いかさま裁判と言ってよい名張毒ぶどう酒事件 | 世界一小さい新聞

いかさま裁判と言ってよい名張毒ぶどう酒事件


名張毒ぶどう酒事件:鑑定結果の評価難しく
毎日新聞 2012年05月25日 12時39分(最終更新 05月25日 14時06分)


今回の決定が根拠とした差し戻し審でのニッカリンTの鑑定結果を巡っては、検察・弁護側双方が自らに有利な証拠と主張していた。名古屋高裁が「混入農薬がニッカリンTではないことを意味しない」として、再び再審開始決定を取り消したことは、物証が少なく発生から時間が経過した事件で、再審開始の難しさを改めて示した。

(出典:http://mainichi.jp/select/news/20120525k0000e040245000c.html )


この再審請求に関しては、日刊スポーツウエッブで、記事にしたことがある。


(以下、2007年11月15日付け記事「ワインが無実を知っている」より)


今年もボジョレー・ヌーヴォーの季節が来た。

今日11月15日が解禁日、11月第3木曜日に当たる。
今年は「ボジョレー・ヴィラージュ・ヌーヴォー」かな、
などと考えている人もいるに違いない。


しかし、私はブドウ酒と聞くと、
やはり「名張毒ブドウ酒事件」を思い出す。
今もなお、「冤罪」のままだからだ。


去年の11月、次の二本の記事で、
元プロボクサー・袴田巌死刑囚(71)の「冤罪」問題を取り上げた。


   「ボクサー魂の再審請求」
   「逃げられない究極のイジメ」


死刑が確定している「冤罪」は日本にはまだいくつかあるが、
今日は「名張毒ブドウ酒事件」を取り上げてみたい。


巨人軍の川上哲治監督が就任一年目に、日本シリーズ優勝を果たした
1961年(昭和36)の3月28日の夜、
三重県名張市の葛尾地区(写真)において、事件が起きた。


ここの公民館で、地元民の生活改善クラブ「三奈の会」の総会が開かれた。
出席者は30名ほどの男女。
男は清酒で、女はブドウ酒(三線ポートワイン)で乾杯した。


そのすぐ後、ブドウ酒を飲んだ女たちが苦しみだした。
総会は大混乱、医者が呼ばれたが、結局5名が死亡、
なんとか12名が命をとりとめた。


死因は、毒物混入。

有機リン系農薬のテップ剤とみられた。


捜査本部は当初、ワイン製造過程でこの毒物が混入した可能性を考えたが、
テップ剤の特性として、短期で毒性が消えること、
また問題のブドウ酒を購入した店に残っていた
同じ商品44本に異常が見られなかったため、
人為的に毒物を混入させたものという線で、捜査を続けた。


総会関係者が連日の取調べを受けた。


で、容疑者として浮かび上がったのが、奥西勝さん(当時34歳、現在80歳)。
彼は会場まで問題のブドウ酒を運んでいたからだ。


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(写真:法廷の奥西さん)


状況証拠として、奥西さんには不利なことに、
死亡した女5名の中に、妻と愛人が含まれていたからだ。


捜査本部は、


   三角関係の清算


ということで、殺害動機を確定させた。


たいていの「冤罪事件」で見られるように、
被疑者は取調べの過酷さに負けて、「自白」してしまう。

奥西さんも罪を認めてしまった。


そして、起訴直前に否認、むろん公判中も奥西さんは否認し続けた。


まとめると、検察側の起訴事実は三点ある。


   動機:三角関係の清算
   準備:総会前夜、自宅にあった農薬・ニッカリンTを
      竹筒に移し入れた
   犯行:公民館に運ぶさい一人になった10分間に、
      ブドウ酒の王冠を歯で噛み開け、竹筒内の農薬を混入


第一審の津地裁での判決は、無罪であった。


   ・王冠に残った傷は奥西さんの歯型と断定できない
   ・毒物混入は他の人にもできた
   ・奥西さんの自白は信用できず、犯行動機も納得できない


津地裁の裁判官は、「疑わしきは被告人の利益に従う」という
当然の原則に従ったわけだ。


検察はただちに控訴した。


こうした検察による控訴が私には理解できない。

どうにも不合理だと思う。


説明してみよう。


刑事裁判で、被告が一審で負けた場合、
控訴、上告という三審制を利用するのは、
非常に合理的だと思うし、民主的だ。


しかし、検察側が一審で敗れた場合、
控訴することには問題があるのではないか。


その最大の理由は、一審で被告が無罪になったにもかかわらず、
控訴してもう一度裁判をするということは、
「疑わしきは被告人の利益に」あるいは「推定無罪」の原則に反するからだ。


