◆夢つなぎプロジェクト(PDFです)
http://www.goyoutashi.jp/img/yumetsunagi.pdf
自分のことだけしか考えない人が増えたと言われます。
本当にそうでしょうか。
電車の中でも他人への思いやりのかけらもない光景を目にすることがあります。
なぜ、そう感じるのでしょうか。
私は、
その人の性格がいいとか悪いとかではなく、
思いやりがあるとかないとかではなく、
「繋がっている感じ」
を持てていないのだと思うのです。
人は誰かと繋がっていたい動物です。
もちろん「孤独が好き」という人はいます。
でも、それは「繋がった」上での孤独です。
たとえば土曜日の朝。
窓の外から子供の歓声が聞こえているとします。
「運動会かな。」
そう感じた瞬間、ひとは「繋がり」を感じます。
ひとりではないことの確認。
社会の一員であることの確認。
人生、
ひとと拘わらずにいけていける人は少ないでしょう。
人は、人と繋がっていることを実感できると頑張れます。
それは人の役に立つ実感かも知れませんし、
家族を感じる瞬間かも知れませんし、
お店で店員さんと交わす、ちょっとしたひと事かも知れません。
私は会社を創業してからこの10年。
どれだけ多くの人の助けを借りて、ここまで来たか判りません。
感謝しなかったらバチがあたります。
知人友人応援団、
お客さま、出資してくださっている方・・・。
そして、
高校の同級生。
私は大分県立大分商業高校を昭和58年に卒業しています。
この学校で学んだ、とはとてもいえない
学業以外で学んだ多くのことは、私の宝です。
たとえば、
・先輩後輩の上下関係(すぐ、ぼこぼこにされる)
それは愛情であると信じる
・理不尽さに耐える(俺サマがルールの先輩)
・貧乏は誇りである(そこらじゅうに貧乏な家庭のこどもが)
・偏差値など低すぎて議論にすらならない
(人生にとって本当に大切なものはなにか)
・質実剛健、士魂商才(と教わり続けた。意味は良く判らなかったけど)
特に目上の人への礼儀は徹底的に体で教えて貰いました。
私は高校時代はひょろひょろして青白く、
運動も出来ず、応援団に放り込まれてガツンとやられ、
なぜか2年生の時、生徒会長をやらされました。
(ここが私の運命のターニングポイントですが)
この3年間を共に過ごしたのが、下郡(しもごおり)でした。
下郡は関サバ、関アジで有名な佐賀関の出身。
丸いメガネをかけて、質実剛健の我が高校では異彩を放つ男でした。
ひょうひょう、のことばがピッタリ。
喫煙率92.4%?の我が母校で
タバコを吸うでもなく、傷害事件を起こすでもなく、
窃盗に手を染める訳でもなく、
悪事を働かないけど、
かと言って、絶対に「優等生」ではない。
存在感がないようで、しかし存在感をひときわ感じる男でした。
卒業して20年以上、私は高校の同級生とは会っていませんでした。
いわゆる、疎遠になると言うやつです。
何だろう、うまく言えないんだけど、
田舎を出て上京し、がむちゃらに前へ前へと突き進んで来た
超田舎モノの私としては、都会の戦場で鉄砲を持って撃ちまくっているのに、
昔を懐かしんで立ち止まったり、よもや後ろを振り返ったり、
そんなことをしたら終わり、
と思っていたのかも知れません。
大分は、
自分がいちばん戻りたい、ほっと出来る場所だからこそ、
絶対に偉くなるまで戻らないぞ、みたいな、
そんな風に力が入っていたのでしょう。
そんなある日、大分県のあるNPOから講演依頼がありました。
私は「おお、凱旋講演だ」と嬉しくなり、
これでやっと地元に恩返しができるぞ、と思ったものです。
でも忙しさにかまけて、旧友への連絡先を探すこともせず、
講演当日が近づきました。
すると、会社に1本の電話が掛かってきました。
こてこての大分弁で。
「お~、元気にしちょるか。」
野球部補欠の宮森からでした。
宮森も佐賀関の出身。
宮森は本当に優しい男。
なぜかウマが合い、高校時代は良く遊んでいました。
なぜ、連絡をして来たか聞いたら、
講演のことが地元の大分合同新聞に載っていたと、下郡から電話があったと言うのです。
小さな記事を下郡が見つけ
「お~、これ、高萩やんか」
と同級生への連絡役を引き受けてくれたのです。
この、下郡の気づきと気配りがなければ、
大分商業高校営業課、昭和58年卒業の我々が集まることはありませんでした。
講演の後、
別府駅に車で迎えに来てくれた下郡は、驚くほど痩せていました。
「病気してのお、奇跡的に退院できたわ」と言うのですが、
その病気がまさか癌だとは。
40代の男が5人、モツ鍋を囲みました。
25年の時が一気にタイムスリップ、
そこにいる仲間は紛れもなく25年前のイガグリ頭の高校生達でした。
(白髪が増えていましたが)
またまた時は流れ、翌年の春。
お逢いしたことのない下郡の奥さまから会社に電話が。
ダンナはまた入院をしているのだけれど、
抗がん剤が効いて少しだけ落ち着いている。
本人が「行ったことのない、日光東照宮へ行ってみたい」
と話しているので、力を貸して貰えないでしょうかとの相談でした。
子供の春休みに合わせて上京出来そうだと言うので急いで宿の手配をし、
レンタカーを借りて段取りを組みました。
半年ぶりに逢う下郡は更に痩せていましたが、
日光東照宮の階段を1段ずつ、かみ締めるように登り、
歴史が大好きな彼は、この地を踏めたことを楽しんでいました。
夜、鬼怒川温泉の宿で一緒に風呂に入り、1時間以上よもやま話をしました。
思えば、これが最後の彼との団欒になりましたが、こんなに長い時間、
