妖艶な観音さま@黒田観音寺(滋賀県長浜市木之本) | 念彼観音力

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全国各地の寺院・城郭の訪問記、御朱印収集、仏像見仏の記録。
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近江のエントリが続いたのでもうちょっと近江の話題で今回は湖北。昨年秋に訪問した滋賀県長浜市木ノ本の黒田観音寺です。

JR木ノ本駅の北西に位置する黒田という土地は、秀吉の軍師でも知られる黒田官兵衛の先祖の出身地と伝わります。観音寺(黒田観音寺)はその黒田の土地、木ノ本駅からは約2キロほど離れたところにあります。普段は無住ですが、事前に観光協会経由で予約をすると地域の管理当番の方がお堂を開けてくださいます。
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黒田観音寺


准胝観音菩薩立像 国指定重要文化財 平安時代(9世紀末~10世紀初め)ヒノキ材一木造 素地仕上げ 像高199.0cm

 仏様のお姿はこちら( 滋賀県広報課「民話でたどる滋賀の風景」へ)

古来より千手観音と伝えられているため、文化財の指定名称も伝・千手観音とされていますが、頭上に十一面をつけず、腕も十八臂に造るので准胝観音と見られています。
 准胝観音の像容としては、十八臂で眉間に縦に目を刻んで三眼とするのが一般的(下の補足参照)ですが、この像の場合は眉間に眼ではなく白毫がついています。

目尻がつり上がった細い眼の厳しい表情。上半身の十八臂は賑やかながら、それぞれが邪魔にならないように巧みに配しています。両脚部の衣文も細かく刻まれており、股の間には盛安寺の観音様と同様に渦文が見られます。下半身は広隆寺の不空羂索観音像ともよく似た表現になっています。本像の制作は9世紀末~10世紀初頭と考えられるようです。

なんといっても生々しい腕が妖艶さを醸し出しています。自分は多臂の観音様に惹かれるのですが、それはこうした妖艶さによるところが大きいかなあと思っています。多臂でも、千手観音様で腕が生々しくないような場合はあまり惹かれなかったりしますので腕のむっちり感や生々しさが自分の中でのポイントなのかなと思っています。

 当番の方から黒田観音寺に関する歴史や仏様のことなどをいろいろと伺うことができました。過去、賤ヶ岳の戦いを初めとする戦火や幾多の災難に遭いながらもこの仏様が地域の方の手で守られてきたということです。現在、この黒田の地域は20軒弱の集落からなり、4軒の持ち回りで管理をされているそうです。地域の黒田神社の管理も持ち回りで行っているというようなお話もされていました。ここに限らず近江のお寺・お堂の特徴なのですが、仏様を守っている地域の人々は、さまざまなご苦労がある中でも我々のような一般の参拝者を温かく迎えてくれますね。最近、仏像の盗難事件などが後を絶たないですしどこのお寺、地域のお堂でも大変なご苦労がおありだろうと思います。拝観させていただけることへの感謝の気持ちというと大げさかもしれませんが、このような場合は拝観料が設定されていても、その気持ちのぶん多めにお賽銭を入れるなどしたいとは思っています。

(補足)准胝観音について
 准胝観音は准胝仏母とも呼ばれ、我が国で一般的なのは「一面十八臂、三目」の姿で、これは770年頃に不空が訳した経典に依るものである。日本で准胝観音信仰を定着させたのは、平安時代に醍醐寺を開き、上醍醐に准胝堂を建立した聖宝である。
 西国三十三所の11番札所でもある准胝堂の本尊・准胝観音は我が国最初の准胝仏母尊といわれ、これ以後、醍醐寺系統の寺院を中心に准胝信仰は定着する。もっとも、千手観音と図像的にそれほど差が無いため、准胝観音独尊としての造像例は醍醐寺系統の寺院以外ではそれほど多くなかったようである。その後は六観音信仰が流行する中で、六観音のうちの一つとしての准胝観音の造像は多く見られる。六観音像としては千本釈迦堂(大報恩寺)の准胝観音がよく知られる。

観音寺(黒田観音寺)
所在地:滋賀県長浜市木之本町黒田1811
問い合わせ:0749-82-4111(奥琵琶湖観光協会)
拝観:9時~16時 ※要事前予約(月曜休み)
拝観料:500円
アクセス:JR北陸本線木ノ本駅からタクシーで5分
もしくは駅からレンタサイクルで10~15分


ちなみにレンタサイクルはJR高月駅、JR木ノ本駅などに設置されているレンタサイクルステーションで利用できます。1日500円(+300円で別ステーションの乗り捨て可)です。