都心部の戦国合戦「江古田原」の謎②[長尾景春と豊島兄弟] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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歴史ファンの皆さんとともに歴史ミステリーにチャレンジし、その謎を解き明かすページです(無断転載禁止)

 享徳の乱と呼ばれる戦禍が関東一円に及ぶなか、山内上杉顕定の執事の職を争い、長尾景春が敵(古河公方)陣営と手を結びます。

 

 景春の武将としての能力は高く、武蔵・上野・相模の堀越公方陣営の国人衆の多くがこぞって景春に加担したのです。

 

 こうして道灌が属する堀越公方方は窮地に陥りました。

 

 彼らが古河公方軍への備えとして築いた前線の五十子陣(埼玉県本庄市)が文明九年(1477)正月、長尾景春軍の前に崩壊し、堀越公方軍の首脳は、北関東の上野へ逃亡したのです。

 

 当時、武蔵国でも豊島一族が景春方(古河公方陣営)となり、江戸城にいた道灌もまた孤立していました。

 

 その豊島一族は鎌倉時代から続く桓武平氏の末裔です。

 

 豊島郡豊島(北区)を本拠に、ピーク時には、二三区のうち北部の一一区ほぼ全域に勢力を伸ばしていました。

 

 戦国時代にはいくつかの家に分かれ、当時の宗家は、石神井城(練馬区)の城主・豊島勘解由左衛門尉(名は泰経とされる)、練馬城(同)の城主・豊島平右衛門尉(泰明とされる)の兄弟でした。

 

 

(つづく)

 

 

【著者新刊情報】『江戸東京透視図絵』(五月書房新社。1900円+税)

編集者「町歩きの本をつくりましょう。町を歩きながら、歴史上の事件を“透かし見る”という企画です」

筆者「透かし見る?」

編集者「そうです。昔そこであった事件や出来事のワンシーンをイラストレーターの先生に描いてもらい、現実の写真と重ね合わせるんです。つまり、町の至る所に昔を透かし見るカーテンのようなものがあると考えてください」

筆者「それってつまり、“時をかけるカーテン”ですね。そのカーテンがタイムマシンの役割を果たしてくれるんですね!」

編集者「まあ、そんなところでしょうか……」

筆者「やります、やります。ぜひ書かせてください!」

という話になって誕生したのが本書。新しいタイプの町歩き本です。

 

【著者新刊情報】『明智光秀は二人いた!』(双葉社、1000円+税)

明智光秀はその前半生が経歴不詳といってもいいくらいの武将です。俗説で彩られた光秀の前半生と史料的に裏付けできる光秀の後半生とでは大きな矛盾が生じてしまっています。そこでこんな仮説をたててみました。われわれは、誰もが知る光秀(仮に「光秀B」とします)の前半生をまったく別の人物(仮に「光秀A」とします)の前半生と取り違えてしまったのではなかろうかと。この仮説に基づき、可能な限り史料にあたって推論した過程と結論を提示したのが本書です。 したがいまして、同姓同名の光秀が二人いたというわけではありません。最近では斎藤道三について「父と子の二代にわたる事績が子一人だけの事績として誤って後世に伝わった」という説が主流になっています。そう、斎藤道三も「二人いた!」ということになるのです。

【著者新刊情報】『超真説 世界史から解読する日本史の謎』(ビジネス社、1600円+税)

 日本史が世界史の一部であることはいうまでもありません。そこで大真面目に「世界史から日本史を読み解いてみよう」と考えました。その結果を最新刊に凝縮させました。 弥生・古墳時代から現在に至るまで、日本は東アジアはもとより、ヨーロッパやイスラム諸国からも影響を受けながら発展してきています。弥生時代の「倭国大乱」から明治新政府による「日韓併合」まで、日本史を国際関係や世界史の流れから読み解きました。

 

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