毎週毎週、飽きもせずにアウェイスタンドへ通う。

千円札2枚で、北は札幌から南は熊本まで、日本全国のフットボールに触れることが出来る空間がそこにはある。

きっと10年経っても20年経っても、私はアウェイスタンドに足を運び続けるだろう。




 と、思っていた。




 気がつけば1ヶ月間、更新が滞っていた。

下書きのまま放置された記事が、2つ、3つ…。


 どうしたオレ。


 毎週欠かさずスタジアムへ足を運んだ。

どの試合にも、新たな発見、新たな失望、そして新たな感動があった。

書きたいネタなら、いくらでもあるはずだ。


 なぜ、キーボードを叩く指が、いちいち止まる…。




 仕事帰りの快速電車。




 ついに、気付いてしまった。




 これは、もしかして、ひょっとすると、いや、間違いない、でも、そんなはずは…。













 恋をしている。













 わ~た~し~こ~いを~して~いる~♪♪


 せ~つな~い~く~らい~♪♪


 も~ぉか~く~せ~ない~♪♪ このせ~つな~さは~♪♪







 いやいや、歌ってる場合やないって。

なんせ、熱愛発覚のそのお相手は、いつも一番近くにいて、でも絶対に恋愛対象ではないはずだった、あいつ…。




ヴィ・・・




ヴィ・・・




ヴィ・・・





ヴィッセル神戸(っ´∀`)っ






 

 なんとなく彼女が欲しくてしゃーなかったから告ったわけでは、決してない。


 生まれも育ちも神戸やとか、そんなん全然関係ない。


 むしろあんな楽天の宣伝広告みたいなユニフォーム着せられたヤツらなんて・・・。




 そう、ただヤツらがにわかにいいサッカー、つーか自分の好きなサッカーをやり始めただけ。

ちょっと右サイドバックのビツこと石櫃洋祐のアーリークロスに惚れただけ。

ホンマにほんのちょっと、大久保嘉人のキャプテンシーに惚れただけ。

ホンマにホンマに、ちょっと、ちょっとちょっと松田浩監督の男気に惚れただけ。

 

 そうそう、それがたまっっったま地元すぎる地元、神戸のチームだっただけ。







 とりあえず、来たる5月18日、日曜日。

自分の気持ちを確かめるため、いざホームズスタジアム神戸へ。






 次週、どうなる? 「AWAY!」…。








 前半ロスタイム、アウェイスタンドが静まり返る。


 ペナルティエリア内でヴィッセル神戸のMFボッティが倒されたとして、神戸がPKのチャンスを得る。

それまで必死に神戸の攻撃をしのぎ続けてきたコンサドーレ札幌にとっては、まさに痛恨の一撃。

キッカーはボッティ、対する札幌のゴールキーパーは、25歳、高木貴弘。

フィールドプレイヤー(一般的にゴールキーパー以外の10人を指す)の場合、25歳という年齢は最も脂の乗ってくる、いわばそれだけで一つの武器となり得る完全なプラスの要素であるが、ゴールキーパーに限っては少しばかり事情が違う。


 広いフィールドを一番後ろから誰よりも冷静に見る事が出来るゴールキーパーには、技術に関しては勿論のこと、何よりも高いキャプテンシーとコーチング能力が求められる。

つまり、他のどのポジションよりも“経験”がものをいう世界なのである。


 そんな世界において、25歳という年齢は決して武器ではない。

PKの判定が下った瞬間、高木貴弘という男を全く知らなかった私は慌てて選手名鑑を開いた。


 「1983年生まれか・・・こんな若いキーパーにPKやらせたらかわいそうやで」


 思わずそうつぶやきながら顔を上げる。

ボッティがゆっくりと助走を始め、ボールの少し外側を力強く蹴り上げる。


 


