あやたん、中学を卒業。

明日の命は繋がるのか、と不安しかなかったあの小さな小さな赤ちゃんが、義務教育を終わりました。


しかも、先生方がびっくりするほど病欠がほとんどなかった。ほんと逞しく育ってくれた。





兄ちゃんと同じ地域の中学校で、3年間、よくがんばったと思うし、受け入れてくださった学校には感謝しかない。




1年生の終わりがけの突然の全国一斉休校。


休校が明けた後も、コロナ禍の学校生活は継続。つまり、中学生活の三分のニがコロナ禍の中だったと言うことになる。


休校が明け、二年生に上がり、はてさて感染対策はどうしたものか。あやたんは、過敏でマスクができない。(そもそも世の中からマスクはなくなったし)


この時は、世の中、みんな、手探り状態だったと思う。今でこそアクリル板も当たり前になったけど、その時は物もあまりなく、ビニールシートとハンガーラックでこんなものを作って学校に持ち込んだりもして、二年生をスタート。





それでも、感染状態はどんどん大変なことになり、給食はもちろんはじめ、クラスで過ごす時間は減り、ほとんどを特別支援学級で過ごすことになった。



登下校時間も昇降口で密にならないよう、他の生徒さんと重ならないように時間をずらしたり…。


二年生は、体育祭も、合唱コンクールも中止になってしまったけど、なんとか修学旅行は行くことができた。(感染対策のためついて行っちゃったしね)




三年生になると特別支援学級の担任が変わった。男の先生だったけど、あやたんにとっては、とてもよかったようで、ほんとによく声、言葉が出るようになった一年になった。


校長先生曰く、校内を歩行器で歩く姿は、「おじいちゃんと孫」のお散歩で微笑ましかったとかなんとか笑




身体も3年間でびっくりするほど大きく変わった。


身長も(立てないので正確なところが分からないけど)、20センチ近く伸びたのではないだろうか。


麻痺があるので、着替えやすいようにかなりダブダブのサイズで作った制服も体操服も、ピタピタサイズになってしまっていた。(あと、1か月卒業が後だったら、もう完全に着れなくなっていたかも、というぐらい)


そして、一気に身長が伸びたことで、側弯が手術も視野に入れなければいけないレベルになり、ハムストリングが硬くなり膝が伸びなくなり立位がかなり辛くなるという、身体面で新たな課題も出てきてしまった。


年齢に対して小さな小さなあやたんにも、もれなく成長期がやってきた中学3年間だった。



制約がたくさんになってしまった3年間だったけど…

クラスに行ける時間も圧倒的に減ってしまったけど…


姿を見かけたら遠くから、

吹き抜けの上から昇降口に向かって、


「あやたーん」と声をかけてくれるクラスメイトの存在は、本当にありがたかった。


卒業式のあと、あやたんの車椅子のテーブルを見て、「あれ???」。あやたんの名前ではないシールが貼ってある。



あとで聞いたら、「俺のこと忘れんなよー」って、(おそらく棚かどこかに貼ってあった名前シール)を、ここにペタッと貼っていった子がいたと先生から聞いた

(感染対策のため、卒業式後のホームルームも保護者は教室に入れなかった)


学ランのボタンならぬシール(ってあやたんが要求したわけじゃないけど)



あやたん、4月からは女子高生。

新しい環境で、また親子でがんばります。