人生ゲーム | ひとにぎりの星の下で

ひとにぎりの星の下で

空の神秘について、ひと一倍興味があるのに、天体のことを何一つわかっていない。でも、夜空の星を見上げるときはわくわくする。地上のみんなに幸せが降り注ぎますように。
短編小説とエッセイを、載せていきます。

人生ゲーム

                                向島けい
    1 



助手席で綾子が吐き捨てるように言った。

「ちょっとぉ、エアコンつけてる?」

団扇代わりに帽子をパタバタさせながら、ウィンドウを全開にした。

「開けんなよ。つけてるんだからさぁ」

暑いはずだ。もうかれこれ一時間、渋滞にハマっている。


7月の強い日差しは、片側2車線の国道16号線のアスファルトを、容赦なく、照射し、熱気がそのまま動く気配のない車内に上がってきている。

この日のデートのために、綾子の実家の自家用車を借りた。10年以上も前の大衆車である。エアコンがイカれていても不思議ではない。
さいたま西部の市街地に彼女の実家がある。そこを出てすぐに16号線にはいり横浜方面へ向かっている。

綾子とは大学生の頃から付き合い始めて6年になる。短大だった彼女に2年遅れて、僕は社会人になった。
お互い学生だった頃は、毎日のように会っていた。それが、彼女が大手保険会社の事務職に就職してからは週末だけになった。
その後、綾子は会社をやめ、一人暮らしを始めた。役者を目指して劇団に入るためだった。ちょうど1年前のことである。そして、それからは月に一度、会うか会わないかの状態が続いていた。

「なんで、16号なの?」
「このまま南で横浜じゃん。ほかにはないだろ」
「関越で首都高経由の方が速かったんじゃないの」

一瞬、胸の奥が乱れた。なぜ、そんなルートを知っているだ。綾子は車にうとい。これまで、数えるほどかドライブをしたことはない。首都高という発想が彼女から出るはずがない。
僕は、口からでかかっていた疑問を飲み込み綾子を見た。
助手席の窓越しに、路肩に止まっているオープンカーが見えた。若い4人の男女が乗っていた。後部座席の2人は、立ち上がっていた。

「なんか、人生ゲームみたいだな。あの車」
「本当だ、オープンカーは2シートだよね。やっぱり」
ケタケタと笑って綾子は言った。

胸が、また、騒ぎだした。

「いつか、オープンカー買いたいな。外車の」
「馬鹿じゃない。最近の若ものは堅実だから、そんなことにはお金を使わないのよ」

(おまえを狙っている男は自由になる車を持っているんじゃないのか)

僕の胸のざわめきが、そう訴えていた。

「あのさ、哲也。」
人生ゲームの車を見たまま綾子が、改まったように言った。
「ん?」
「今月、家賃代貸してくんないかな。」
「えー。バイトはどうしたの?」
「今度の芝居の練習があってさ、あんまり出られなかったんだよね」
「マジかよ、ありえないだろ」
「おねがい」

横浜の海の上の雲は、すでに、茜色にそまっていた。








    2



綾子は劇団の舞台で、少しずつ役をもらえるようになっていた。
それにつれて、練習の拘束時間も増えていた。

「あのさ、今バイト割りに会わないからさ、夜キャバクラやろうかと思ってんだけど」

と突然言われた時は、さすがに、驚いた。

あの横浜ドライブ以来度々、綾子はお金を無心してきた。
短大のときの友達とヨーロッパ旅行、保険がきかない歯の治療、自前で芝居の衣装を買わなければいけない、などなど。
理由は様々だが、その都度、僕は少なくない金額を渡していた。
そんな矢先の彼女の発言だった。

「そんなにお金が必要なら、実家に帰ればいいだろ」
「わかった、そうする」

あっさり即答されて、拍子を抜かされた。

綾子は実家近くの主要駅の繁華街にあるキャバクラで働きだした。それからというもの、僕たちのデートの場所はそのキャバクラになった。

「おまえはオレのこと、商売の道具としか考えてないだろ!」
「私のこと大切に思うんだったら、助けてくれたっていいでしょ」

この会話を最後に、お互いの連絡は止まった。






    3



夢を見るようになったのは、半年もしてからだろうか。
学生時代、つきあい始めて間もない頃の夢だ。喧嘩や言い合いは、数え上げたらきりがない。
それでも、楽しいことや嬉しいこともいっぱいあった。綾子の笑顔や怒った顔はいつでも思い出すことはできる。
しかし、夢に出てくる彼女は、毎回、淋しそうに俯いていた。

