【文化大革命も一因?】良き文化失った中国、頭脳と富は流失、残るは無恥な人間… | あやあやのふらふら旅行記

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まさか、この3連休にこんなネガティブな記事を書き続けるとは思ってもいませんでした。

しかし、それだけ強烈な印象を受けたニュースが多かったものですのでご容赦ください。

明日からは通常の旅行ブログに戻る予定です。



中国人は民度が低いといいますが、msnにこのような記事がありました。


<中華ボイス>良き文化失った中国、頭脳と富は流失、残るは無恥な人間…―中国ネットユーザー


中国はかつてさまざまな優れた文化を持ち、礼節や漢字といった文化は周辺諸国に大きな影響を与えた。


しかし現在の中国は政治や環境、食品など悪いイメージの方が強い。


だからなのだろうか、中国からの人材の流出が止まらず、昨年国家情報センター予測部は人材の海外流出数が約80万人に達し世界最多になったと明らかにしている。



2012年9月8日、中国のネットユーザーは、「中国がかつて持っていた優れた文化は今や国内で感じることは難しい。


しかしそれらの文化は周辺諸国にわたり今なお生き続けている。

たとえば礼儀文化は日本で見ることができ、伝統的な祭日文化は韓国で生き続けている。

美しい文字は香港や台湾に受け継がれ、最も優れた文化は台湾に息づいている。一方で失われたのは


文化だけではない。中国のすぐれた頭脳は米国に渡り、富を手に入れた者はカナダに渡った。良識を持った人間は監獄に入れられ、無恥な人間が表舞台で国を蝕んでいる。


さらに次世代を担う子供たちへも悪影響が及び、我々の将来を担う希望は事故が絶えないスクールバスに押し込まれ、毒入りのミルクを飲んでいる」と中国の現状に憤慨し将来を憂慮する意見を発表した。


かつて礼節の国と言われた中国がなぜ今の様なことになったのでしょう。


その一つの原因に文化大革命があると思います。

以下ウィキペディアより引用。


文化大革命(ぶんかだいかくめい)は、中華人民共和国で1966年から1977年まで続いた、「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という名目で行われた改革運動。


★概要

文化大革命のきっかけとなったのは毛沢東が劉少奇からの政権奪還を目的として林彪に与えた指示であり、これに基づいて林彪が主導して開始されたとされている。

その後、林彪と毛沢東の間に対立が生まれ、林彪による毛沢東暗殺未遂事件が発生(林彪事件)。林彪は国外逃亡を試みて事故死するが、彼の死後も「四人組」を中心として、毛沢東思想に基づく独自の社会主義国家建設を目指し、文化大革命が進められた。

しかしながら、実質的には中国共産党指導部内の大規模な権力闘争であり、これが大衆を巻き込んだ大粛清へと発展していった。

文化大革命においては、まず共産党指導部に煽動された暴力的な大衆運動によって、当初は事業家などの資本家層が、さらに学者、医師、弁護士などの知識人等が弾圧の対象となった。


その後、弾圧の対象は中国共産党員にもおよび、多くの人材や文化財などが甚大な被害を受けた

文化大革命による行方不明者を含めた犠牲者数は、推計で数百万人から1000万人以上といわれている。


★殺戮と弾圧

文化大革命中、各地で大量の殺戮が行われ、その犠牲者の合計数は数百万人から1000万人以上ともいわれている。

またマルクス主義に基づいて宗教が徹底的に否定され、教会や寺院・宗教的な文化財が破壊された。

特にチベットではその影響が大きく、仏像が溶かされたり僧侶が投獄・殺害されたりした。

内モンゴル自治区においても権力闘争に起因し多くの幹部・一般人を弾圧、死に追いやった内モンゴル人民党事件が起こったほか、旧貴族階級などの指導階級を徹底的に殺戮した。

毛沢東の1927年に記した

革命は、客を招いてごちそうすることでもなければ、文章を練ったり、絵を描いたり、刺繍をしたりすることでもない。

そんなにお上品で、おっとりした、みやびやかな、そんなにおだやかで、おとなしく、うやうやしく、つつましく、ひかえ目のものではない。革命は暴動であり、一つの階級が他の階級を打ち倒す激烈な行動である。


★吊るし上げ
「批判闘争大会」と呼ばれる吊し上げは町の広場やスタジアムで大勢の群衆を集めて行われた。

批判される者に対して「反革命分子」のプラカードと三角帽をつけさせ、「ジェット式」と言う椅子に立たせて上半身を折り曲げる姿勢を数時間とらせた。

その間に罵詈雑言を浴びせたり、墨を頭からかけたり、頭髪を半分剃りあげるなど肉体的精神的に痛めつけた。中には長時間の暴行に及ぶこともあった。

また、辱めをあたえることもあり、1967年4月、劉少奇夫人の王光美は外国訪問の際に着用した夏用の旗袍を無理やり着せられた上にピンポン玉のネックレスを首からかけさせられ、ブルジョワと非難された。


当時の中華人民共和国の新聞は、毛沢東語録の引用や毛沢東の写真に占領され、その新聞を焚き点けに使ったり尻に敷いたことで吊るし上げられた者が多数いた。

★旧文化の破壊
紅衛兵らは旧思想・旧文化の破棄をスローガンとした。そのため、中国最古の仏教寺院である洛陽郊外の白馬寺の一部が破壊されたり、明王朝皇帝の万暦帝の墳墓が暴かれて万暦帝とその王妃の亡骸がガソリンをかけられ焼却されたりした。


陶磁器や金魚、月餅など古い歴史をもつ商品の生産や販売まで「旧文化」とされ、職人や関係者は帝国主義者として吊るし上げられた。景徳鎮の窯や浙江省の養魚場は破壊され、陶磁器が割られたり金魚が殺されたりした(一方で毛沢東などの指導者層は景徳鎮産の陶磁器を愛用した)。

文革の結果こうした伝統産業は壊滅的打撃を受け、その歴史は断絶。生産手段や技術もほとんど失われたが、文革後一部では日本の関連業界や生産者の支援で再興されている。


古くからのしきたりも廃止されたほか、麻雀や闘蟋(とうしつ)などの賭けを伴うゲームも禁止された。

博物館の館員や美術店の店員は文化財を破壊活動から守るために、文化財に毛沢東の肖像画や語録を貼り付けて回ったという。そうすることで紅衛兵も破壊活動に出られなくなったという。←このやり方って尖閣は中国のものって紙を店頭に貼ったユニクロが受け継いだ?

なんだか、中国人って昔からやっていることはたいして変わりはない気がします。

結局は、自国の知識人や文化人を自分たちの手で徹底的に粛清して、残った国民は…。


焚きつけられると瞬間湯沸かし器のように沸騰する、GDP世界第2位というプライドだけは高い中国人の出来上がり…と言ったところでしょうか。






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