【フランス旧王家】2019年2月オルレアン家の当主アンリ・ドルレアンの葬儀 | Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

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フランスの旧王家であるオルレアン家の当主アンリ・ドルレアン(Prince Henri Of Orleans)1933年6月14日 - 2019年1月21日)の葬儀に出席したロイヤル。

 

 

 

葬儀に出席するモロッコ王室ムーレイ・ハサン王太子(16)

母が国際舞台から降りて、10代で海外公務にも出る王太子。なんか切ない...でもそうそうたるメンバーの中、存在感はさすがです。

 

 

The funeral of Prince Henri Of Orleans, Count Of Paris At Chapelle Royale on February 02, 2019 in Dreux, France.

フランス王位請求者。名目上のフランス国王「アンリ7世」として、オルレアン派と連合派に支持された。パリ伯およびフランス公の儀礼称号を用いました。

先代のパリ伯アンリとその妻イザベル(ブラジル旧皇族ペドロ・デ・アルカンタラ・デ・オルレアンス・エ・ブラガンサの長女)の長男として生まれる。当時、1886年亡命法((1950年廃止)によってフランス君主位請求者とその家族はフランス入国を禁止されていたため、隣国ベルギーのヴォリュウェ=サン=ピエールでの誕生でした。

 

父パリ伯アンリは1908年7月5日、ギーズ公ジャンの唯一の息子(第4子)として誕生した。モロッコで育ち、ルーヴァン・カトリック大学で学び、1931年4月、旧ブラジル皇帝家のオルレアンス=ブラガンサ家出身で同じくルイ=フィリップ1世(フランス王)の玄孫であるイザベル(ペドロ・デ・アルカンタラ皇子とその妻でボヘミア貴族のエリーザベト・ドブルジェンスキー・デ・ドブルジェニツ伯爵夫人の間の第1子、長女)と結婚した。イザベルとの間に5男6女を儲けたが、1986年に離婚。

 

なおルイ=フィリップ1世(フランス王)の第一帝政期の1809年に、ナポリ国王フェルディナンド4世(後の両シチリア国王フェルディナンド1世)の娘マリー・アメリー・ド・ブルボンと結婚。2人は6男4女を儲けた。子女にベルギー国王レオポルド1世と結婚しベルギー王妃ルイーズ=マリー、孫にベルギー王レオポルド2世とメキシコ皇后シャルロットの兄妹、ヴュルテンベルク家始祖フィリップ、ブルガリア王フェルディナント、スペイン王妃マリー・ド・グラースなどがいます。

 

 

 

 

 

 

1957年、遠縁にあたるマリー・テレーゼ・フォン・ヴュルテンベルク(ヴュルテンベルク王国の王位請求者ヴュルテンベルク公フィリップ・アルブレヒトの四女)と結婚した結婚と同時に、アンリは父からクレルモン伯爵に叙爵された。マリー=テレーズとの間に3男2女を儲けた。

  • マリー・イザベル・マルグリット・アンヌ・ジュヌヴィエーヴ(1959年 - ) 1989年、リヒテンシュタイン侯子グンダカーと結婚
  • フランソワ・アンリ・ルイ・マリー(1961年 - 2017年) クレルモン伯。地位を弟ジャンに譲った。
  • ブランシュ・エリザベート・ローズ・マリー(1962年 - )マダム・ロワイヤル(名目上)。
  • ジャン・カール・ピエール・マリー(1965年 - ) ヴァンドーム公。2009年、フィロメナ・デ・トルノス・イ・ステインハルトと結婚
  • ウード・チボー・ジョゼフ・マリー(1968年 - ) アングレーム公。1999年、伯爵令嬢マリー=リース・ド・ロアン=シャボーと結婚

1984年10月、チリ系移民の血を引くミカエラ・コウシーニョ・イ・キニョーネス・デ・レオンと再婚するもカトリック教会からの承認を得ずに行ったために支持されず、父アンリの激しい怒りを買い父によって継承権とクレルモン伯の称号を剥奪され、代わってクレルモン伯より格下の称号であるモルタン伯に叙爵され。1987年、父はアンリの息子ジャンを後継者に指名。

1991年、父アンリの態度が軟化したことで継承権とクレルモン伯の称号を回復し、1996年に継承者と定められた。1999年に父の死によって家督を継ぎました。

 

2006年、トキソプラズマ症が原因で重度の知的障害を抱える兄のクレルモン伯フランソワ(2017年12月死去)に代わり、父によって後継者に指名されたジャンは2019年1月21日、父の死とともにオルレアン家の家督を継いぎました。

アテンドしているのは喪主であるオルレアン家の当主ジャン

名目上のフランス国王「ジャン4世Jean IV)」として、オルレアニストと連合派に支持されます。