれを用いて行なう行為について器械製糸という言葉を用いている例もあり、このような「機械」と「器械」の表記の適用についての事情から考えれば、明治期という過渡期の誤謬を、そのまま受け継ぎ慣用化して、現在でも混在している事情が伺えます。
だから、現時点に於いても、この製糸機械(reeling machine)を用いる製糸について慣用例に従い、「器械製糸」という言葉を当てはめて用いた場合、座繰器や踏転製糸器を用いた人力による製糸の形態を、どのように呼称すれば良いのかという問題は未解決にして放置せざるを得なくなってしまいます。

そして、その事に加え、何よりも、そのような状態では製糸にまつわる実態が一般の方に向けて発信する場では伝わりに難いという実情を鑑みて、当記事においては製糸技術を以下に示すように分類し記載しております。


● machine
・機械製糸(蒸気機関・水力などの動力機関を伴う。)
【動力を伴う機械(machine)を用いた製糸 ⇛ 機械製糸】

● instrument
・器械製絲(人力によって駆動する専用の道具を用いた製糸)
【人力で動かす器械(machine)を用いた製糸 ⇛ 座繰製糸】
【人力で動かす器械(machine)を用いた製糸 ⇛ 足踏(ダルマ・踏転器)製糸】
【人力で動かす器械(machine)を用いた製糸 ⇛ 玉糸製糸】〔玉繭・屑繭を用いた〕

● silk reeling techniques
・手繰(手挽・手引)製糸(簡単な道具は用いるものの、主として、ひとの手技に頼って行なう製糸)
【丑首繰り法】
【丑首座繰り法】
【奥州流胴繰り法】
【三丹流手繰法】
【手挽き紬糸】〔玉繭・屑繭・出殻繭を用いた〕





三重県での、過去の養蚕と座繰製糸の事情を調べています。

以前に、工房がある一志郡や、伊賀地方(那賀郡)、北勢地方などでは黄繭種の飼育が盛んであったということにふれましたが、同じ三重県内でも、南勢地方では売り繭をしていた長野、群馬県の製糸家の多数が、アメリカへの輸出生糸の生産をしていた関係から白繭を要望したので、南勢地方では白繭種が主流だったそうです。

このような事が判ってくると、養蚕製糸といっても、一様でなく、輸出向・国用向(国内織物用)ということがあったという点が思い起こされます。

例えば、昭和十年の時点で、座繰り製絲場が2乃至3工場あったことが確認できる那賀郡の場合、別の史料に照らし合わせれば、輸出向0・国用向3工場とあるので、那賀郡には国内織物用の製絲に携わる座繰り製絲場が3工場あったことが確認できます。

他の史料も加えて、昭和十年ころの那賀郡の器械製絲場の実情にせまれば、座繰り製絲場x1、座繰りと玉絲製絲場x1、玉絲製絲場x1の、計3工場があったことが浮かび上がってきました。

座繰製糸というと群馬県というイメージができあがっていますが、その改良座繰製糸結社で有名な群馬県では、そのような結社での製糸も大正初頭頃から順次、座繰りの器械製糸から、機械製糸に変化していったそうですし、この同時期になると群馬県では座繰製糸場は消えて、前橋や渋川を中心にした玉糸器械製糸場があるのみになってしまっています。

だから、昭和の恐慌も乗り越えて、座繰製糸を行っていた三重県の、この状況は面白いですね。

そして、さらに調べてゆくと、当時、三重県で飼われていた黄繭種の品種もわかってきました。

また、その品種の由来をたどると、明治の頃に選定された品種で、この品種の開発者の方の苦労を記したものを読むと、生糸輸出全盛で白繭種主流の当時では、黄繭種は見向きもされなかったのに、優秀な黄繭種ができたと云う事がもれると、同じような名前をつけた粗悪コピーが出回ったりして大変な目にあわれたそうです。

