先週放送された「24時間テレビ」。障がいを持つ人の再現ドラマや、彼らがスポーツや音楽・ダンスなどに挑戦する番組として知られています。今年も瞬間最高視聴率35.5%を記録し、注目を集めました。

今回はその裏でNHK・Eテレの番組「バリバラ(バリアフリーバラエティの略)」が「障害者に感動は必要?」と真正面から感動ポルノの問題を提起したため、両番組への賛否を含め大いに話題となりました。

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Wikipediaによると、
この言葉はオーストラリアのコメディアン兼ジャーナリストのステラ・ヤング氏が語った言葉で、

「障害者であるというだけで本人の経緯や負担、思いとは関係なく、メディアによってポジティブさ・努力をクローズアップされ、感動や励しの対象とされること」

を批判した言葉、とあります。

「バリバラ」はボクも見ましたが、24時間テレビだけでなく、これまでNHKで障害者を取り上げた番組も検証していて、挑発的だけでなく公平性も高かったと感じました。

両番組の放送後はどちらかというと24時間テレビの過剰演出が批判され、感動ポルノを批判する立場に立った「バリバラ」を支持する声が多かったように思います。

ボクは身内に障がい者も居ますので、割とこの問題を身近に感じています。

その上で批判される「24時間テレビ」と問題提起した「バリバラ」、双方について考えてみました。

■障がい者支援にとって24時間テレビの功績は大。ただその役割が変わりつつある。
批判も集まり、バリバラでは障害者達の評価が低いと調査結果も出た24時間テレビですが、障害者の存在に光を当てた今までの功績はやはり大きいと思います。この番組がなければ今回のように障害者と健常者の関わりに議論が発展することも無かったでしょう。

とは言え、今までのやり方を変える時期に差し掛かっているのだろう、とも思います。

本人や家族の意思を顧みず「数字が取れる」型にはめようとする向きはあるのでしょうし、所々ではその障害者すら不在で過剰演出に走る場面も見受けられます。

感動を売りにしようとすると、どうしても去年より今年、今年より来年と、感動を作り出す必要に迫られます。そのプレッシャーが感動ポルノと呼ばれる演出を生むのではないでしょうか。

これって家電が高機能化して行く過程に似ています。唐突ですがそんな気がしました。ボクが家電業界に身を置くからそう思うのかも知れませんが。

■イノベーションを起こせないから高機能化して行く
例えばテレビは液晶化→大型化→3D(頓挫)→4K・8K化と進化していますが、最初にテレビが登場した時ほど僕たちの生活に影響を与えてはいません。

かつてのウォークマンのような、スマートフォンが登場した時のようなイノベーションを起こせないからスペックの上乗せに走らざるを得ない。結果、殆どの人が使うことの無いボタンの付いた商品が出来上がる。そんな感じです。

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前例主義、今までの延長線上で「もっと」をやろうとするから過剰とも言える機能になるんでしょうね。毛穴一つ一つが見える画質は凄いけど、それが嬉しい人はあまりいないように。

同じように障害者のあるシーンだけを切り取って、それを如何に感動的、情緒的に見せるか、という手法の延長線上で「もっと凄い感動」を目指し続けた果てにあったのが、感動ポルノと云われる過剰演出かと思います。

そういう意味で映像の作り手にも障害者が参加したり、逆に健常者が障害者に取材されたり、今までの延長線に無いことが求められてるのかも知れませんね。

但しこのイノベーションには一つジレンマがあって、一時的には視聴率(ビジネスで言えば売上)は落ちるかも知れないということ。

失敗やチャレンジを許容しない組織では難しいんです。日本の社会もそろそろそういうことに寛容になった方が良いということかも知れませんね。

それでは今日も良い1日を☆

この記事を書いた人:メオマサユキ

meomasa地域電器店専門の販促・経営アドバイザー。
1972年大阪生まれ。大学卒業後、会計事務所に約12年勤務。2009年より町の電器屋さん「アトム電器」を展開する㈱アトムチェーン本部に勤務。 2012年より始めたご加盟の電器店さんとの個別経営面談会もおかげさまで200件を越えました♪(プロフィール