【スウェーデン王室】皇后ジョセフィーヌのカメオティアラJosephine Cameo Tiara | Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

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Empress Josephine Cameo Tiara

 

カメオ・ティアラは、スウェーデン王室ならずヨーロッパ王室の歴史の断片を飾る宝石類です。

 

1804年フランスのナポレオン・ボナパルトはパリのノートルダムの大聖堂で皇帝として戴冠されます。妻ジョセフィーヌは皇后として冠され彼女には広大な宝石類のコレクションが必要であると見たところこの期間の間に宮廷宝石商であるMarie-Étienne Nitotがカメオ宝石のセットを用意。雄大なティアラに真珠が土台として作られ、キューピッドの精神世界を描き、大きなカメオは金貨にセットされています。ネックレス、腕輪、および1対のイヤリングも含みます。

 

 

フランス皇后ジョセフィーヌに付属していたといわれていますが、最初の着用者は皇后の娘、オランダの女王オルタンス・ド・ボアルネQueen Hortense of Hollandです。

 

オルタンス・ド・ボアルネはナポレオンの義理の娘。ナポレオン3世の母。ナポレオンが最も可愛がっていた弟のルイ・ボナパルトと1802年初頭に結婚。

1810年ジョセフィーヌは最初の結婚で2人の子供を持っていたけれども、、フランスの王位・ナポレオンに待望の生物学的相続人を生むことができなかったため離婚し、神聖ローマ皇帝フランツ2世の娘マリア・ルイーザMarie Louise of Austriaと結婚。ジョセフィーヌは彼女の宝石類とともにパリの近くの城に引っ越しました。

 

1812年に Anne-Louis Girodet によって身に着けた肖像画が描かれました。

 

Anne-Louis Girodet's portrait of Hortense de Beauharnais

オルタンス・ド・ボアルネ

 

1812年ジョセフィーヌの娘、オルタンス(19世紀の最初の10年の間にオランダの女王であった)にジョセフィーヌからカメオティアラはローンされます。

(1814年母ジョセフィーヌは肺炎のため亡くなり、歴史家によるとカメオと一揃いの宝石は、彼女の宝石に含められていなかったそう)

 

ジョゼフィーヌの長男ウジェーヌ・ド・ボアルネ妹オルタンスから受け取ります。ウジェーヌはナポレオンの命令で1805年バイエルン王女オギュスタ=アメリーと結婚、1814年、子供とミュンヘンに義父の宮廷に住んでいました。

ウジェーヌはバイエルン王マクシミリアン1世の娘アウグステ王女と結婚し、その長女のジョゼフィーヌはスウェーデン王オスカル1世の王妃となりました。ジョセフィーヌは4年のネックレス(現在は3連)と真珠のブローチもしている肖像画も残っていますが、元来これらの作品が一緒に付属していたかは不確かだそうです。

ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ (スウェーデン王妃)

(1807年3月14日 - 1876年6月7日)

 

ナポレオン1世の最初の妻ジョゼフィーヌの連れ子であるロイヒテンベルク公ウジェーヌ・ド・ボアルネとその妻でバイエルン王マクシミリアン1世の娘であるアウグステの長女。

スウェーデンとノルウェーの皇太子(のちのオスカル1世)と結婚したジョゼフィーヌ。彼の父は現ベルナドッテ王朝の祖となったナポレオンの軍人だった一般市民のジャン=バティスト・ジュール・ベルナドット(カール14世ヨハン (スウェーデン王))

1876年ごろジョゼフィーヌはティアラを唯一の娘エウシェニアPrincess Eugenie of Sweden (1830年 - 1899年)に託します。

 

エウシェニアPrincess Eugenie of Sweden

 

1889年病弱で子供のいなかった娘エウシェニアは甥Prince Eugenプリンス・エウシェン(美術収集家、オスカル2世とその王妃ゾフィア・フォン・ナッサウの四男、1865年8月1日– 1947年8月17日)に託します。

彼は、それを身に着けることができた妻を持っていなかったため(オスカルは王の承認を得ない結婚をしたため、スウェーデン王位継承権を喪失)、姪マルガレータ王女(1899年 – 1977年,デンマーク王子アクセルと結婚)、マーガレット・オブ・コノート(王太子妃、のちのスウェーデン王グスタフ6世アドルフの妃)の結婚式などに貸与しました。
マルガレータ王女は:「この王冠はナポレオンの皇后に身に着けられていた。私のものではないけれどもプリンス・エウシェンに貸与された」と語りました。

 

 

マーガレット・オブ・コノート (1882年1月15日 - 1920年5月1日)

Crown Princess Margareta of Sweden wears the cameos, ca. 1910

 

1920年に、マーガレットは感染症による頭部手術を施される間に妊娠8か月で急逝。

 

ジビラ・フォン・ザクセン=コーブルク=ゴータ

( 1908年1月18日 - 1972年11月28日)

 

1932年、プリンス・エウシェンは結婚プレゼントとしてカメオ一揃いの宝石をスウェーデン王室の花嫁ジビラ・フォン・ザクセン=コーブルク=ゴータに与えました。

夫は当時スコーネ公だったグスタフ・アドルフ王子(後のグスタフ6世アドルフ)とその最初の妃であったマルガレータの長男でした。現スウェーデン王カール16世グスタフの両親です。

 

 

デンマーク王妃イングリッド
Prinsesse Ingrid 1933

 

マーガレット・オブ・コノート の娘イングリッド(デンマーク王フレゼリク9世妃。現女王マルグレーテ2世の母)に長女で第3子。

慈善活動仮装舞踏会のための義姉妹ジビラ・フォン・ザクセン=コーブルク=ゴータから借り、ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ (スウェーデン王妃)の衣装を着用 。

 

1947年ジビラの夫スウェーデン王子・ヴェステルボッテン公グスタフ・アドルフが亡くなると、彼女の髪はまもなく白くなり、白いカメオが白い髪と同化するのを嫌ったためカメオティアラを身に着けているのをやめました。

 

 

1961年2番目の娘ビルギッタ (スウェーデン王女)は、ヨハン・ゲオルク・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲンと結婚。1度目の式はスウェーデンで行われ、最初宗教結婚日にティアラを身に着けました。2番目の宗教宗教結婚式のために、ドイツの新郎の家に伝わるファミリーティアラを結婚式冠を身に着けました。

 


クリスティーナ(1943年 - )

1964年、3番目の娘デジレ(1938年 - )Baron Nils-August Silfverschiöld を結婚式の日に着用。

 

 

1972年プリンセス・ジビラはストックホルムで癌で亡くなりました。カメオの parureを長男カール・グスタフ国王に残しました。

 

その後1976年ヴィクトリア王太子が結婚式で着用しました。

Empress Josephine Cameo Tiara (now in Swedish royal family) Worn by Crown Princess Victoria at her marriage to Daniel Westling.