   何より、一審で被告は「無罪」を勝ち得ているではないか。


一審で無罪を勝ち取り、二審の控訴審で「有罪」となっても、
これは「疑わしい」というレベルを超えないからで、
「無罪=白」「有罪=黒」は「疑わしい=灰色」となるからだ。


一審で「有罪」となった被告が控訴して「無罪」になった場合なら、
「疑わしきは被告の利益に」の原則は成立する。


なぜなら、「有罪=黒」「無罪=白」はやはり少なくとも「疑わしい=灰色」で
「疑わしきは被告人の利益」の原則に従えるからだ。

それゆえ、私は、一審で有罪を取れなかった検察の控訴は、


   三審制の違憲性にまで発展するのでは?


とまで思っている。


話を戻そう。


結局、奥西さんが勝ち取った一審の無罪は控訴審で覆されてしまった。
しかも、判決は「死刑」であった。


一審がくつがえる場合、通常は新証拠が要る。
だが、二審の名古屋高裁は、新証拠がないにもかかわらず死刑判決を下した。


少し詳しく事件を見ていこう。


(つづく)


(以下、2007年11月16日付け記事「私の人生はもう戻らない」より)


「名張毒ブドウ酒事件」を理解する最大のポイントは、

   

   疑わしきは被告人の利益に


という刑事裁判の大原則に対して、国の裁きが反しているということだ。


正確に言うと、一審の津地裁判決はこの大原則に従い、
控訴審の名古屋高裁および上告の最高裁がこれに反している。

その理由は、前回の記事で述べたように、
一審の津地裁が「無罪」判決を下したにもかかわらず、
二審の名古屋高裁が「有罪」判決を下したことだ。


一度は「無罪」と出た以上たとえ二度目の裁判で「有罪」となっても、
完全な「有罪」とみなすことはとても無理が残るから、
「疑わしさは被告人の利益に」の大原則を適用するべきだと思う。


それにしても名古屋高裁の判断は無茶苦茶だった。

通常は、検察側から新しい証拠が提出されて、
「無罪」から「有罪」に覆るのだけど、
死刑囚・奥西勝さん(81)の場合、新しい証拠もないまま、
判断が変わっただけというものだった。


つまり、
津地裁は、王冠のキズは奥西さんの歯形とは断定できない、としたのに対して、
名古屋高裁は、歯形と一致する、と判断。



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(写真:王冠の歯形鑑定は右写真を左写真に一致するように
顕微鏡の倍率操作をされたもの。不正鑑定だったと、後に判明!)


津地裁は、毒物混入の機会は他の人にもあった、としたのに対して、
名古屋高裁は、この機会は奥西さんしかない、と判断。


そして津地裁は、奥西さんの自白は信用できず、
三角関係の動機も採用しなかったのに対して、
名古屋高裁は、まったく逆で自白を信用し、
動機を採用する判断を下した。


つまり同じ証拠であっても死刑の判決にくつがえってしまった。


1972年に上告を棄却され、死刑が確定。
その後、2002年まで7回にわたって再審請求がなされてきたが、
いずれも請求を棄却された。


言うまでもなく、再審請求の間は、少なくとも奥西勝さんに死刑執行はない、
という経験則はあるけれど、それではすまないだろう。

81歳の高齢にして、日々死刑執行におびえる彼の胸中を察するに余りある。

もうすぐ、私たち一般市民が刑事裁判で裁く裁判員制度が始ろうとしている。
まともに考えたら、夜も寝られないほどの重大な責任の伴う仕事なのに、
こんな「笑顔」でいられるはずもない。


無理だとは思うが、まず一番に手がけてほしい裁判は、
袴田事件や名張毒ブドウ酒事件などの「冤罪」事件だろう。


ここで袴田さんや奥西さんらに再審で無罪の判断を下されなければ、
とても日本の国民として安心して暮らしていけないじゃないか。
彼らの老いと精神状態は、もはや「待ったなし」のところまで来ている。


国は大変な誤りを犯してくれたお陰で、
46年前の犯人はどこかへ消えてしまった。