秋深し、、 | 西野和馬のオーディオ西方浄土パート2

秋深し、、

今年はいやに早く、9月の終わりごろから金木犀のいいかおりが漂いだして、濃くなって、10月にはいったらもうどこかへ消え失せてしまった。


朝日新聞を見ていたら、なんだかしらないけど夏目漱石の三四郎の連載が100何年かぶりで始まった、、なんのことかわからんが、


御嶽山の噴火では、多くの人が亡くなって実にいたましいことだった。うちの息子や娘と同世代の若い人たちが事故死したのは、本当にこころがいたむ。


でも、こういうのはどうにも人間には防ぎようがない。だからこそやりきれんなあ。


昨日あると話をしていたら、東北の被災地では最近、幽霊を見るという人が相当な数になっているらしい、、彼は心理学の先生なので、あくまで心理的な現象として言ってるのだけど、、


ああ、そうなのかあ、こっち側の人があっち側の人に会いたい会いたいとい強く思うと、もしかすると、出てきてくれるものなのかもしれない。あるいはこちら側の人がつくりだしてしまうのかもしれない、、


彼岸花はとっくに盛りを過ぎて、いまや、しおれかけてきた、、


息子は夜仕事に出かけるので、夜は若者向けのうるさいテレビは消してしまって、ネットラジオでジャズをかけて、お茶の間で本を読んだりしている。


すずしくなったから、エアコンかけずとも窓をあければ、夜は十分涼しいし、文字にも集中できる。


オディオ犬「ソラ」とは毎朝早朝定時に散歩に出かけるのだけど、7月にはギンギンに明るかったのに、今やまだ星空の下、犬は用を足す、、


クラッシック専門のネットラジオOTTAVAは一端閉局したのだけど、また再開! 昨日ちょっと聞いたけど、これはうれしかった。


この間の土曜日、何気なくBSを観ていたら、脚本家・作家の木皿泉さんの特集をやっていた。おどろいたのは、木皿泉っていうのは夫婦二人の連名であって、ご亭主は下半身麻痺で、奥さんが介護をしながらも、ふたりで作品を書いているのだった。


いやおどろいた、こちら側から見ると実に悲惨な状況で(実に悲惨だと本人たちもなげいていたが、、)。なにかふたりでそんな生活をしているのがとても楽しそう、しあわせそうに見えた。


という訳で、今、この人のエッセイを読み始めた。なるほど、おもしろいど、一本何か芯の通った強い人(特に奥さん)だったことが分かった。しあわせっていうのは、やっぱりだれからもらうってものじゃなくて、自分たちできちんとしたスタンスで生きていくっていう中で日々発見していくことでしかない、、ということが伝わった。





さて、もう10月も3日たった。


明日はいよいよ、インフラノイズの新USBケーブルを試す。実にひさしぶりにPCオディオを再開する。


秋もふかまったけど、まだまだ楽しいことはいろいろある。