第52回、ドリームレース有馬記念が終わりました。



1着 マツリダゴッホ

2着 ダイワスカーレット

3着 ダイワメジャー

4着 ロックドゥカンブ

5着 ポップロック

8着 メイショウサムソン



 ポップロックは苦手のスタートで立ち遅れ、道中なんとか中団で追走したものの、結果的に追い風になるはずの道悪が堪えて届かず5着。

サムソンは激戦の疲れがあったのか私と同じで寒いのが苦手なのか、終始全く手応えなく、“記念出走馬”レゴラスにさえ先着を許して(笑)8着に惨敗しました。


 いや~、しっかし、昨日4番手評価に挙げていたマツリダゴッホがまさかまさかのグランプリ制覇とは。

彼には勝手に中山競馬場年度代表馬の称号を授与したいと思います(笑)


 まぁそんなわけで私の夢は仁川の寒空に散っていったわけですが、イチ競馬ファンとしては、今回の結果は今後の競馬界にとってとても意味のあるものになったんじゃないかなぁと思っています。


 というのも、例えばもし今回サムソン・ポップロック・メジャーあたりで順当に決まりスカーレット・ロック・ゴッホが馬群に沈んでいたとしたら、有馬記念という舞台には見合う結果にはなっていたと思いますが、それでは来年の競馬界は今ひとつ盛り上がりに欠けるものになってしまっていたのではないかと思うからです。


 今年の主役だったアドマイヤムーンは既にターフを去り、ダイワメジャーも今日で現役引退。

ポップロックも来年はもう7歳になり、いくら晩成型の血統とはいえ、脂の乗り切ったサムソンを打ち負かすことは今年以上に難しくなってくるでしょう。

その上“最強世代”の3歳牝馬勢や低レベルと言われ続けている3歳牡馬の期待の星ロックドゥカンブまでもが総崩れとなると、もうはっきり言って2008年は“サムソン一人旅”になってしまいます。


 そういう意味で、サムソンと同世代のマツリダゴッホがグランプリホースになったこと、これまで古馬のトップホースとの力関係が未知数だったダイワスカーレットが強い競馬で2着に入ったこと、そしてもう“谷間の世代”とは呼ばせねぇとばかりにキャリアわずか6戦目のロックドゥカンブがポップロックやサムソンよりも先にゴール板を駆け抜けたことは、「こりゃ来年が楽しみやな」と素直に思わせてくれる、競馬ファンにとっては非常に有意義な結果だったんじゃないかと思うわけです。


 まぁ、掲示板の順位が上下逆さまになっていれば何も考えずに楽しいお正月を迎えられたことは言うまでもありませんが(笑)


 何はともあれ、これで2007年度の競馬は無事すべて終了しました。 

筋書きのないドラマから、今年もたくさんの夢と希望と勇気と感動、そしてほんのちょっとの失望と絶望をいただきました(笑)

お馬さん、ジョッキー、調教師、その他競馬に携わるすべてのみなさんへ、心から感謝を込めて。


 1年間本当にお疲れ様でした。


 2008年も、よろしくお願いします!!

















 さて、残り8日、1500円でどうやって生きていこかな・・・orz



 マーベラスサンデーという馬が大好きでした。


 度重なる故障を乗り越え、通算15戦10勝。

しかも敗れた5戦は2着2回と3着1回と4着2回。

5着以内に入ることを俗に「掲示板に載る」と言いますが、常に第一線で走りながらデビューから一度も掲示板を外すことなく現役生活を終えた馬は、星の数ほどいるサラブレッドの中でも数えるほどしかいません。


 






マーベラスサンデーは、本当に強かった。

でも、彼は常に「確かに強いけど・・・」と言われ続けた。


 その理由はただ一つ。

彼の前には常に、マヤノトップガン、そしてサクラローレルという、時代を代表する最強のライバル達がいたから。




 初めて挑んだGⅠの舞台。

1996年 天皇賞(秋) 4着 (1着マヤノトップガン、3着サクラローレル)