 大歓声と共に鳴り響く長いホイッスル。前半終了。




 そういえば、オレもこいつらも同じ社会人やねんな。

ハーフタイム、そんな当たり前すぎることに、初めて気付いた。

仕事をして、それに見合った給料をもらう、同じ一社会人。


 でもこいつらって、たった90分で自分のすべてを出し切らんと、明日ないねんよな。


 自分はどうだ。


 高らかに夢を語り、オレは出来ると勝手に信じ込み、いつか天下取ったると口では言える。

今日一日、与えられた仕事を100%の力でお前はやっとるんか。

やりたい仕事をやらせてもらえない、オレに比べたらお前は幸せやで、そんなことばっかり言ってるんとちゃうんか。


 高木貴弘がPKを止めた。

たった2つしか年の違わない一人の男が、国のトップの舞台で、大歓声を浴びていた。


社会人1年目、出場0試合。

社会人2年目、出場0試合。

社会人3年目、出場0試合。

社会人4年目、出場0試合。

社会人5年目、出場0試合。

社会人6年目、出場50試合。

社会人7年目、出場47試合。J2年間MVP。


 サッカーが大好きでサッカーを仕事にした男に、5年間仕事は回ってこなかった。

社会人になってわずか3週間、私には日々やるべき仕事が次々と与えられる。



 仕事のグチを言うのはもうやめよう、そう決めた。



 後半に入っても高木は獅子奮迅の活躍を見せ、試合後には札幌サポーターから再び大きな拍手と声援を受けた。


 「出来?いつもと変わらなかったです」


 試合後のインタビューで、高木はそっけなくそう答えたという。

いつも100%、だからいつもと変わらない。ただそれだけ。




 帰り道、大学時代よく通っていた古着屋に久しぶりに立ち寄った。

すっかり友達のように仲良くなってしまった店長さん、「オレ来月結婚するねん」と一言。


 同じ夢を目指しながら、最後の最後で方向転換を強いられた戦友と飲みに行った。

刑務所のような寮で暮らしながら、それでも絶対に夢を諦めないと約束した。


 限りなく無謀に近い就職活動を始めた時、カッコつけて壁に飾った言葉を思い出した。









毎朝、アフリカでガゼルが目をさます。

 

ガゼルは知っている。
 

一番速いライオンよりも速く走って逃げなければ死ぬことを。
 

毎朝、アフリカでライオンが目をさます。

 

ライオンは知っている。
 

一番速いガゼルよりも速く走らなければ飢えることを。
 

ライオンもガゼルも同じだ。

 

日が昇ったら、とにかく走り出せ。











 周りなんか知らん。


「いや別に、いつもと変わらないっす」


2コ上のヤツに出来て、オレに出来んことはないやろ。


100%、日々100%。








 どんよりお空の日曜日。


  我が第3か第4ぐらいの故郷である阪神競馬場にて、3歳牝馬クラシックの開幕を告げる伝統の一戦、第68回桜花賞が行われた。

戦前の予想では、ゾエ様こと池添謙一が惚れ込んだ2歳女王トールポピー、牝馬相手にはまだ一度も負けていないリトルアマポーラ、そして名手安藤勝己率いるオディールの三つ巴かと思われていたが、勝ったのはなんとなんと18頭中12番人気の伏兵、兵庫の元祖英雄小牧太のレジネッタ。

2着にもこれまた人気薄のエフティマイアが入り、3連単はクラシック史上最高配当額の700万円超え。

ここしばらく同じ園田競馬の出身である岩田康誠の影にすっかり隠れてしまっていた小牧太にとってはうれしすぎる涙のG1初制覇となった。

 

 ところで、見事その“乱れ桜”を制したレジネッタ、レース後に彼女の馬名の意味を知って思わずため息が出た。


 Reginetta、イタリア語で「若き女王」。


 名は体を表すとはまさにこのこと。

当然お馬さん達は自分が背負わされた名前の意味なんて知る由もないわけだが、本当に単なる偶然とは思えないような名馬と馬名の関係性は、これまでにも間違いなく存在してきた。


 後方待機から直線大外一気の鋭い末脚で短距離路線の王者として君臨したその馬の名はデュランダル。

中世の叙事詩「ローランの歌」に登場し、切れ味の鋭さデュランダルに如くもの無しとまで言われた伝説の名刀から名付けられた。

 

 96年菊花賞。

最後の直線手前で行き場を失い、残り200mの時点で12番手。絶望的な位置取りに、誰もが思わず目を覆った。

しかしその褐色の肉体は、文字通り暗闇の中で華麗にステップを踏むかのように馬群の間をくぐり抜け、涼しげな表情で誰よりも速くゴール板を駆け抜けた。

当時私は小学5年生、なぜあの200mだけ、12年経った今でもこんなに鮮やかに脳裏に焼きついているのだろう。

ダンスインザダーク、暗闇で踊る。

 

