インプットだけでなくアウトプットも大切だ。


大量の情報を頭に入れることは知識として大事だが、


その情報をうまく活用する方法を知っていなければ、その知識も無駄になってしまう。


が、私の場合、その知識もない。


良い大人なのに知識がない。教養がない。


なので、アウトプット以前に、インプットをまずは重要視している。



そのためには、人によって得意、不得意分野がある。


例えば、勉強をするうえで、私は聞くことが得意である。


人の話を聞くのではなく、ラジオで勉強するとかなり頭に入る。



ポッドキャスト(podcast)の「バイリンガルニュース」や世界史のラジオに


はまっており、不思議と頭に入る。


何かをしながらでないと落ち着かないとも言えるかもしれないが、不思議と


頭に入るのだ。


時間を無駄にしたくない精神がここに出るのかな。


昔から、じっくりと見る映画は苦手。時間を無駄にすると思ってしまうから



そういった人の特性はそれぞれあるから、その人にあった勉強の仕方をすればいいと思う。



なので、先生というものをやっていて(ここでは向き不向き、教養の足りなさはおいたとして)、


~メソッド(method)、=コミュニカティブとかイマージョンやら、グラマティカル何とかだとかは


教育業界では、それはすべての問題に当てはまらないということを痛感する。


それは教える者としての安心材料にしかすぎず、知っていていると良い、それこそ教養としての位置づけしかない気がする。


最近ラジオで聞いたのは、英語が苦手な生徒ほど、互いのやり取りの中で英語を学び、知能が高い人ほど?だったっけかな、英語がグラマーで学ぶと良いと聞いた。


それを考えると一クラスに何人ということはもちろん、今自分の隣に座っている人とも脳の構造は大きく異なるのだから、


それこそ~メソッドで統一化できるはずがない。


よって、英語教育に関して「方法論」を書くことはある意味無謀、ナンセンスだと、いまさらながら思う。



と、話はずれたが、勉強方法はそれぞれにあったやり方を見つけるのがセオリーだ。


だからきっかけやtips(こつ)としてだけとらえよう。受験生の人は。