手術翌日 | 明日への轍

明日への轍

齢五十を過ぎて、ある日大腸がんが見つかる。
手術から回復したと思った一年後、肝臓と肺へがんが転移。
更に続くがんとの付き合いを記録します。

翌日の回診で主治医から言われた。
「時間は多少長く掛かりましたけど、予定通り終わりました。」
「問題の箇所を切って、元の部分と縫い付ける。予定通りです。」
そう言われて安心した。
細かいことは聞けないけれども、どうせそのうちに判るだろう。

看護士の話から自分の現在の状況について大体の様子が判った。

管は七本らしい
1 鼻から胃へ
2 尿管へ
3 肛門へ
4 お腹へ
5 背中へ(麻酔)
6 左腕へ(点滴)
7 右腕へ(点滴)

そして体が動かせないため、足をマッサージする機械も取り付けられら。
当初は足で測る血圧計かと思った。

看護師が二人がかりで体を拭いてくれた。
昨日は一晩中熱があり汗をかいた。そして痒かった。
手術前は恥ずかしさもあり、除毛も自分でして居たが、もう何も言えるような状況ではない。
されるがままであり、良いも悪いもない。
看護師と言う仕事は凄いものだ。

尿管や肛門を管で抑えられており、身動きも自由に出来ない。
言われたとおりに右を向き左を向き、足を上げ腰を上げそして綺麗さっぱりしてもらった。
完敗であり感謝の言葉しかない。


酸素マスクと1、7の管はこの日で外された。
徐々に外されていくらしい。早くそうなって欲しいものだ。
でも、大腸の管は最後とか。

歩けそうなら歩けと言うので実際歩いてみた。
お腹がズッシリ重いけれども歩けない事はなかった。
二度ほどフロアを一周歩いた。
手術予定書に確かに翌日から歩く訓練をすると書いてあった。
なるほど歩けるものだと思った。これなら行けると簡単に考えた。

レントゲン検査があった。ベッドに寝たままの撮影だった。
縫合部分がうまく付いているか心配である。
もしもうまく付いていなければ再度手術もあるとか。

本日歩けたからか、足のマッサージ機械は不要ということとなった。