 リベンジを期して臨んだ日本競馬の最高峰。

1996年 有馬記念 2着 (1着サクラローレル)


 “3度目の正直”、淀の最終決戦。

1997年 天皇賞(春) 3着 (1着マヤノトップガン、2着サクラローレル)




 勝てなかった。

何度挑んでも跳ね返された。

強いのは、誰もがわかっていた。




 でも、勝てなかった。




 3ヶ月後、悲願のGⅠ初制覇を成し遂げた時、ライバル達はもう同じターフにはいなかった。

マーベラスサンデーは確かにGⅠホースになったが、彼はその後一度もライバル達との再戦を果たせぬまま、競走馬に取って致命傷である屈腱炎を発症し、長いようで短い現役生活に別れを告げた。








 1997年の天皇賞(春)、ラスト200m。

3頭のあの壮絶な叩き合いは、恐らく一生忘れることはないでしょう。

今思うと当時私はまだ12歳。

10年前自分はどんなことが好きでどんなことが嫌いでどんなことを信じていたのか・・・。

正直ほとんど覚えていません。

でも、あの淀の直線、最後の12秒間だけは、本当に不思議なぐらい鮮明に、10年経った今でも色褪せることなく脳裏に焼き付いています。





 あれから10年。

いよいよ明日2007年12月23日、第52回有馬記念が開催されます。


 自己満足的に私の予想を公開しておくと


◎メイショウサムソン

○ポップロック

▲ダイワスカーレット

△ロックドゥカンブ

×マツリダゴッホ


 たぶんこれが有馬記念じゃなかったらメイショウサムソンとポップロックの3連単2頭軸マルチでいきますが、明日私が買うのはこれ1点だけ。



ポップロック 単勝 10000円



 なぜなら、有馬記念は馬券を買うレースではないから。

私が買うのは馬券ではなくロマンであり、走るのはサラブレッドという名の夢たちです。




2006年 有馬記念 2着 (1着ディープインパクト)


2007年 宝塚記念 3着 (1着アドマイヤムーン、2着メイショウサムソン)


2007年 天皇賞(秋) 4着 (1着メイショウサムソン)


2007年 ジャパンカップ 2着 (1着アドマイヤムーン)




 引退してしまったアドマイヤムーンにはもうリベンジすることは出来ないけど、まだ同じターフには“現役最強馬”メイショウサムソンがいる。

“サンデー系”という以外にマーベラスサンデーとポップロックに直接的な因果関係は何もないけれども、私の中で2頭は繋がっています。


 「確かに強いけど・・・」


 もう誰にも言わせない。







 




 今年もあなたの、そして私の夢を乗せて15頭が走ります。


 あなたの夢はサムソンかウォッカかそれともダイワ兄妹か。


 私の夢は、ポップロックとオリヴィエ・ペリエです。

「お前、何才や?」






「よんさい」






「サッカーと野球どっちが好きや?」






「えーっとな、やきゅう」






「んでな、せみがすきやねんで」






「せみ?どんなせみが好きなん?」






「えーっとなくまぜみとな、みんみんぜみとな、せみ」






「せみってなんやねん(笑)」






「せみはな、こーんなはねがはえとってな」






「それは知っとるけど(笑)」






「んじゃお前、せみと女の子やったらどっちが好きや?」






「せみ(即答)」









少年よ、どうかいつまでもそのままで・・・。

 「まぁ、PKはほとんど運ですから」


 アジアカップ2007、3位決定戦で宿敵韓国代表にPK戦の末敗れた後、中村俊輔はこう言いました。


 実際のところ、まったくもってその通りだと思います。

6人中4人のシュートコースを読んだ川口能活と、ほとんど逆をつかれ続けていたイ・ウンジェ。

結果は5-6。勝ったのは、監督・コーチと1人の選手を失った満身創痍の韓国代表。


 確かにPKなんか運です。

でも、これは決して結果論ではなく、私は延長戦に入った瞬間に韓国代表が勝つとなぜか勝手に確信していました。

監督に言われた通りの、そして練習でやった通りのサッカーを忠実に繰り返す11人の日本人と、戦術も展開も何もなくひたすら体を投げ出してボールを奪い、そのボールをめいっぱい前方に蹴り出し続ける10人の韓国人。

