サスペンスドラマさながら!「戦国時代の民衆」事件簿①[九条政基] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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戦国時代、民衆は度重なる戦乱の被害者として描かれることが多いのではないでしょうか。

 

もちろん、敵兵に育てた稲を刈り取られ、女たちは乱取りといって奴隷借りの対象となって、最悪の場合、二束三文で南蛮諸国に売り飛ばされていました。

 

たしかに悲惨な時代です。

 

しかし、なかなかどうして、彼ら戦国時代の民衆は逞しかったのです。

 

というより、彼らも戦国の荒々しい気風にどっぷり染まっていたといえるでしょうか。

 

その実例を見てみましょう。

戦国時代の初め、文亀元年(1501)から永正元年(1504)までの四年間、和泉国入山田村(大阪府泉佐野市)に荘園(領地)を持つ公卿の九条政基が京から現地へ下向し、荘園を直接支配しました。

 

 

 

 

 

 

 

この時代、荘園領主は京にいて年貢だけ収納するのが常識でしたから、荒々しい「戦国の村」で暮らそうという九条政基という公卿は、かなりの変わり者だったといえます。

 

しかし、彼が「戦国の村」での体験を『政基公旅引付』(以下・『旅引付』)という日記につけていてくれたおかげで、われわれ後世の者は、戦国時代の「村」での民衆らの暮らしぶりを知ることができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

『旅引付』を紐解いてゆくと、入山田村でサスペンスドラマさながらの事件が起きていたことがわかります。

 

ドラマ風にまず、主な登場人物を紹介いたしましょう。

 

 主役は、入山田村在住の正円右馬と亀源七。脇役として、領主の政基および大勢の村人たちといったところでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづく)

 

【著者新刊情報】『江戸東京透視図絵』(五月書房新社。1900円+税)

編集者「町歩きの本をつくりましょう。町を歩きながら、歴史上の事件を“透かし見る”という企画です」

筆者「透かし見る?」

編集者「そうです。昔そこであった事件や出来事のワンシーンをイラストレーターの先生に描いてもらい、現実の写真と重ね合わせるんです。つまり、町の至る所に昔を透かし見るカーテンのようなものがあると考えてください」

筆者「それってつまり、“時をかけるカーテン”ですね。そのカーテンがタイムマシンの役割を果たしてくれるんですね!」

編集者「まあ、そんなところでしょうか……」

筆者「やります、やります。ぜひ書かせてください!」

という話になって誕生したのが本書。新しいタイプの町歩き本です。

 

【著者新刊情報】『明智光秀は二人いた!』(双葉社、1000円+税)

明智光秀はその前半生が経歴不詳といってもいいくらいの武将です。俗説で彩られた光秀の前半生と史料的に裏付けできる光秀の後半生とでは大きな矛盾が生じてしまっています。そこでこんな仮説をたててみました。われわれは、誰もが知る光秀(仮に「光秀B」とします)の前半生をまったく別の人物(仮に「光秀A」とします)の前半生と取り違えてしまったのではなかろうかと。この仮説に基づき、可能な限り史料にあたって推論した過程と結論を提示したのが本書です。 したがいまして、同姓同名の光秀が二人いたというわけではありません。最近では斎藤道三について「父と子の二代にわたる事績が子一人だけの事績として誤って後世に伝わった」という説が主流になっています。そう、斎藤道三も「二人いた!」ということになるのです。

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 日本史が世界史の一部であることはいうまでもありません。そこで大真面目に「世界史から日本史を読み解いてみよう」と考えました。その結果を最新刊に凝縮させました。 弥生・古墳時代から現在に至るまで、日本は東アジアはもとより、ヨーロッパやイスラム諸国からも影響を受けながら発展してきています。弥生時代の「倭国大乱」から明治新政府による「日韓併合」まで、日本史を国際関係や世界史の流れから読み解きました。

 

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