伊勢神宮の鬼門を守り、奥の院ともいわれている
『朝熊岳・金剛證寺』。
「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」という言葉もある様に、伊勢参りをする度にずっと気になっていたお寺です。
正式名称は、朝熊岳勝峯山兜率院 金剛證寺。
ただ伊勢は、伊勢神宮はじめとしたお参りする場所があまりにも多く、これまで朝熊岳は気になりながらもなかなか行くタイミングが無いままでした。
先日、名古屋のある会で講演に呼ばれた翌日、知多半島に住む友人と会うことになり、急遽、車で伊勢まで行く事に。それも私のリクエストで、朝熊岳へも行ってくれるというのです。
「アヤさんは伊勢参りの順番にこだわりますか?」と聞かれ、私は今は全くこだわらない、と返答すると、
「それなら、せっかくなので、まずは最高に美味しいお昼ご飯を食べてからにしませんか?」
ということで、名古屋から真っ直ぐ向かったのは、鳥羽の海が見える素敵なレストランでした。
鳥羽の海が目の前に広がる中、
極上のタイシーフードカレーがサーブされ…
その美味しさと共に、驚きのスタートでした。
これまで、伊勢参りというと、まずは二見ヶ浦の
二見興玉神社へ行き、外宮、内宮とお参りをして、お昼は、その途中で伊勢うどんか、てこね寿司か…というのが通例。鳥羽や志摩方面は、伊勢でのお参り終えてからお宿として向かう場所、という認識でした。
それが、真っ先に鳥羽で、それもシーフードカレーを食べるだなんて、あまりにも新鮮で素敵で、ビックリです。おすすめのチーズケーキのデザートまで楽しんだ後、いよいよ目的地である朝熊岳へ。
朝熊岳は、伊勢志摩国立公園の最高峰、海抜555m。
途中の有料道路からは、伊勢志摩の海岸線と
連なる山並みが交互に現れ、
素晴らしい景色
中に一本入ると、そこが伊勢だということを完全に忘れる風景が広がっていました。
朱塗りの太鼓橋は連珠橋。
奥の建物は『雨宝堂』というもので、中には雨宝童子像(国指定重要文化財)が祀られていたのだそうです。この像は、弘法大師・空海が朝熊岳で修行中、天照大神の16歳の御姿を感得して製作したものと伝えられており、現在は宝物殿で拝めるようです。
✳︎金剛證寺 宝物殿 データベース 写真より
さて、金剛證寺の創建は欽明時代(6世紀後半)、暁台上人によって開かれたと伝えられています。
欽明天皇といえば、仏教を日本に迎え入れた天皇でもあり、歴史の深さを感じます。
先ほども明記した通り、このお寺にゆかり深い弘法大師・空海は、
天長二年(825)真言密教の根本道場をここに建て、本尊に福威知満虚空蔵菩薩を祀り、勝峰山兜率院金剛證寺と称したのです。
鎌倉時代末期には、雲海上人なる人物によって中興され、戦国時代には熊野灘一帯の水軍を勢力下に置いた「海賊大名」の異名を持つ九鬼嘉隆が、鳥羽城築城の地鎮と安全の祈願も行っています。
その後、無住の時代が続き、真言宗から臨済宗に改宗され、現在は臨済宗南禅寺派のお寺となっています。
さて。
このお寺の本尊である『福威知満虚空蔵菩薩』ですがどの様な仏様かというと、
日本三大虚空蔵菩薩の第一位とされるそう。
丑寅の守り本尊は、虚空蔵菩薩。寅年の私、丑年の夫共に、とても身近に感じる仏様が虚空蔵菩薩なので、その日本第一位の虚空蔵菩薩となれば、これはしっかりお参りしなければ…と気持ちが引き締まります。
『福威知満虚空蔵菩薩』
すなわち、福徳・威徳・智徳の三徳を具え、求めに応じて御利益を与えてくださるのだとか。
福徳とは、福徳円満な幸福。家内安全、無病息災、商売繁盛、社運隆昌など。
(これ、大事ですね!!)
威徳とは、威厳があって徳が高い円満な人格。
(これ、凄く大事ですね!!)
智徳とは、虚空蔵菩薩のご真言「ノウボウ アキャシャキャラバヤ オンアリキャ マリボリソワカ」を唱え続けると、記憶力が増し教養を得られ大願成就する。
(これ、難しそうですね!!)
いずれにせよ、大変ありがたい仏様が祀られていました。
✳︎金剛證寺 パンフレットより
奥の院にも行きたかったのですが、この後伊勢神宮正宮にだけは行きお参りをしたかったので、次回、また伊勢に来た時には、朝熊岳奥の院ももお参りしたいと思います。