度重なる延長戦(韓国は準々決勝・準決勝もPK戦決着)を強いられ、どう見ても疲弊しきっていた彼らの足は、「日本だけには負けられない」という国の威信を懸けたプライドと愛国心のみで前へと押し動かされていたように見えました。

 主審に対する抗議によって後半途中にベンチから退席させられたホン・ミョンボコーチが、処分覚悟で延長突入時に再びピッチへ姿を現し選手達とともに円陣を組んでいた姿に、何かそういったものを感じた人も多かったのではないでしょうか。


 そして我々日本人にとっては誠に残念なことに、それはもう完全にサッカーの神様が大好きなパターンでした。

サッカーにおける“運”とはつまり“サッカーの神様が味方してくれる部分”であり、どうやら彼は歴史とか伝統とか愛国心とか、単なるスポーツの域を超越したそういったものに感情移入しやすいお方のようです。


 私の予想ではサッカーの神様はドイツ人かアイルランド人かバスク人ですね、たぶん(笑)


 もちろん日本代表も国の誇りを持って戦っていたに違いありませんが、今回は追う者と追われる者の差が最後の最後に出たというか、西洋のことわざに「逆境は人を賢くする」なるものがありますが、まさにそういった要素が重なり合った末の結果だったような気がします。

 

 今日の試合に限らず、大会全体を通して間違いなくオシムジャパンはアジアで一番世界に近付ける可能性を持ったサッカーを展開していました。

日本を破ったサウジアラビア代表のサッカーは、ずーっと前からあんな感じです。アジアで勝ってワールドカップに出て、それでよしとするためのサッカー。あのサッカーで世界を席巻する日は、恐らくこの先ずーっとやってきません。

 敵は2010年、遥か南アフリカにあり。

今は疲労困憊の中でも最後まで同じメンバーを使い続けた名将の頭脳を信じて、3年後世界の列強諸国を薙ぎ倒すサムライブルーに想いを馳せたいと思います。もちろん、現実逃避も兼ねて(笑)




 そうそう、そういえば今日の試合を観ていてふと思い出したこんなエピソードがあります。


 “マラドーナの後継者”とも称されるアルゼンチン代表FW、カルロス・テヴェス。

彼は現在イングランド・プレミアリーグのウエストハムというチームでプレーしていますが、その試合中、途中交代を命じられたテヴェスは激怒し、試合が終わる前に無断で家に帰ってしまいました。

もちろんその行為はすぐさま問題となり、反省したテヴェスは翌週の練習で監督とチームメイトに謝罪。

普通なら罰金刑か謹慎処分になるところですが、ここでテヴェスに課されたペナルティは、なんと「ブラジル代表のユニフォームを着て練習する」というものでした。

 我々日本人からするとその意味するところはいまいちよくわかりませんが、ようするに大の阪神ファンに「巨人のハッピ着て会社行け」と言っているようなもので、この罰に対してテヴェスは「罰金ならいくらでも払うからブラジルのユニフォームだけは勘弁してくれ」と懇願したとか。


 いやはや、サッカー王国恐るべし。


 


いつの日か、日本でもサッカーがスポーツの域を超え、文化として、そして国の一つのアイデンティティとして誇れるような存在になる日がきっとくるはず。


 “気持ちだけで勝った”


 何十年後かの日韓戦の翌朝には、ぜひぜひこんな文字を紙面一杯に躍らせたいと思います。

 カナダで行われていたU-20ワールドカップ2007は、決勝でチェコ代表を2-1で下したアルゼンチン代表が2年連続6度目の栄冠を手にし、その幕を閉じました。

吉田靖監督率いる我らが日本代表は決勝トーナメント一回戦でチェコ代表にPK戦の末敗れてベスト16。

残り15分の時点で2-0と圧倒的有利な状況だったのですが、そこから不本意な形で立て続けに2本のPKを与えてしまい、最終的にPK戦で涙を飲む結果となってしまいました。

