江戸時代、正雪を極悪人として書く傾向にありました。

 

政権転覆を図る浪人集団のリーダーなのですから、幕府にとって悪人像が好ましく、その実像が歪められている面は否めません。

 

だとすると、師匠毒殺の一件はもとより、正雪の幕府転覆計画そのものも考え直してみる必要がありそうです。

 

俗説が蔓延る正雪の生涯の中で比較的正確に事実を伝えていると考えられるのが駿府での捕り物の場面です。

 

というのも、現場に居た草川五左衛門という人が『草川覚書』というメモを残しているからです。

 

五左衛門は陸奥三春藩(福島県)の藩士。

 

殿様の秋田(もり)(すえ)が駿河城代加番であったことから、捕り物の様子を詳しく知ることができました。ちなみに、加番の役目は、駿府城代を助け、城外の警備に当たる職です。

 

この『草川覚書』によると、五左衛門は、正雪が自刃して果てたのち、一行が旅装を解いた宿屋(梅屋)の外で岩室武左衛門という同僚の侍に会い、正雪の最期を伝えたといいます。

 

その武左衛門は梅屋の中に入り、彼が正雪の枕元に置いてある書置(かきおき)(遺書)を見つけます。

 

以下の顛末は、おそらく武左衛門から聞いたのでしょう。

 

「はな紙二枚()(そう)にあい(したた)め、ところどころ血つき申し候」

 

つまり、正雪の遺書は、粗略にも鼻紙二枚に認められ、ところどころに血糊が付着していたというのです。

 

駿府町奉行の手の者に梅屋を包囲され、覚悟を決めてから側にあった鼻紙に書き留めたのでしょう。

 

その粗略な感じがかえって生々しく感じられます。

 

遺書は殿様の秋田(もり)(すえ)らに提出され、そののち写しを取られたこともわかっています。

 

問題はその内容です。

(つづく)

 

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 密告によって、浪人たちの企ては空中分解してしまいます。

 

現代のように刑事被告人の陳述内容が公にされることはありませんから、捕縛された者がどこまで口を割ったかはわかりません。

 

ただ、浪人たちが企てた計画、すなわち、巷間伝わる幕府転覆計画は次のとおりです。

 

まず、幕府の硝煙蔵に火をかけて爆発させ、それを合図に江戸市中を放火してまわること。ついで、その混乱に乗じて江戸城へ押し入り、家綱の身柄を奪うという内容でした。

 

一方、駿府ではリーダーの正雪自身が駿府城と東照宮のある久能山を押さえることも計画に含まれていたといいます。

 

このほか、大坂・京でも同時蜂起する予定でした。

 

この浪人グループは総勢一五〇〇。

 

各自、路銀として金一両が支給され、連絡あり次第、集合する手筈になっていたといいます。

 

こうみると、綿密な計画による同時テロ計画のように思えます。

 

しかも、徳川御三家の紀州藩主・徳川頼宣(よりのぶ)(家康一〇男)が彼らの黒幕だったという疑いも浮上しています。

 

慶安事件と呼ばれるテロ未遂事件の真相を探るべく、まずは、リーダーの正雪がどんな人物なのかみていきましょう。

 

由比姓を称していることからわかるとおり、東海道由比宿(静岡市)の紺屋(染物屋)の家に生まれたといわれますが、駿府宮ヶ崎出身説のほうが有力のようです。

 

いずれにせよ、若くして江戸に出て、楠木正成ゆかりの軍学を伝える(くすのき)不伝(ふでん)という軍学者に入門します。

 

正雪は、楠木正成の書を手に入れるために師匠の不伝に毒を盛って殺したと『草賊記』にあります。

 

事実ならとんでもない話です。

 

しかし、『草賊記』儒学者林羅山の著ともいわれ、いわば幕府側の人物によるものです。

 

江戸時代に正雪を扱った史料は、彼を極悪人として書く傾向にあり、その内容は鵜呑みにできません。

 

(つづく)

 

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慶安四年(1651)四月二十日、江戸幕府三代将軍の徳川家光が病没します。

 

跡を継ぐ予定の家継は若干十一歳。

 

しかも、家継は病弱で性格は温和。

 

すぐには将軍宣下されず、いわば将軍不在の時代の話です。

 

巷には浪人が溢れ、厳しい浪人の取り締まりによって彼らの不満はピークに達していました。

 

幕閣らが世情不穏な情勢を警戒しても不思議ではありません。

 

そんなある夜のこと。正確にいうとまだ残暑の残る七月二十三日、老中松平信綱の屋敷へ駈けこみ、幕府転覆計画を訴える者がありました。

 

信綱の家臣の弟で、一味に加わっていた奥村八左衛門という男です。

 

別ルートからも同様の密告者が現われ、幕府は即座に動きました。

 

まずは丸橋忠弥という槍の名手で知られる浪人が捕縛されます。

 

彼はこの幕府転覆計画グループの副リーダー。

 

その時、リーダーの軍学者・由比正雪は江戸を発ち、駿府(静岡市)へ向かっていました。

 

正雪ら一行は駿府の梅屋という宿屋に入りますが、駿府町奉行の手の者に梅屋を包囲され、正雪らほとんどの一味の者が召し捕られる前に自害して果ててしまいます。

 

こうして彼ら浪人たちの企ては首謀者を失って空中分解してしまいました。

 

(つづく)

 

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