 そして競馬ファンなら誰もが早すぎる死を悔やんだに違いない、2008年3月9日。

現スプリント女王アストンマーチャンとの決着を着けることなく、一頭の名牝がこの世を去った。

サンアディユ、2007年サマースプリントシリーズチャンピオン。


 Sans Adieu...   「さよならは言わないで」




 名前を挙げ始めればキリがないが、とにかくこれまで競馬の神様による気の利きすぎたシナリオを、日本中の競馬ファンは幾度となく目撃してきたのである。


 そしてまた一頭、私は運命を感じずにはいられないステキな名前のお馬さんに出会ってしまった。



2008年4月12日、阪神3R。



1着 メイショウヤワラ

2着 レインボーブーケ

3着 マイティーウラン

4着 ジョウノグレース

5着 サザンベル

6着 アウロラプラネット

7着 アドマイヤサクラ

8着 メイショウルシェロ

9着 タガノマルゲリータ

10着 ミキノヨウセイ

11着 ネヴァノウ

12着 スナークグレース

13着 ランラン

14着 ロマンゴールド

15着 シシャモフレンド

16着 コウエイパール




 そうですね、きっとあなたも出会ってしまいましたね。

























 シシャモフレンド。


 意味 : ししゃもの友達。


 いや、あの、こちらサイドとしては存分に笑わせて頂いたからええんやけどね。

もうちょっと、その、なんといいますか、お馬さんの立場にたってといいますか・・・、ねぇ。


 あまりにも気になったからシシャモフレンドの馬主である大野満さんの持ち馬を調べてみたところ・・・。



カネダイシシャモ

ムカワシシャモ

シシャモムスメ

ミスシシャモ


 ミスシシャモて。

さらに調査を進めていった結果、大野さんは親子3代で80年に渡ってししゃもの魅力を全国に広め続けたきた超老舗ししゃも料理店、「カネダイ大野商店」の2代目社長さんであることが判明。


 いや、でもね大野さん、馬はししゃもやなくて馬ですからね。


 ちなみにこのシシャモ軍団、今までトータル20戦して3着に一回入っただけという奇跡の弱小軍団。

ひょっとしたら興味本位で“シシャモ馬券”を買い続けたら、いつの日か特大万馬券取れちゃうかもね。

とりあえず「AWAY!」ではシシャモ軍団の動向を随時お伝えしていこうと思うので、まずはシシャモフレンドの次走に乞うご期待。




 



 そういえばつい先日、会社の同期に待望のジュニアが誕生した。

名前をどうしようかと悩みに悩んでいたが、結局どうなったのだろうか。


 名は体を表す。


 パパ、ししゃも君なんていかがでしょうか。

香ばしくてちょっぴりほろ苦い、ビールが似合うイイオトコに育つと思うんですけど。







 ドイツ・ブンデスリーガ1部アイントラハト・フランクフルトに所属する日本代表FW高原直泰(28)の浦和レッズ移籍が正式に決定しました。


 昨シーズンは日本人初となる海外リーグでの1シーズン2ケタ得点も達成し、クラブの顔として完全にフランクフルトに定着しつつあった高原ですが、今シーズンはケガでの出遅れが響いてまともに出場機会を得られないでいました。

そんな中、昨年のU-20ワールドカップで大活躍したチェコ代表FWマルティン・フェニンのフランクフルト加入が決まったため、浦和レッズに移籍という形で今回のJリーグ復帰が実現したわけですが、正直なところ、タカにはまだ日本に帰ってきてほしくなかった。


 というのも、これまでヨーロッパのトップレベルに挑んで“失敗しなかった”のは、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一、松井大輔、そして中田英寿と、いずれも前線ではなく中盤の選手であり(詳しくは「エゴイズムがグルーピズムを超える日」 参照)、高原はその流れを断ち切ることが出来るフィジカルとメンタルを兼ね備えた、ひょっとすると初めてかもしれない真のストライカーだと確信していたからです。