 この一戦を制していればスペインやアルゼンチンとの対戦も実現する可能性があっただけに非常に残念でしたが、それでも吉田ジャパンのポテンシャルが世界に十分通用するレベルであるということを示せたことはこれからの日本サッカーにとって大きな意味のあることだし、何より選手達自身がそういった自信を日本に持ち帰れたことが今大会における最大の収穫だったんじゃないかと思います。

 

 まぁ、とはいっても、準決勝・決勝を見る限りでは、やはり日本が世界の舞台でベスト8の壁を破るのはまだもうちょっと先になりそうかな~とも思ってしまったわけなんですが。

それはフィジカルやテクニックの面ではなく、絶対的なメンタリティの部分で。

決勝をフルタイムで観た人ならわかると思うんですけど、もうねぇ、アイツら半分ケンカしてるんですよ(笑)

頭突き・ひじ討ちは当たり前。もちろんバレたら一発退場ものですが、彼らは審判の目を盗むのが実に上手い。

準決勝のチリ代表vsアルゼンチン代表なんかは、両チームの経験の差、そしてもうこれは本能的なものの差としかいいようのない俗にいう“マリーシア”のレベルの違いが露骨に出た一戦でした。

 アルゼンチンの選手は審判の目が届かないところでチリの選手を挑発したり小突いたりし、それにイラだったチリの選手はたまらずファールを犯す。そしてファールを受けたアルゼンチンの選手は、待ってましたとばかりのオーバーリアクション。気付けばチリ代表は2人の選手を失い、結果的にスコアは0-3という一方的なものに。

一回り以上年の離れた主審でさえも彼らの秀逸なずる賢さに平常心を失い、試合終了後には詰め寄ったチリ選手団ともみ合いになっていたとか・・・。


 サッカーというよりはバトルフットボールと形容すべきかもしれないその戦いぶりで世界制覇を成し遂げたU-20アルゼンチン代表ですが、では一体何が彼らと日本代表のメンタリティに決して小さくない差を生み出しているのか。


 その一つにして恐らく最大の要因であると私が考えるのは、両国選手にとっての今大会の目的と意義の違いです。

冒頭にも書いたように、日本代表の選手にとってこの大会はあくまで通過点であり、結果がどうあれ様々な経験を日本に持ち帰り、これからのサッカー人生に活かしていくことが大きな意義であり収穫でした。

 しかし、アルゼンチンに限らず南米やアフリカなどの経済的に決して豊かでない国の選手達にとっては、このU-20ワールドカップという大会はヨーロッパ中のトップクラブから一斉にスカウトが集う絶好のアピールの舞台であり、逆にいうとここで誰の目にも止まらなければ家族を養っていくこと、そしてこの先サッカーを続けていくことすらも不可能になりかねない、まさに己の人生をかけた戦場なんです。

 そして、そうなると当然、組織の一部として自分の仕事をこなすだけでは物足りません。ピッチ上の誰もが、自分が持てる限りの、あわよくばそれ以上の輝きを放ち、華やかなヨーロッパの舞台へジャンプアップしようと必死です。

コースが開けば迷わずシュートを撃ち、コースがなければ強引にでもこじ開ける。


 彼らにとって“経験”や“収穫”はあくまで結果論であり、求めるのはただ一つ、“結果”です。

そしてそこから生まれてくるハングリー精神やバイタリティこそが、海に囲まれた平和な島で育った20歳の若者が持つそれとは比較にならない、とてつもなく大きなエネルギーを放っているのだと思うわけです。


 幸い、ここ数年間で日本サッカーと世界の距離は着実に縮まりつつあります。

4年後、8年後、12年後。いや、12年は長いな(笑)。少なくとも10年以内には「この大会で自分の力を発揮して世界にアピールしたい」なんてさらっと言ってのけるサムライが現れてほしいものです。




 すっかり少年の顔に戻って無邪気に踊るアルゼンチンの選手達を見ながら、改めて世界の厳しさを痛感した3週間でした。