【アーカイブス】モ870形登場の頃 | 「はなぶさ」に集まる仲間たち

【アーカイブス】モ870形登場の頃

 先週、続けて鉄に出た反動もあって、今週は自宅幽閉である。そんな時は、絶好のスキャンタイムである。

 

 この夏、頑張ってスキャンをつづけたおかげで、ようやく学生時代のネガのスキャンがすべて完了し、バックアップも行った。暦年で管理しているので、正確に言えば社会人1年目の分も入っているが、約7年分で2Tのハードディスクがほぼ一杯、ついでにブルーレイにも保存して79枚となった。ハードディスクそのもののバックアップもしているので、たぶん、これでトラブルがあってもなんとかなるであろう。とりあえず一安心である。


 データ化するメリットは、保存に加え、写真の検索が極めて楽になることである。たとえば、こんなテーマで一連の写真を探しだし、フォトショップで加工しても1時間もかからずすんでしまう。デジタル化のメリット、ここにありといえる。


 今回、紹介するのは名鉄の美濃町線のモ870形である。ご存じのように、この車両は札幌市電のA830形として誕生し、路線廃止に伴って、昭和51年に名鉄に譲渡されている。ヨーロッパスタイルの外観は、今見ても格好良く、札幌時代に蒸機撮影の合間に訪れて撮影している。札幌時代から、名鉄に移り、運行開始直後の様子をご覧にいれたい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは、札幌時代の映像である。

 今にして思えば、大変残念であるが、現役の時代に写した830形の写真は数カットしかない。また、カラーも撮っていない。

 当時は、まだまだ活躍すると思って、鉄北線で先に廃車になった850形の撮影に行ってしまったためだが、その後、運用が減ったことから、結果的に830形の撮影は、最初に札幌を訪れた時の一回だけになってしまった。この頃、札幌には何度も行っていたのに、返す返すも残念である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 そんなわけで、次のカットは名鉄に譲渡されるシーンとなる。

 札幌から名古屋への輸送にあたっては、苫小牧からフェリーを利用している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 どこで輸送日を聞いたか、記憶がないが、わざわざ金城埠頭のフェリー乗り場まで到着を撮りに行っている。さすがに、こうした写真は珍しいだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 次は、9月頃の岐阜工場。順番に1両ずつ、工事が行われた。一番大きな改造点は、窓を開閉式にしたことで、最初はすべての窓を開閉式に改造するのではなく、ひとつおきであった。確か、前照灯も、どちらか一灯だけ点灯していたはずである。方向幕は、まだ札幌時代のままである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 こうして10月には改造工事が竣工している。今はなき岐阜工場で、白帯時代の600形と並ぶ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 試運転は10月26日に行われている。営業開始のわずか5日前だけれど、こんなに短くても良かったのかな?乗務員の訓練はどのようにやったのだろう。下芥見でモ580形とすれ違う。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 31日には美濃で発車式が行われた。そういえば、870形はどさん娘電車なんて、呼ばれてましたね。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 営業運転に入って、松森で撮影。いま、このあたりは住宅地になっている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 同じ場所で、違った角度から。

 この年は、モ870形の登場やそれに伴うモ580形の廃車などがあって、何度も美濃町線に通っている。今にして思えば、同じ線区ばかりに行くのではなく、他にも撮るものがいっぱいあったのだから、それらを撮りに行けば良かったのだが・・・。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 閑話休題・・・当時のモ870形には、写真を撮りたくなるような面白い運用があった。

 それはモ870形の続行運転で、タブレット輸送も兼ねて白金と美濃の間で行われていた。一度、そのシーンを撮りたいと思い、小屋名で撮影し、運良く1枚の写真に納めることができた。


 その後、モ870形は路線廃止に伴い、廃車になるまで、それこそ何度かわからないほど撮影している。それらについてはまた機会を改めて紹介することにしよう。(駅長)