放送大学の面接授業の追加登録で、奈良学習センターへ残り2名枠の「社会学のメガネで見る社会の姿」に郵便申請したら、
見事に連絡なし。
あらら。
で、公開された更なる追加募集を学生サイトのシステムWAKABAを確認したら、その科目名はない。
まあ、連絡なしの時点で、落選確定しているんですがね。
で、第2・第3候補だった滋賀学習センターの2講座「和食の歴史」と 「モンゴル帝国の虚像と実像」。
どちらも余剰定員が多くて、大丈夫だろうと見越していたところです。
見ると、予想通り再々募集をしている。
ところが、もう一度、内容を再検討してみると、前者は事前資料の持参やぐだぐだややこしい要求がありそうで、
後者は無難すぎる内容でサプライズもなさそうで、
わざわざ現金書留で申し込む気がすっかり失せてしまっていました。_| ̄|○
「めんどくさ」って思った時点で、アウトですよね。
で、大阪と兵庫の学習センターに絞り検索。
すると、第八候補ぐらいだった地元・兵庫学習センターの「知恵を求めて」という何やら怪しげなタイトルに引っかかる。
最近の僕は、ゲシュタルト空間という怪しげな感覚を開発中なので、(爆笑)
ここへ行ってみようか、と決定。
何よりも交通費ゼロで、単車でピューッと行けますからね。
まあ、内容が外れても、時間もお金も被害は少ないし、哲学的な考察が深まりそうですから。
今日は午後出勤なので、仕事前に行って申請してみます。
話は変わって、
地元の地方新聞へ短歌・川柳など短詩型文学を毎月出すことを訓練として課してます。
もう何年も続けています。
先々月は短歌が入選掲載されてましたが、先月の投稿をつい忘れてしまったんです。
「あちゃー」と気づいたときは締切日すぎで、意外に忙しかった3月下旬から4月初旬でしたから、仕方ないんですが。
詩も何ヶ月かぶりで、この間、出しましたが、今月分の短歌・川柳を、十二音日記から拾い上げて、先ほど葉書に書き終わりました。
小説系を考えていると、構想ができても、なかなか書き始められなくて、
こうしたプチ創作してモードに入ると、そのまま書ける場合が多いんですよ。
「清流の国ぎふ ショートショート文芸賞」も、よし頑張るぞと思えば思うほど、書き始めにくくなります。
とりあえず、ワープロ機のポメラに9行ほどだけでも書きはじます。
すると、覚悟が決まりますから。
でも、5分もかからず書き出した、この9行だけでも180字になるんですよね。
規定は、3枚以内、1200字ですから、もう1割越えちゃった。
恐るべし、ショートショート。
大体の構想ができてから1週間以上、どう書くか悩んでいたのに、5分で1割・10%ですから。笑
とりあえず、星新一さんになったつもりで、もう完全なパクリ文体で素案を描き始めますね。
(もちろん、内容もアイデアは全然違います。
でも、気持ち的には星新一流で、その思考パターンを完全パクリできたら、それはそれで凄いと思っています。)
実は密かに決めたことがあります。
前回のこのブログでも書いたように、星作品は非キャラクター性と非ストーリー展開文学だ、と僕は思っています。
どうやら、僕はそれら二つの要素、キャラクター性とストーリー展開に強く呪縛されているみたいなのです。
ですから、今回のようなショートショート賞に応募するもの限らず、
今後、応募する小説を、一度、全てショートショート風な、プチ物語を祖形として「書いて確認」してから、
それを30枚、50枚と拡大、付け加える形で成長させる作戦を、しばらく取ってみようかと思っています。
この「書いて確認」が凄く大事で、「頭の中で考える」方法を取る限り、もう何十年と【ストーリー展開の呪縛】から逃れられなかったのと同じ結果しか生まない、と考えました。
実際、詩を書くときも、いわゆる「言葉が言葉を生む」形で、文字を書き、それらで描き始めて、頭の中にあるモヤモヤを言語化するのですから。
ある意味、初めての所作でありません。
それこそ、「ゲシュタルト空間からの言葉のダウンロード法」として転用して、確立させたいんです。
頑張ります。