黄繭種なんかには興味もなかった人が、売れるとなると目の色を変えて、
粗悪コピーしてくるなんて、最低ですね。

このようなことは、今も昔もあることですが、・・・
志の有無が、そこの両者を分かつのでしょうね。





三重県で黄繭種が飼われ、また、戦争で座繰り製糸が途絶えるまで、それらが残った理由を考えれば、・・・

ひとつは、和装関係の地場産業である伊賀組紐があったということが関係してくると思います。

このように、伝統的工芸産業の素材との関係で器械製糸を見てみると、伝統的工芸産業の産地の近辺や、産地に素材を提供している昔からの関係があるところでは昭和十年頃になっても座繰りの器械製糸場が残り、そうでない輸出生糸が主流のところでは、それまでに座繰り製糸は機械製糸に移行してしまい、機械では糸が引けなかった屑繭の整理産業という形で器械の玉糸製糸が行なわれるというような構図があったように思います。

このような、すでに三重県では廃絶してしまったことについて調べるのは、時間と、根気と、手間隙がかかって、「疲れるな。」と思うことも頻りなのですけれど、やっぱり、調べてゆけば、自分の方向性とかが、はっきり自覚できる面も現れてきたり、意外な事実にも出会えるので、面白いですね。




フロンティアの背後に隠された志と地道な努力。
粗悪コピーにもめげない、タフなメンタリティー。
ピュアな志に満ちた先人の行ないは、時代を超えて勉強になりますね。



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散歩していると梅の木に薄手火蛾(薄足袋蛾)の繭がついているのをみつけました。梅の木に付いているは、ちょっと珍しいかもって思います。
だいたい、幼虫の食樹になる欅(ケヤキ)、椚(クヌギ)、ナラ類、桜などにぶら下がっていることが多いのですが、ウスタビガの幼虫は梅も食べるのでしょうか。?

そして、いつ見ても思うのですが、日本の野蚕の、このエメラルドグリーンの鮮やかさは、感動的ですね。
コスモクロア輝石を含む姫川産の翡翠も、このようなエメラルドグリーンですが、この色彩は、きわめて日本的なものと言ってもいいように思います。


ーとんとん機音日記ー-薄手火蛾-01


このような、野蚕(やさん)と呼ばれる、いわゆるワイルドシルクは、いろんな利用がされてきたのですよね。

もちらん、絲や真綿にするというような利用もありますけれど、
変ったところでは、膏薬を塗って患部に貼り付けたり、腫れ物の膿を吸い出す為に使ったり、というような事も行なわれていました。

そういうところから考えれば、いろんな絹素材の利用の一部として染織分野での利用があるわけですが、“染織”に凝り固まった頭になると、そういうことを、づい忘れがちになってしまいますね。

このような、綺麗な色に出会うと、なんとか活用したいとか思うのは、やまやまなのですけれど、
もっと、広くゆっくり、見てみる姿勢から取り組む姿勢で向かうこともいいのではないかと思います。

わたしのところでは当初から、黄繭種の蚕を飼って、黄繭種の座繰り絲や、他の絲もつくっていますから、その自然に生まれる生糸の色彩は、綺麗だなと思いますし、また、そのような色に仕上げるように、工夫して気を付けて飼う訳ですが、・・・。

でも、絲にしたら完成ではないのですよね。
その後、染色する為に練ったりする訳ですから、そのときには落ちてしまう色なのです。
だから、問題なのは“糸色”という部分です。
こういうところは、どういうものを作るのかという設計から、逆算して、どのような糸質の蚕が必要だろうかと考えてゆく訳ですね。

そのような時に、・・・
物事を広くゆっくり観る姿勢が役立つと、つくづく感じるのです。


最近、「日本的なもの」ということも、よく考えますが、
それは、日本の風景やモノやコトに息づく色彩を、
ゆったりと、咀嚼して受容している、
日本の“伝統工芸の、ものづくりの姿勢”も、そのひとづだなと思います。





