たぶん、一般に知られていないPeatixの凄さは知られていていないと思っています。
Peatixは、様々なイベントを予約できるサイト。
アプリもあります。
すごく小さな、少人数のものや、地方の企画もの、無料参加の小さな会合も知らせてくれるから、
一体、どういう収益構造なのか、気になるところですが、たぶん、有料のもので、そこから紹介料やらを取ってるのかな、と思います。
ここで、書評家・倉本さおりさんの純文学系の小説家との対談を、よくやってます。
今回の小砂川チトさんとのもので4回目かな。
最初は、井戸川射子さんで、それから、小池水音さん+滝口悠生さん、小山田浩子さん。
どれもオンラインで1,000円ほどで参加できるので、すごく助かっています。
開催場所は、東京都内の書店やその会場が多いですから、移動時間や交通費を考えたら、絶対、全部の参加は不可能ですからね。
でも、たぶん学ビストの僕だから、躊躇なく参加のボタンをプチッと押しますが、
そうでない方は、こういう情報をよほどファンな作家でない限り、スルーが多いんだろうと予想しています。
「勿体ないですよ」
と、声を大にして言いたいです。
今回の小砂川チトさんは、まだ二冊しか本を出されていない若い女性作家です。
二冊とも芥川賞候補になったので、僕は本を持ってますから(すみません、チラ見しかしてません)、
存じていますが、読書好きの中でも一般の知名度は低いでしょうね。
そのトリッキーな物語が、どういう感覚から生み出されるのか、ご本人にもよくわからない、とおっしゃってるのが、
倉本さおりの手練手管によって、鮮やかに聴き手の前に紡ぎ出されます。
これこそ、書評家・倉本さおりの凄さであり、真骨頂ですね。
僕は、倉本さん自体のファンです。
でも、今回の対談、予約したのが、つい4,5日前で、危うくスルーするところでした。
メールでPeatixが知らせてくれたのか、自分で検索したのか、忘れましたが、慌ててポチりました。笑
きっと常勤の時や創作へ集中した時だと、忙しくて気づかなかったかもしれません。
倉本さんの選んだ純文学の作家の話を聞いていると、無性に純文学系の小説が描きたくなります。
単なる、その本の内容の紹介じゃなくて、その作家の創作の秘密や感性へ鋭く切り込んでくれて、作家自身も気づいていないことをリスナーと共に発見させるんですね。
僕が、’24年度4月から、一時、詩や児童文学への傾斜を止めて、大人の文学、純文学への集中を宣言したのも、何割かは倉本さんの、このいくつもの対談が原因だと言っても過言ではないでしょう。
それほど魅力的な対談ばかりなんですよ。
そうした点と、急に発見したところは、昨日の、この倉本さんの小砂川チトさんの対談は、一連のシンクロニティの流れにある気がします。
「ここへおいで、ここまで上がっておいで」
と言われているかのように感じています。
小砂川さんも、最初、エンタメ系の、日本ファンタジー・ノベル大賞へも応募してみて、とか、
大学院の時、初めて小説を書きはじまたことや、梗概などエンタメで整えることの要求がすごく下手で、
という話には、僕の心臓のど真ん中がぶち抜かれましたから。
たぶん、僕だけの特殊事情で、小説を書くにも常にエンタメ系と純文学の間で揺れ動いています。
ちょうど、この間、熱心に読んで分析したマンガ・ネーム的な物語術を、今、丁寧に実践しようとしているのも、ある意味、身につけたっとたんまた壊さないといけないとも感じてるんです。
それは、抒情詩と象徴詩、近代詩と現代詩の間の、初期条件の差を感じつつ、詩作しているとの同じ構造だと思います。
たぶん、一般的な詩人の方はどちらかを選択しているし、そんな文学史的な理解や姿勢はされないでしょうね。
僕の創作衝動は、詩(抒情詩派と象徴詩・言語修辞派)2つ、小説(エンタメ系と純文学、さらに児童文学)3つの5等分の間を揺れ動きつっつ、相互に関連しながら適宜、彷徨います。
さらに、それらを文学史的に捉えて判断している研究家視点も入れると、六神合体してるんですね。
うーん……どれも分けられないので。
しかも、そら恐ろしいことに、美術的というか、図像的なアニメや絵本、ストーリーマンガ要素も含んでいたりして。
ああ、六神じゃなくて、八百万の神だったのかもしれません。爆笑
デッサン、彫塑、バドミントンや空手や古美術・古寺も入りますからね。