ふたりで話し込んだのが高校以来だったのは間違いありません。
日光の輪王寺で下郡と一緒に買った辰年の守り本尊
今でも私の宝ものです。
翌日は強い雨。
子供達が楽しみにしていたディズニーシー。
下郡は前日の無理がたたり微熱があると言うのでホテルで休み、
お母さんと娘さんふたりの3人だけで行くことになりました。
雨の中、嬉しそうなお母さん、そして娘達。
いやあ、すごい雨だった。
短い旅が終わり、羽田空港に家族を見送りに行きましたが、
その時、「じゃあ。」とあっさり別れたのが最後に交わしたことばでした。
「じゃあ。」
ありがとうでもなく、また会おうぜでもなく、じゃあ。
いかにも彼らしいひとこと。
握手するのも変だし、軽く手をあげてそれに応えました。
私は、なんとなく
「ああ、これが最後なのかな」と胸がいっぱいになりました。
その予感は的中してしまい、
わずか3ヶ月後、宮森から電話を貰い、
私は彼のお葬式に出ることになりました。
朝6時の新幹線に乗り、小倉で乗り継いで大分へ。
雨の中の告別式で上の娘さんは気丈にふるまい、
下のお嬢ちゃんはみていられないくらい可哀想でした。
お父さんに書いた手紙を棺に入れているのをただ、
見守るしかできません。
あれからお墓参りに行ったり、
旧友と定期的に会うようにもなり、
25年の歳月が一気に縮んで、
毎年大分の地を踏むことが出来るようになりました。
すべては下郡の「大分合同新聞読んだんだやけどな」が始まりです。
そして、第三幕。
ブログにメールで嬉しい知らせが届きました。
>以前、旅行の時には大変お世話になりました。
>ホノルルマラソンのことをブログでみました。
>都合がつけば参加してみたいと思っております。
>私みたいなのでも参加可能でしょうか?
>よろしくお願いします。 下郡みつき
・嬉しい知らせ
http://ameblo.jp/b-free/entry-10324377570.html
あれから3年。
私のブログにメールをくれたのは下郡の長女、みつきちゃん。
お葬式の時、中学2年生だったあの子が高校生になって、
知らない間に私のブログを読んでくれていて、
ホノルルマラソンに行きたいと言ってくれている。
天国にいる下郡にできることがあるとしたなら、
この夢を応援してあげることだと、そう確信しました。
これが「夢つなぎプロジェクト」を考えた原点です。
私は高齢の方や障害がある方の旅を応援する仕事をしていますが、
福祉の仕事をしているのではなく、
お客さまを応援することで、会社が利益と言うお金をお預かりさせていただき、
その利益を「子供の夢を応援する」形で社会に還元したい。
そう考え、10年会社を運営して来ました。
子を想う親の気持ちは共通。
その気持ちを自分の子供以外にもみんなが同じように向けられたなら。
結婚しているとかいないとか、
子供がいるとかいないとか、
関係なし。
児童養護施設の子供達の余暇支援の活動をするご縁があり、
いつもいつも、そんなことを考えていました。
その応援の方法が、とても身近なところにあったことに気づきました。
私がベルテンポとして旅費を応援しても良いのですが、
それは下郡も良しとはしないでしょう。
出来れば「社会全体で、夢をつなぐしくみ」が作れたらいいなあ、
と思うその第一歩をここでチャレンジできたらな、
と考えてブログでお知らせさせて頂く次第です。
富士山八合目にて
まずは、あなたの夢を聞かせてください。
そして、ひとりの女の子の夢を応援してあげてください。
◆夢つなぎプロジェクト(PDFです)
http://www.goyoutashi.jp/img/yumetsunagi.pdf
◎今回は札幌での開催です。
当日の参加が出来ない方がほとんどだと思います。
代表幹事として取りまとめて下さっている御用達の菅野さんが
当日参加できない方のために「メールであなたの夢を送る」
「CDや音声であなたの夢を送る」「木戸銭を振り込む」など
あなたの参加方法をアドバイスしてくださいます。
菅野さんのブログ
から、
または私のこのブログの右枠にある「お問い合わせ」欄からでも構いません。
あなたとひとりの子供のエネルギーを交換しませんか。
みつきちゃんの応援はもちろん、
あなたの夢を、メンバー全員で応援します。
<3年前のブログより>
・2006年7月22日(土)友人を見送って
菅野ゆかりさんのブログはこちら
から
◆ピータードラッカーの本から抜粋です。
好きなことをすると言うだけでは自由にはなれない。
勝手気ままにすぎない。いかなる成果もあげられない。
貢献もなしえない。
自らのなすべき貢献は何かとの問いからスタートするとき、
人は自由になる。責任をもつがゆえに自由になる。
(明日を支配するもの)
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迷ったときは原点に帰れと良く言われますが、原点とは
スタートラインである「自らのなすべき貢献は何か」との
問いなんですね。ここへ戻れば良いのです。
お客さまが大切と言う事は、見方を変えればお客さまへの
貢献の度合いが大切と言うことです。
貢献が感じられない仕事は不況の中では淘汰されて行く。
逆に言えばお客さまへの貢献が明確な仕事は景気には
左右されることがないのです。
私に出来る貢献は何か。
週末、大きな紙に書いて、練りに練っています。
夢と貢献、は同義語なんじゃないでしょうか。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。