「平清盛」45話【以仁王の令旨】/〜松ケン、現実逃避のお相手は木村多江! | どら☆ぶろ〜テレビドラマ感想ブログの決定版

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松ケン、現実逃避のお相手は木村多江!
「治承三年の政変」を経て、益々強大となった松ケン(清盛)の暴走は止まらず、平家の暴虐ぶりも一層増す。その平家のやり口に、柿澤勇人(以仁王)はとうとう平家追討の令旨を出す。
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松ケンの暴走に「待った」がかかった!

◎あらすじ(ネタバレあり)
「治承三年の政変」にてこの世の頂きに立った清盛(松山ケンイチ)。福原(神戸)に居ながら、京での政治を思いのままに操る。
清盛は平家の血を汲む天皇・安徳帝を定位に就け、譲位した高倉院(千葉雄大)の譲位後初の参詣先を自らの擁護する厳島へと決定する。
平家では、重盛(窪田正孝)を喪い、宗盛(石黒英雄)が暴君と化した棟梁となっていた。
世では、暴走する清盛と、天狗になった宗盛への不満が募っていく。
その不満は平家一門内にも出始める。
福原で、清盛は仏御前(木村多江)と出会い、心を惹かれる。

そんな中、「治承三年の政変」で領地の召し上げなどで最も被害を被った以仁王(柿澤勇人)は、源頼政(宇梶剛士)に接近し、諸国の源氏に向けて「平家打倒」の令旨を出す。

そして、伊豆の頼朝(岡田将生)は以仁王の令旨を受ける。
また、義経(神木隆之介)は奥州平泉の藤原秀衡(京本政樹)の元で、来るべき源氏の決起に備え、武芸の鍛錬を行なっていた。


◎みどころ

松ケン、現実逃避のお相手は木村多江!

◯おもしろポイント
松ケン、現実逃避のお相手は木村多江!
起承転結の「結」まで来てしまった大河ドラマ「平清盛」。
ここ2~3回で一気に老けこみメイクで「老い」「凋落」を表現してきた。(42話の「鹿ヶ谷の陰謀」を終えたあたりからかな)
でも、ここにきてやってきたのは木村多江こと「仏御前」。
松ケンはいきなり現れて舞を舞った木村多江に、若き日の「遊びをせんとや生まれけむ」という、清盛の野心の根源である歌を見出した。
老いて、凋落し、暴走する(ワガママおじいさんみたいだ)松ケンから多くの人が離れていく。
加藤浩次(兎丸)、窪田正孝(重盛)、松田聖子(祇園女御)などなど。
多くのものを失い、欲の固まりとなった老いた松ケンの前に現れたのが、幼き頃の原点を連想させる木村多江。
政治の表舞台では「老い」を見せながら、プライベートでは「幼き日の原点」にふける。
その対比、清盛の胸に生まれはじめた現実(老いと凋落)と逃避(木村多江とのお遊びに映される若き日の理想や野心)の新たな「葛藤」が、ドラマ自体の「結」の部分でまた魅せる。
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老けメイクで「現実には老いた」松ケン

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「幼き日の理想・野心」を連想させる「現実逃避」のお相手木村多江



◯ツッコミポイント
ダメ息子、石黒英雄!
窪田正孝(重盛)が亡くなり、石黒英雄(宗盛)が平家の棟梁となった。
宴ばっか催して、深田恭子(時子)に叱られるが、
「正妻の子である自分のために死んでくれた窪田正孝に感謝する宴だ」とか言って、深田恭子を落胆させる。
そして、部下の大切にしている馬(馬は当時財にも、武力にもなる貴重な存在)を借りパクし、粗末に扱う。
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演技とはいえ、見事な「ダメ息子」っぷりです



◎雑感
木村多江に心を惹かれた松ケン
しかしながら、このドラマ「低視聴率」で大問題らしい。
個人的には好きなだけに、「何で数字が低いのか」を考えてみた。
「ドラマの内容がよくわからなかったのだけど、このブログで内容がわかった」という、ありがたい(「ドラマ」としてはそれでは良くないけど)コメントを何度か頂いたことがある。
なぜわかりにくいのか。
例えば今回の話を振り返ってみると。

老けメイクの松ケン(清盛)の前に現れて歌を歌ったのは、幼き日を連想させる木村多江(仏御前)。木村多江の歌の中に、松ケンの象徴である「遊びをせんとや~」の歌が流れる。
そして、木村多江との寝所のシーンの裏で岡田将生(頼朝)が「平家追討」の令旨を読んでいたりする。
また、松ケンが白拍子と戯れている間に、柿澤勇人(以仁王)が令旨を書いていたり、石黒英雄(宗盛)がヘンな宴を催していたりする。

そう、次々シーンが変わるこの「平清盛」という大河ドラマ。
「何言ってるのかよくわからない」と言われるのは、登場人物の多さや複雑さに加えて、「次々シーンが代わって、しかも同時進行が多い」というところだろう。

「清盛がオンナと遊んでる間に、裏では平家追討の謀が行われている」という映像効果は、脚本技術で「カットバック(※後述する)」と言われる。
「平清盛」は45分の中で「カットバック」がやたら多い。

「カットバック」は1時間ドラマでは基本的に2回が限度だと私は考えている。
そうしないと、「画面がコロコロ代わってついて行けない」視聴者が続出する。
通常「カットバック」は、臨場感や切迫感(ドキドキ感やワクワク感)を出すために非常に効果的な技法。
でも、清盛では「カットバック」が使われすぎている。
今回も、ざっと思い返しただけで5回は使ってた(ざっと思い返すだけで5回だから、脚本ではもっと使ってる可能性大)。
効果的な手法も何回も使うと逆効果になる。(だから「よくわからない」という人が続出する、このドラマ)
「必殺技」を何度も使ったら、それは「必殺技」ではなくなるのと同じように。

「カットバック」に限らず、「モンタージュ(※次回以降説明する)」等の非常に技術の精を尽くしたこのドラマ。(脚本書いたことのある人とかなら、どれだけスゴいかわかるとは思う)
でも、技巧的すぎて、視聴者に伝わっていない。
残り4回も技巧的なのかな。

※「カットバック」とは・・・時間や空間の異なるシーンを交互に見せることで、「ドキドキ感」「ハラハラ感」を効果的に魅せる技術のこと。
例:シーンA「未来の話をするカップルの男女」、シーンB「カップルの女性の肉親が”女性の余命はあと半年”と医師に宣告される」を交互にABABと映し、「未来を話す2人の幸せそうな姿」と「実は女性は余命半年という残酷な現実」という別々のもの(このAとBは間逆だとより効果的)を連続して見せることで、視聴者に「何てかわいそうなんだ」と感情移入させる。