私の生きにくさとは.. | 発達障害先生、無理解者と戦う苦悩の日々

私の生きにくさとは..

私は、よく感覚の違いや感覚過敏があるから「生きにくさ」を感じると言うようなことをよく書く。

感覚の違いとは感覚過敏はそれぞれによって違っていると思うが私の場合を考えてみたい。

私の「感覚の違い」というのは、感じ方や考え方の思考回路が違うと言うこと、

頭の中で情報を処理する方法が違っていたりするということではないかと思う。

自分で感じたことをそのまま受け取って自分なりに解釈すると、着目しているところが違っていたり、

他人と意見が食い違っていて、その食い違いが理解できず周囲の様子が把握できずに行動したりなど、

これまで生活のいろんな面においてこれまで生きてきていろんな違いを感じてきたのである。

今では周りをよく気にするようにし、自分の言動や行動を慎重に考えて生活するようにしているから、

あまり他の人たちと合わせられなかったり、大きな失敗をすることは少なくなってきている。

でも、常に自分はどうあるべきかと言うことを頭で考えて行動しなければならないのでとても

頭が疲れ、精神的にも疲れるのである。一日中気が抜けずに緊張して過ごすことって疲れる。

ADHDやアスペの人はよく疲れやすいといわれるが、私と同じような理由のためにそうなる人も

いるのではないかと思う。

たとえ仕事がうまくいっていても頭や神経を過剰に使いすぎてしまうと体調を崩すこともある。

はっきり言って、「生きることってとても疲れて、嫌なこと」とかよく思うのである。

毎日毎日、「普通という役」を演じて続けている役者だと思えてしまう。

しっかりとやらなければいけないという強迫観念を抱きつつ役者を続けている気分。


自閉症スペクトラムや発達障害をもつ人たちが仕事や学校が長続きしないというのも

同じようなのでは「普通という役」を演じることに疲れていたり、演じることが難しかったりするから

仕事や学校に行けないというのもあるんじゃないかと思う。


あとは、生活をダメにしているものは「二次障害の精神疾患」と「フラッシュバック」である。

過去にあった嫌な経験や不適応が、心にこびりついていて、それに異常なほど抵抗感を感じ、

それによって身体の自由が奪われ、縛られて行動できなくなってしまうのである。

フラッシュバックは私にとって、大きな不安や恐怖もたらすとともに、

自分という個性や人格を破壊する。


嫌な経験多ければ多いほど、不適応が長く続けば続くほど、

フラッシュバックが多く起きれば起きるほど、精神的におかしくなって体調を崩すほか、

心も壊されるのである。自分という個性や人格も破壊されてしまうのである。


振り返ってみれば、自分も元々の個性や人格が壊されてしまった。昔の私と別人のようである。

息子も嫌な経験や不適応で変わった。元々は明るく元気で積極的に物事に取り組む子どもであったが、

今は不適応や嫌なこともないけれども、後遺症が残っていて、物事に対して消極的で寡黙である。


自閉症スペクトラムや発達障害をもたない人にとって、こういう感覚というのは理解できないと

私はよく思うのである。こういう感覚は自分で持ってみないと理解することは不可能なんだと思う。


この「心の感覚の違い」を理解してもらうのはとても難しいこと...でもきちんと理解してもらうために

多くの人に訴えていかなければいけないと思う。


「一度壊れた心はなかなか元には戻らない」もしかしたら「もう二度と元に戻らないかもしれない」と

いうことをわかっていただきたい。


違った感覚で生きることは簡単なことではないのである。



今日のブログでは感覚の違い(考え方やとらえ方の違い)について書いてきたが、

次回は感覚過敏(五感の過敏)の嫌な感覚やつらさについて書きたいと思う。

長い文章を読んでいただきありがとうございました。


最後に...今日の文章は自分の感覚で書いた文章ですべての自閉症スペクトラムや発達障害をもつ人と

同じではないと言うことを言い添えたいと思う。同じ人もいればそうでない人もいるだろう。


わがまま、甘えとか思える人もいるかもしれないが、私にとっては生きにくさなのである。

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