グレース・ケリーのエンゲージメント・リング | Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

私の大好きな 美しいもの、綺麗なもの、かわいいもの。 そして 美しい人、綺麗な人、可愛い人をご紹介したいです。
麗しい、美しい、 愛しいものを......
オードリーをはじめとするハリウッドセレブからダイアナ妃やグレース・ケリーなどの各国 王室・王族も。

最後の作品となった映画『上流階級』では、華麗なるロマンス物語を演じたグレース・ケリー。

Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-グレース・ケリー エンゲージメント・リング

ため息の出るような美しさを放って人々の羨望を集めましたが、作品で彼女が左薬指にはめていたのが、カルティエのダイヤモンドリング。

これは婚約を発表した相手...モナコ公国のレーニエ公から贈られた婚約指輪でした。単なる演出小道具ではなく、特別な想いのこもったロマンスの証を身に着けて演じていたのです。


10.47カラットもの大粒ダイヤの存在感、そしてグレースの私生活におけるサプライズとともに、そのダイヤモンドリングは大きな話題に。この映画で初めて生の歌声も披露。その曲名『True Love』はグレースの実生活とも重なり、言うまでもなく大ヒットしました。
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グレース・ケリーの婚約指輪

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One item of Grace’s you would love to own...Her engagement ring

Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-グレース・ケリー エンゲージメント・リング


映画祭のあと、対面の席が設けられたモナコ公レーニエとグレース。グレースは母親に出会いの興奮を電話し、また初対面から数ヶ月が過ぎた頃、レーニエ大公が教会のアメリカ人神父タッカーにグレースケリーが自分の側にいる光景が頭からひとときも離れないと思いを打ち明けたそう。神父はレーニエの深い思いを綴った手紙をグレースの元に送り、グレースからも「私も次回モナコに訪れる際、レーニエ公にお会いできることを楽しみにしています」と直ちに返事が来ました。神父は直ちにレーニエ公を連れてのアメリカ旅行を手配。1955年クリスマスの11日前にニューヨークに到着しました。


映画撮影中であったグレースでしたが、実家のあるフィラデルフィアでクリスマスを過ごすため帰って来ていました。グレースはそこでレーニエと落ち合い、ディナーに招待。過去のグレースの恋愛関係はこの「ケリー家とのディナー」で父親が気に入らなかったということで全て終わりになりました。ディナーはほどなく終わり、ふたりはその後ニューヨークに戻り、再会してからわずか1週間後のニューイヤーズイブに、レーニエはプロポーズに踏み切ったそう。


グレースは両親にその喜びの報告をしにフィラデルフィアに帰ったそうですが、両親は気乗りしない様子を見せたため、神父タッカーに干渉に入ってもらい、レーニエの「素晴らしい夫になる」という言葉に、忠誠を誓うよう求めたそう。グレースの姉ばかりを愛し、グレースをダメな子扱いしていたグレースパパですが、レーニエはモナコ大公という肩書に熱心なカトリック教徒であること、オリンピック選手を多々輩出しているケリー家が気に入るほどの熱狂的なスポーツ愛好家というところで、認めざるを得なかったよう。


1956年1月5日、晴れて婚約を発表したふたりのニュースは、アメリカ全土とモナコを駆け巡りました。喜びに包まれる両国民でしたが、人気絶頂のなかで、果たしてグレースケリーはキャリアを断念するのだろうか...と思案が駆け巡りましたが、グレースはきっぱりと引退する道を選びました。


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モナコの繁栄をもたらすために計算された結婚とも言われていますが...


モナコに船の長旅で渡り、到着してから6日間、心ゆくまで夢のようなカクテルパーティーに夜会を楽むも、疲れがとれぬままに社交用事が次々と重なって式が近づくにつれ将来の不安が増していき数日で5キロも体重が落ちたそう。

”世紀の結婚”が盛大に執り行なわれ、やっと父が「素晴らしい結婚式だった」とグレースのしたことを褒めてくれました。ですがフランス語の習得に励みながらも日が経つにつれ、少しずつホームシックを感じるようになり、メディアからの詮索や、モナコ住民からの跡取りへの期待、元女優というステイタスを非難されていることに美しいグレースの顔が陰り始めます。押しつぶされそうな環境の中では、自らの存在を城の中で位置づけることが重要だと感じ、城の部屋の改装をし始め自分の好きな置物などを部屋中に散りばめることで安らぎの場を築きました。


1957年の1月プリンセスカロリーヌが誕生。1958年3月、住民待望の男児アルベールが誕生すると、フランスにモナコが吸収されることはなくなり、国は熱狂的な歓喜に包まれました。1965年2月1日   第二公女ステファニー・マリー・エリザベート出産。ステファニーが誕生するまで流産をしたそうで、グレースに二度目の憂鬱が襲います。その後も1967年、 1970年 流産します。


城の改装に取り掛かり、またレーニエの購入した古城を細心の注意を払い、全て建て直し生活における心の乱れから一家を保護するだけでなく、パパラッチに対する悩みも解消させました。3人の子育てに励むあいだ、モナコ赤十字社の総裁に就任するなどし、他のチャリティ活動にも最前線で関わりました。どんな小さな助けの要望にも一度もNoと言わない姿勢で取り組み、自然災害の被災者救済から、貧困に苦しむ人々に対する改善活動、老人福祉、様々な理由で生活保護を必要とする若い女性や子供に家や避難所を設けるまで、あらゆる慈善活動を行いました。1977年には飢餓に対する取り組みによって、国連からの表彰も受けました。



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もちろん年齢を重ねても身に着けました。


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