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21日の土曜日に、集落で女子会がありました。

これは、1月中14日に、初寄り(はつより)という、いわゆる自治会の年頭の寄り合いが、集落の男だけで行なわれるので、集落の女だけで集まる機会を持とうということを、うちの隣の谷郷さんの奥さまが、発案なさって、みんなが集まりました。

様々な年齢の女性が集まって、いろんな噺に華が咲きます。

わたしにすれば、集落の昔の事について御聞かせ願える貴重な機会です。

ーとんとん機音日記ー-女子会01



いま、わたしが暮らす集落は、限界集落化してきています。

「だんだん集落が寂しくなってきた。」という噺から
賑やかだった昭和30年ごろの事に話題が上りました。

当時、非浦集落だけでも、100人ぐらいの人がいて、
川上地区には、魚屋も四軒あり、日常に必要なものは、全部村内で手にはいった事。
工場などもあったり、働くところがあった事。
身禄之産湯にお米を洗いにいった事。
アイスキャンディーを、鍋を持って買いにいった事。

みなさんの会話の中に、活きゝとした山村での暮らしぶりが甦ります。


べつに、何かのテーマに沿って話し合うような会合ではありませんが、
集落から人がいなくなってゆき、足腰が悪くなって不自由になったので、
外に出るのも億劫になりがちな方にとっては、「みんなで話す」ということも、
時には、気晴らしの意味でも必要です。

昔のこと。気持ちの発散。目の前のちょっとした困りごと。

いろんな噺が飛び出してくる、このような女子会を、
また、来年も開くことが出来ればいいなと思いました。




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ーとんとん機音日記ー-山村生活ぎゃらりぃー01


先日、Synthesizer&Percussion奏者で、
また、Recording Producerでもいらっしゃる松山登さん。
司会者・ナレーター・話し方講座講師等の分野で、
幅広く活動なさっていらっしゃる野田育子さん。
“伊勢根付”の梶浦明日香さん。
“松阪木綿”の坂梨律子さん。
・・・というような、
多才な御客さま達が、山村生活ぎゃらりぃーにいらしゃいました。



ーとんとん機音日記ー-山村生活ぎゃらりぃー02



その日は、雪で足元も悪く、寒いし、道路の凍結とかもあるので、
心配していたのですが、・・・
松阪の方から、仁柿峠を越えて、いらっしゃったそうです。
仁柿峠は、道幅も狭く、凄いくねくね道なので、慣れないと怖い道ですから、大変だったと思います。

「皆様、遠路はるばる、山村の小さなギャラリーまで、お運びくださいまして、ありがとうございました。」

当日、わたしも含めて集まったメンバーは、みんな初対面だったのですが、
それぞれの分野のお仕事の事を御伺いしながら、楽しい時間を過ごさせていただきました。


そのときに、梶浦明日香さんの“伊勢根付”を拝見させていただきましたが、
「本物の“きのこ”みたい。」で凄いです。
わたしは、ちょとミニチュア好き、みたいな癖があるので、とてもその細かな仕事には感動しました。
そして、女性らしさが感じられる仕事をなさっているので、
その点でも、梶浦さんの御仕事には好感が持てます。





坂梨律子さんは、同じ染織の分野と言っても、木綿と絹という違う素材と格闘しているという点で、お互いの事を見ると、興味深く感じるところが多く、とても刺激をいただきました。
それに、坂梨さんは、松阪木綿復興のときに、織り手として尽力された方なので、地域の紡織文化に傾ける、その情熱には、とても共感でき、また、見習うべきことも多い方です。


“手仕事”を仕事にしてゆくという点では、
それぞれ分野が違っても、共通の苦労や悩みがあります。

素材や用具を自給しながらでも、・・・
気負わず、自分の“手仕事”をつづけたいと、がんばっていらっしゃる御二方に出会えて、わたしにとっては、稔りの多い一日でした。


皆様を、ご紹介くださいました、松山さん、ありがとうございました。



・ ・ ・ ・ ・《 追記 》 ・ ・ ・ ・ ・

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