深夜、また、その夢に起こされた。
僕は、自転車置き場の奥でホコリをかぶっているオートバイを引っ張りだした。学生時代に乗っていたものだ。
セルボタンを押した。力ない音でエンジンは始動を拒んだ。キックペダルを出して、ステップから立ち上がって、大きく足を振り下ろした。7回目で、マフラーから白い煙をモクモクと出しながら、僕のオートバイは目を覚ました。
夏の夜のじっとりとした空気の中、環状8号線を北に上り、新青梅街道を西に向かって走った。
600cc単気筒の音は郊外の夜にとっては爆音だ。幹線道路から細い道に入る手前でエンジンを止め、そのまま惰性で彼女の家の前まで行った。
暗闇の中、2階の彼女の部屋だけが静かに光っていた。約束どおり、小石をひとつ拾い、窓に向かって投げた。 学生時代と同じように。

窓の奥の影がはっきりと現れた。
長身の若い男のシルエットが周りを見渡した。

僕はとっさにエンジンをかけ、静まりかえる住宅街の中を走り去っていた。



     4



メールの着信音が鳴った。 綾子からだった。

『舞台、観に来てください』

添付されていたチラシの画像には『R15指定』の文字があった。
着物の裾をはだけて妖艶に横たわっている女性が綾子ではなかったことに、なぜか、ほっとした。

小さな劇場は満員御礼状態だった。観客席の一番後ろにパイプの補助いすを出してもらった。
休憩を挟んだ後半、三角巾をかぶった割烹着姿の女中役で綾子が出てきた。
セットの階段を降りてきた彼女は、舞台中央の後方から橙色のライトを照らしたスクリーンの中に入っていった。
スクリーンには綾子の影が大きく写っていた。
影は衣服を一枚、また一枚とゆっくり脱いでいった。
そして、横からの乳房から乳首先端までのラインのシルエットが、両側ともくっきりと映し出された。
それと同時に男優が、スクリーンに入って、二つの影は混ざりあってゆらゆらと動き出した。

かつて16号線でざわつき始めた胸の中は、オートバイを走らせた夜に整理したはずなのに。今再び、暴風雨となって暴れまくっている。

そのまま僕は、舞台袖近くの出口から、そっと、外にでた。





    5



繁華街の中をどれだけ歩いたのか、わからない。
熱いものがこみ上げてきて、車のヘッドライトや信号が、カラフルな提灯のように膨らんでゆらゆらしていた。
横断歩道の信号は青変わった。渡る理由も気力もなく立ちすくんで、『誰か助けて』と、音を立てて崩壊し続けている胸の奥で叫んでいた。

右側から外車が、派手にタイヤを鳴らして歩道前で止まった。まぶしいくらいのイエローのロータス・エリーゼ ロードスターだった。

「いつまで落ち込んでんのよ」

さっきまで、舞台の上から聞こえていた声がした。

「さっさと乗りなさいよ。」

「綾子…」
「あんたの車よ。 わけわかんない、もう。
 なんでエアコンないのよ、この車! ハンドル重いし」

右側に回って、僕は助手席に座った。
綾子は信号青をフライング気味に発進させた。

「この前、夜。うちに来たでしょ」
「なんで...」
「うちのイヌが尻尾ふって吠えるのよ、いまだに。あんたのバイクの音がすると」
「いや、なんで、男が」
「勇太よ、わかんなかったの? 弟!」
「えっ?あんなに小さかったのに」
「もう、中3よ。部屋交代したの」

大橋ジャンクションから首都高に入り、綾子は車を加速させた。声が自然に大きくなった。

「4人乗りだからね。文句いわないでよ。だから、子供は2人までだからね!」

ロータス・エリーゼは首都高を羽田方面へのレーンを走行していた。
さっきとは別の涙があふれてきて、風で目尻の横に伝った。

「どこに向かってんだよ」

「さあね、何個かふりだしに戻ったけど
  …
 今は、ゴールかな。」

前方に、滑走路のランプが見えてきた。

(了)

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