丘の上の愚か者 | BABYDOLL LOUNGE

丘の上の愚か者

色々な意見があって大変参考になる。
今日はある方のブログの記事を読んで
わたしなりに思ったこを書いていきます。
的外れなこと言っていたらごめんなさい。

「中立」の立場は必ずしも「容認」することとは違うし、
「中立」=「無知・無関心」であることとも違う。
中立な立場というのは本来、意見を異にする両者の折衷案
を出して一つにまとめることであって、何らかの責任を負うことでもある。
どっちつかずで何も出来ずに責任を有耶無耶にすることでもない。
原発に反対してきた人間というのは
在る意味マイノリティ的存在にされてきた経緯がある。
実に巧妙に口を塞がれてきた事実も数多であり、
マスの枠から外側に追いやられてきたわけだ。
福島の前の市長だってそうでしょ?
本来は対等の立場に立つべきなのに実情は
今でも大して変わっていないんじゃないか?
もし多様な意見に耳を傾けてくれる公平な場が全ての人に
与えられていたなら状況は違っていたかもしれない。
しかし事が起こって様々な事実を多くの人が知ることとなった。
危険を身を持って知ることにもなった。
物事は何かに気がつき目覚めたときが大事なのだ。

原発事故における責任と原発容認の責任については分けて考えないと
いけないと思う。
事故については事実と照らし合わせて責任の所在を
明らかにすべきだろう。ここを曖昧にしてしまうと先へは進めない。
他人が起こした交通事故に対してみんなの責任だとは言わない。
俺たちも車に乗ってるから当然みんなの責任だね、とか
それを生み出した人間または文明の進歩が悪いね、とは誰も言わない。
現場検証し法律に乗っ取って事故処理し、ドライバーに過失があるかどうか
問うのは社会的に当たり前のことだからだ。
そうでなければ社会は成り立たなくなるだろう。
福島原発1号機では地震直後、圧力容器が破損したとのことだが、
揺れは耐震設計基準を下回っていたとか、作業の遅れがあったとか
次々と事実が明るみに出てきている。
このことは過失を問われるべきであるし、安全性に問題があったのが事実なら
住民への説明と異なることになるので
結果として騙されていたのと同じことなのだ。
福島県の人たちはあまり自分を責めたり後悔したりせずに
これから先のことを考えるべきではないかな。
ここのところ福島県も原発を容認し、そのおかげで利権の
恩恵を受けてきた、責任は自分たちにもあるだろ、というような意見も
増えつつあり、それだけなら言わんとしていることはわかるが
もう過去には戻れないわけだしね。
そして一方で無知・無関心が蔓延してくると福島の人たちは
無視され見放されるのではないかといった危惧もある。
今まさに事故が起こり、リアルタイムで我々はそれを見聞きし
知っている。だからこそ、それでもあなたは原発を容認するのか
それとも反対するのか・・・
ここから考えて意見を表明すべきではないかな。
「無知は罪」だったと過去を嘆くより
「無知は悲劇の元」とこれから先を考えるほうが建設的だ。

現状、周りを見渡すと、実際は無知・無関心というより
考えたくない、どうせ何もできない.忘れようといった
諦観からくる思考停止派が増えていると感じざるをえない場面によく出会う。
例えは悪いが大きな危険に出会うと、我々弱者はどうせ弱いんだ。
自分の力が及ばないことは何ひとつしまいと、
あたかも昆虫類のように極めて低級な利口さで死んだ振りをするのだ。
福島に住んでいる方は今まさにこの事故のせいで恐怖に晒され苦悩している
状況であれば、それを多くの人に伝える役割りを担うべきではないかと
個人的には思う。
原爆の被害者が語り部を止めないで後世に伝えていったように。
もう寝た子も起きてる状況なのだから、耳を傾ける人は多いはずだし、
賛同、共感してくれる人も多いだろう。
事故以前の自分を責めたりする必要もない。
この事故から身を守ること、解決を働きかけること、
そしてこれから先どうやって安全な暮らしを手に入れていくのか
ということを考えていくべきだし、
今後のエネルギー問題について自分の意見を表明したり
情報を発信することだってとても大切なことだ。
もちろん東京に住んでいるおれも責任から逃げるつもりは
毛頭ないので、知りえたこと気がついたことを
自分なりに言っていくつもりだ。

もう丘の上の愚か者は一人ではない。
目を見開き、真実を知り、それを伝えることで
いつか何かが変わるかもしれない。
今日はこの曲でも聴くとするか…

ビートルズ/フール・オン・ザ・ヒル


来る日も来る日も 丘の上でひとり
ばかな薄ら笑いを浮かべた男は
完璧に じっと身動きひとつしない
だれもその男に関わり合いにはなりたがらない
男がただの愚か者だと思っているから
それに男も決して答えようとはしない
でも丘の上の愚か者は沈む太陽を見る
そして頭の中の目で
ぐるぐる回る世界を見ている


ずっと行った先で 頭を雲の中に隠して
その男は 千の声を持って話している 
これ以上出せない大きな声で
でもだれもその声を聞こうとしない
いや その男が出しているは音さえも
本人も気付いているように思えない
でも丘の上の愚か者は沈む太陽を見る
そして頭の中の目で
ぐるぐる回る世界を見ている


誰もあの男を好きじゃないようだが
大したことはできないとたかをくくっている
男も決して自分の感情を示さない
でも丘の上の愚か者は沈む太陽を見る
そして頭の中の目で
ぐるぐる回る世界を見ている


男は人の言葉などお構いなしだ
彼らこそ馬鹿だということを知っているから
自分が好かれていなくても平然としている
でも丘の上の愚か者は沈む太陽を見る
そして頭の中の目で
ぐるぐる回る世界を見ている

(CD歌詞カード参照)

時代が変わっても都合の悪いことは排斥しようと言う
人間の心理はまるで変わっていない。
地動説を唱えて処刑された偉人の言葉
「それでも地球は回っている」
裁判で有罪になり幽閉されても信念を曲げなかった。
愚か者と言われようが勇気を持って
真実を見つめ続けようじゃないか。