大黒将志、柳沢敦、大久保嘉人など日本国内ではブイブイいわせていた点取り屋達が、数える程のゴールしか挙げられずに悶々とした日々を過ごしたヨーロッパの舞台。

高原も海外移籍当初は例外でなく、ハンブルガーSVという名門クラブで悪戦苦闘していました。

4年間でリーグ戦97試合に出場し、わずか11得点。

ジュビロ磐田在籍時106試合で58得点を挙げたことを考えると、とても成功とは言い難い数字です。

高原でさえもここで終わってしまうのか…。


 しかし、アイントラハト・フランクフルトというクラブが、4年間眠っていた彼のストライカーとしての本能を目覚めさせます。

シーズン序盤はヨアニス・アマナティディスというギリシャ代表FWの影に隠れてなかなか出場機会を得られずにいましたが、アマナティディスがケガで戦線離脱してからは、本当に水を得た魚の如くピッチで輝きを放ち、最終的にそのアマナティディスを凌ぐクラブ最多のシーズン11得点を記録。


 「日本人FWでも海外で通用することを証明したい」


 日本を去る時に彼が言った言葉は、4年の歳月を経て実現されたわけです。


 それだけに、今回のJリーグ復帰は本当に残念というか、もったいない気がしてならない。

確かに今シーズンはフンケル監督に嫌われてしまった感もありましたが、彼ならまだまだ、年齢的にももう1ランク上を目指せたはず。

海外のトップレベルで学んだことを“サッカー後進国”に持ち帰って還元してもらえるのは、一人のJリーグファンとして勿論とても嬉しいことなんですが、あと1・2年してからでもよかったんじゃないか…。


 移籍のニュースを聞いた時、そんな想いがふと浮かんできてしまいました。


 そしてもう一つ、ある意味一番残念だったのが、その移籍先が浦和レッズだったということ。

確かに高原の実力からすれば、環境や戦力、そして世界的な知名度など様々な面において現在のJリーグのトップを走る浦和への加入は妥当なものなのかもしれませんが、現在の浦和は一歩間違えば“巨人軍”になってしまう危険性を秘めており、そこに間違いなく日本中の注目を集める高原直泰が加われば、これまで決して派手ではないながらもクラブにとってなくてはならない存在だった永井雄一郎や“野人”岡野雅行らは行き場を失い、その功績を正当に評価されないままクラブを去ることになってしまうかもしれないからです。


 現日本サッカー協会会長である川渕三郎キャプテンは、Jリーグ開幕の翌年、1994年にこんなことを言っています。


 「Jリーグに巨人はいらない」


 これは当時、Jリーグからプロ野球のような企業宣伝的要素を排除するためチームの呼称から企業名を外すよう決定した際、読売ジャイアンツのような絶対的存在を作ろうと目論んでいた読売ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)のオーナー渡邊恒雄、通称ナベツネとの対立が先鋭化したことから飛び出した言葉であり、戦力的に突出したクラブがあってはならないというニュアンスではなかったと思いますが、もし浦和レッズがこれから更なる大型補強を進めていき、「あんなん優勝して当たり前やろ~」と他クラブからボヤかれるような存在になるようなことがあれば、それこそ私が思う「Jリーグに巨人はいらない」が現実のものとなってしまいます。


 一人のストライカーとして、高原のことはこれからも全力で応援していくつもりですが、浦和レッズにこれ以上調子に乗ってもらっては困ります。

来シーズンは、「どこのファンなん?」と聞かれたら…





「浦和レッズ!!以外!!!!」




これでいきます(笑)


 そうそう、それから、移籍といえば悲しすぎるニュースがもう一つ…。

私の好きな日本人FWダントツNo.1のあの人が、ついにディープレッドのユニフォームを脱ぐことになってしましました。


orz


詳細は後日、テンション相当低めでお送りしたいと思います(笑)














あぁ、いかないで、ヤナギ…。


 あけましておめでとうございます。


 年越しはいつも通りのメンバーと鍋食って酒飲んで、いつも通り最高にグダグダ過ごしました。

12月31日に大掃除、そして1月1日の朝には鍋と空き缶の残骸に囲まれてまた大掃除・・・。

我が家のお正月は毎年鍋とのド突き合いから始まります(笑)


