未来意識へ現在の根拠を変える。
目立たないけど、これが第一歩。
多分、こう書くと、なんか抽象的な姿勢か、宗教的な悟りを書いているみたいだけど、違います。
いたって、真面目。
『苫米地英人 人生を劇的に好転させる自己流脳ルール44』(学研)を読んで思ったことです。
面白いことに、この本をpickしようとしたら、検索で出てこない。
おいおい、学研で出版されてるのに?
まあ、苫米地英人さんの著作は無数と思うぐらい50冊以上あるみたいだから、検索しきれないのかもしれませんね。
僕もブックオフで安いのだけ選んで買っています。
前にも言いましたが、内容は苫米地さんの著作を4・5冊読んだら、もう書いていることや基本の考えは大同小異です。
少し違う角度から、自分に都合よく頭に入るものを選べばいいと僕は思っています。
ファンですが、信者じゃないので。笑
この本も同種の内容になっています。
さて、まず、自分の生活感覚、どうしたいのかの行動感覚の目標を、
今までの現状(過去積み)からの推測ではなく、ゲシュタルト空間から下ろす(未来)意識に換えないといけないのかもと思っています。
創作に取り組んでいるときも、実行案がぼんやり出来ているのに、なんとなくヤル気にならない時って、多々あるんです。笑
「どうせやっても無駄なんじゃ」
という心の声と怠惰さに、自分が占拠されているからです。
それって、単に自分を責めても変わらないので、その意識を探ると、苫米地さんの指摘する、過去に縛られた現状の想像感覚が、確かにあるな、と感じました。
詩ならわずかに入賞した実績があるのと、創作する過去積み体験なルートがあるから、書く気力が出るんですよね。
けど、小説系は「どうせやっても無駄だしなあ」の言い訳と怠惰が居座ってしまって書けなくなる。
確かに、その通りです。笑
だから、
〈過去に縛られた現状感覚を、ゲシュタルト空間からの未来換算意識への転換〉って、ほんと必要だ、と感じました。
プラス受賞という成功体験もね。
だって、口で言うのは簡単だけど、
過去に囚われないってのは、一部の天才を除いて、(過去の経験を知識(文化)に変えて生き延びた)
ホモサピエンスの精神構造上、体得するのはかなり無理があると、僕は思うんです。
デフォルト感覚じゃないんですよ、それは。
生きる摂理に反している。
繰り返しますが、信者じゃないので、苫米地さんの話も話半分、納得したところだけ実行します。
この未来感覚って、とてもとても難しい。
でも、つい自分はダメだ(才能がない)で「誤魔化す」のが楽だから、安易にそちらへ逃げないためにも、必要だな、と強く思います。
よく励ますために、相手へ言う、気休めで、「君なら、できるよ」って、僕は基本、口が裂けても他人へ言いません。
ある程度の確証がなければ、ね。
僕は自分の才能の有無に対してはもっと厳しいですから、「大丈夫、できるよ」なんて、言いません。
だから、逆に、「前例のないことだから、過去は参考にならない。チャレンジだね。まず書こうよ」と言いたいです。
これ、根拠、確証はあります。
実際、僕自身の歴史で前例がないところから、小説や詩が書けるようになったのは紛れもない事実ですから。
こればかりは、誰にも否定できない。
だから、今、来ているシンクロニシティの渦を利用しないとね。
その渦に意識的に巻き込まれ、どんどん渦を僕自身が大きくしないといけない。
(若者は、背負う過去が少ないから、スパッと挑戦できるんですよね。
無謀なものが、99,9%で、ほぼ全部失敗するんだけどね。
残り、0.1%が成功、躍進する。
だから、僕の「宝くじはハズレでも買い続けなきゃ当たらない理論」が生きてくる。笑)
でも、そんなゲシュタルト感覚から見たらある確証すら打ち消して、埋没させて、変身しきれないのが、日常時間の怖さですから。
目立たないけど、この意識転換が第一歩だね。
今はあるけど、日常ではねえ。
ふうー、ため息です。
今日も、仕事へ行きます。