【書評】思考の整理学 | 知磨き倶楽部 ~ビジネス書で「知」のトレーニングを!~

【書評】思考の整理学

「2008年に東大・京大で1番読まれた本」という宣伝文句が帯に踊っている。

初版が1983年(文庫本の初版は1986年)の本がどうして?という疑問を持ちつつ、僕は学生時代にはその存在すら知らなかった本書を漸く手に取る機会に恵まれた。



昨今流行の分野を確立している「思考法」「知的生産法」のルーツとなっているかのような内容だ。


もちろん、書かれてから改訂はされていないので、インターネットの登場という思考や知的生産に関する劇的な変化について全く考慮されていない。

したがって、具体的なメソッドを求めて本書を読むのは間違いである。

四半世紀の時を越えて、今尚揺るがないその考え方を汲み取りたい一冊。

本書を読んで昨今の売れ筋「思考法」「知的生産法」を読めば、より一層有用なものになると思う。



少し長くなるけれど、心に留めておきたい箇所を紹介させていただきたい。

思考や知識の整理というと、重要なものを残し、そうでないものを、廃棄する量的処理のことを想像しがちである。もちろん、そういう整理もあるけれども、それは、古い新聞、古い雑誌を、置場に困るようになったからというので、一部の入用なもの以外は処分してしまうのに似ている。物理的である。

本当の整理はそういうものではない。第一次的思考をより高い抽象性へ高める質的変化である。いくらたくさん知識や思考、着想をもっていても、それだけでは、第二次的思考へ昇華するということはない。量は質の肩代わりをすることは困難である。(p.77-p.78)


思考の整理には、忘却がもっとも有効である。自然に委ねておいては、人間一生の問題としてあまりに時間を食いすぎる。それかといって、生木の家ばかりいくら作ってみても、それこそ時の風化に耐えられないことははっきりしている。

忘れ上手になって、どんどん忘れる。自然忘却の何倍ものテンポで忘れることができれば、歴史が三十年、五十年かかる古典化という整理を五年か十年でできるようになる。時間を強化して、忘れる。それが、個人の頭の中に古典をつくりあげる方法である。

そうして古典的になった興味、着想ならば、かんたんに消えたりするはずがない。

思考の整理とは、いかにうまく忘れるか、である。(p.127)


さて、僕は正しく思考の整理ができているだろうか。

ツールを使った方法論ではない、こうした原理原則を捉えていきたい。



正直なところ、本書が「2008年に東大・京大で1番読まれた本」になった理由は分からなかった。

(どうやって「1番読まれた」を調べたのかも分からなかったけれど、学内書店での売上げだったりするのだろうか・・・。教科書になっていたというオチはないよね・・・。)


しかし、悪いことではない。

具体的なメソッドを抱負に提供してくれる本がたくさんある中で、こうした時を越えて読むに耐える「古典」が読まれることに、寧ろ安堵さえ覚えてしまうのは、歳を取った証拠なのだろうか・・・。


既に100万部を突破している本書は今更お薦めするまでもないだろうけれど、僕のように「機会がなくて」手にとっていなかった人には、是非機会を作ってもらいたい。



【基礎データ】

著者: 外山滋比呂

出版社: 筑摩書房(ちくま文庫) 1986年4月

ページ数: 223頁

紹介文:

アイディアが軽やかに離陸し、思考がのびのびと大空を駆けるには?

自らの体験に則し、独自の思考のエッセンスを明快に開陳する、恰好の入門書。


考えることの楽しさを満喫させてくれる本。

文庫本のあとがきに代わる巻末エッセイ”「思われる」と「考える」”を新たに収録。


思考の整理学 (ちくま文庫)
外山 滋比古
筑摩書房
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