ここんとこ“待ち”の仕事が多くて
かといって現場を離れるわけにもいかず
仕方ないので膨大な書類に目を通そうとするのだが
あっという間に睡魔に襲われる日々。
そこで、同僚に借りた小説を、
書類に目を通す合間にコッソリ読んでいたら
2日間で2冊も読んでしまった。
すみません、ちゃんと仕事します。(来週から)
それはともかく
感想。
井上荒野著 『切羽へ』
「静かな島で夫と穏やかで幸福な日々を送るセイの前に
ある日一人の男が現れる。夫を深く愛していながらどうしようもなく
惹かれていくセイ。やがて2人はこれ以上進めない場所へと向かっていく。」(帯より)
井上荒野さんは、かの井上光晴氏のお嬢さん。
2008年第139回 直木賞受賞作品。
これ以上進めない場所=切羽、なんだけれども、その切羽があくまで精神の地点を
示すものであり間違っても渡辺淳一が「ほら」と提示する場所ではないということを
想像できなかった私は身の置き所がありませんでした。精神的に。
で途中から、「こんな感じで終わるんだろうな~」と予想して結局その通りになって、
しかもその結末を味わう機微が自分の中に全くないということを痛感して読了。
貸してくれた同僚にも「趣味じゃない小説だったでしょう」と指摘され、答えに窮するも
正直に「ええまあ」と白状。
小池真理子著 『棺の中の猫』
「東京郊外に暮らす美術大学の講師の男と、その娘でララという名の白猫に
だけ心を開く孤独な少女。そしてその少女の家庭教師としてやってきた
画家志望の若い娘。微妙な緊張を抱きながらもバランスのとれた3人の生活
はそれなりに平穏だった。そう、あの日、あの女が現れるまでは・・・」(帯より)
これはもう、どこまでも本当に筆者らしい小説。
全編、音楽と芳香が五感を刺激してくるような文体と、ラストに「え?!」を
忘れないサービス精神。
突っ込みどころは満載なのだが、グダグダ言っても仕方ないと読み手に
諦めさせる結界の存在。まさに、品のいい二時間ドラマ。
いつもながら動物の使い方がうまく、この小説の肝である
白猫ララの行動や態度に「うわ、うちの小梅みたい」と思わせる描写が
何度も登場する。
ただしララは高貴で神秘的でスレンダーな白猫という設定。
対して、うちの小梅は庶民派できっぷの良いおデブという現実。
★
動けるデブだもん!