大阪へ向かっております。
古い話だけれどわたしは大学へ5年通った。
いわゆるマスコミ就職のための留年である。
新大阪と西中島南方のあいだに、関西や西日本のテレビ局ラジオ局では知らない人のいない「生田教室」というすごいアナウンス学校がある。
そこへ通っていた。
週に2回、確か18時から21時まで3時間の授業なのだが、例えば18時10分前に教室に着くと叱られた。なぜか。
16時には席に着き、発声、発音、朗読の自主トレをしてから初めて授業に臨まなければいけないという暗黙のルールがあったのだ。
兵庫県生まれで、高知育ちのわたしは、標準語を話したことがなかった。
ベタベタの関西弁しかDNAにないにも関わらず、アナウンサーを目指してしまった。
教室へ通うのが就職試験の直前の1月だったので、受験はことごとく失敗した。
同級生が地方局へ受かったり、諦めて辞めたり、進路を決める中、
生田教室というところは、あえて就職留年してアナウンサーになる道があることを教えてくれた。
そうやって局に合格した先輩が過去にいたのだ。
わたしは1歳年下の後輩達と同級生になり、大学へ籍だけ置いて、生田教室と心中する思いで通った。
あの頃の浪人感にはもう二度と戻りたくないけれど、自分は何者として生きるのか。
いちばん人生を真剣に考えた気もする。
ひとつ間違いなく言えるのは、
生田博巳先生と石川楊子先生がいなければ、わたしはアナウンサーとして自分の社会人人生をスタートさせることはできなかった。
生田先生亡き後も遺志を継いでずっと生田教室の魂を繋いでくださったのが石川楊子先生だった。
その石川先生がなくなった。
今、吹田の告別式に向かっている。
今日の富士山はいつになく美しく堂々としていた。
石川楊子先生のご冥福をお祈りします。
放送とは何か常に問い続ける哲学を持ちながらそこで仕事をする職人を育てるすごい教室が大阪にある。
本当にすごい先生方でした。
2人のすばらしい恩師に恵まれたことをどれだけどれだけ感謝してもしきれません。
先生、ありがとうございました。合掌。
ベジアナ小谷あゆみ