障害とかいう診断名にとらわれずに、子どもの持つ特性、生きにくさに応じて特別に支援する必要がある | 発達障害先生、無理解者と戦う苦悩の日々

障害とかいう診断名にとらわれずに、子どもの持つ特性、生きにくさに応じて特別に支援する必要がある

何人か情緒不安定な生徒やすぐキレる子なども指導している。

やっぱり、こういう子どもたちも「困った子」と思われがちであるが、

自分のもった特性に「困っている子」だったりする。

何でもないようなことにこだわっていて、そのこだわりのせいで、

何かがちょっと違うだけで嫌になったり、ちょっと何かを言われただけでキレてしまったりする。

自分では何でも言いたいことをズバズバ言ったり、自己中心的な行動を取ったりするのに、

自分が相手から同じようにされると、どんなに嫌なのかが考えられない。


ある子は授業中に他の生徒や私との関わりにおいて、気に入らないことがあって感情をとり乱して、

自分で感情をコントロールできなくなると、学習の場から離れ、ソファーに寝転がったり、

教室の隅っこに行ったりして、気持ちを落ち着かせている。

授業のはじめでもすんなり取り組めることができないこともあり、そういうときも、

同じようにして、気持ちを落ち着かせてから授業に取り組んでいる。

私は、あまり授業を強制することなく、彼の意欲に任せて学習させている。


その子は自分の感情をコントロールするすべをもっていて、自己コントロールしているが、

でも、自分の感情をコントロールすることって、その子にとっては「つらいこと」だろうと思う。

これも一種の「生きにくさ」なんだろうと思う。

こういう「生きにくさ」をもって生活しているんだということをわかって、対応しないと、

理解のない人からすれば、やっぱり「困った子」としか思われず、

「困っている子」とは捉えられるということはあまりない。


その子は発達障害があるかどうかわからない。

特別支援教育では発達障害をもつ子のことばかりいろいろ言われているが、

発達障害をもたないような子でも「生きにくい特性」を持った子供がいて配慮や支援が必要であると

つくづく私は思う。障害とかそういう診断名にとらわれずに、子どもの持つ特性、生きにくさを考え、

そういう子どもに対しても、特別な配慮や支援が必要だと思う。


いろんな個性や特性を持つ子どもたちが多く通う通級指導教室、

一人ひとりにあった配慮や支援を意識して、接していかなければいけないと最近よく思う。

それって「すごく難しい」って思う。周りの理解をえることも必要だし...

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