 さてさて、とりあえず2008年初更新ということで、とりあえず去年と今年の反省と考察、そして遥かなる野望を少しだけ。


 2007年、個人的に一番大きな出来事だったのは、2つあるサークルのうち、ひとつを辞めたこと。

4年間お世話になった場所だったので勿論色々と悩みましたが、今は自分の決断に一切の後悔はありません。

お互いのためと思って今後は一切組織には関わらないと決めましたが、ひとつだけ心の底から思うのは、頑張ったヤツが報われる場所であってほしいということ。

別に自分は頑張ったと主張する気は本当にまったくありません。

いちいち口うるさく偉そうに言われて、不快な思いをした人も少なくなかったと思います。

でも、今サークルを良くしようと毎日毎日真剣に頭を悩ませているヤツらは、私よりずっと一途で、一生懸命で、冷静で、そして私よりずっとみんなが上手くいくように、みんながもっと仲良くなれるように考えています。

年は1つ2つ下やけど、正直、本当に尊敬してます。


 でも、現状は、どう見ても頑張ってるヤツが報われているとは思えない。

何かを変えようとする時、その規模に比例して精神的プレッシャーは当然大きくなります。

賛成・反対は別にして、サークルをよくしようというその姿勢は間違いなく認めてやらないと、スーパーマンではないごく普通の大学生は簡単に折れてしまう。

賛成なら全力で後押しを、反対ならそれを否定するだけじゃなく、そこからもっといいプランを一緒に考える。


 もうこれからサークルを近くで見守ることは出来ないけれども、頑張ったヤツが報われる、「お前らは最高の仲間や!」って、口先だけじゃなく心の底から言える、そんな場所になっていってほしいなと心から思っています。


 私自身は、これからはもうひとつのサークル、というより“My Home”であるハイパーアルティメットテニスバカサークルWIN-WINで、自分のやるべきことを可能な限りやっていかなければいけません。

WIN-WINからは本当に言葉では表現し得ないぐらいたくさんのことを学びました。

100歳になっても200歳になっても絶対に忘れない一生の仲間や思い出が、下手したら小さな宇宙がひとつ出来てしまうぐらいたくさん出来ました。

これからは自分が恩返しする番。

秋合宿の時に誰かがぼそっと言った、「なんかWIN-WINって家みたいですね」という言葉。

この先ずっと、WIN-WINが10周年20周年を迎えてもみんなが当たり前にそう思っていられるように、残り半年、自分が出来ること、自分にしか出来ないことを、とにかくサボらずストイックにやっていきたいと思います。



 さて、サークルの話が予想以上に尺取ってしまったので、こっからは捲きでいきます(笑)



 2007年、もうひとつの重大ニュースは、なんといっても就職が決まったこと。


足を運んだセミナー・説明会の数、2社。

受けた会社の数、6社。

受かった会社の数、1社。


 いや~、よくこんなんで決まりましたわホンマに(笑)

まぁ結果的にエントリーシートも面接もなーんにも勉強せずに、今まで自分がやってきたことを過信しまくって突っ込んだのがよかったみたいです。

敬愛するエミネムことスリム・シェイディことマーシャル・ブルース・マザーズⅢ世は「思い込んだらなんでも出来るもんなんだぜ」って言ってましたが、本当にそれを痛感する結果になってしまいました。

来春からはマスコミ業界に身を投じる者として、放送禁止用語は極力控えていきたいと強く思っております(笑)




 I just don't give a fuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuck!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!




そうそう、それと最後にもうひとつだけ、2008年の大いなる野望を。


死ぬ気で勉強!!

死ぬ気で卒業!!

死ぬ気でWIN-WIN!!

死ぬ気で仕事!!


そして、死ぬ気で貯金!!


そしてそして、死ぬ気でスカイラインR34GTターボ(推定160万円)購入!!


パッと見走り屋っぽいけどめんどくさいんでATです(笑)



 まぁそんな感じで、締めグダグダですが、今年もテキトーに、全部に全力全開、やりたいことやりまくって生きていきたいと思います!

やりたくないことは、ノリと勢いと慣れでなんとかします(´∀`)


 




 それではみなさん、最後になりましたが、2008年も「AWAY!」をよろしくお願いいたします!!