天啓が降りてきて | 読書と、現代詩・小説創作、物語と猫を愛する人たちへ送る部屋

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小説や詩の創作、猫また大学通信を書いています。Twitterは、atlan(筆名:竹之内稔)@atlan83837218 放送大学在学中。「第8回新しい詩の声」優秀賞を受賞。
 京都芸術大学の通信洋画&文芸コース卒業/慶應義塾大学通信卒業/東洋大通信卒業/放送大大学院の修士全科生修了。

ガンダムで言えば、額の前で、小さな黄色い稲光が走った、のでしょうか。


一つ、ふっと天啓が降りてきました。

ずっと、このブログをご覧いただいている方はご存知のように、

僕は詩はそこそこ書けるものの、どうしても小説系をちゃんと書きたくて、

日々というか、毎年、10年以上あがき続けております。


毎年それなりには発見があるものの、日進月歩で遅々として実力はあがりません。

絶望的に書けないで、全然筆が進まないときもしばしば。

(ちょうど今です。笑

気分転換に、今月分の「ココア共和国」への詩を改稿して送付しておりました)


で、ふと思ったのです。

自分にはない書き方があると思い込んで、ずっとそれを探すか編み出そうと、

ここ10年間以上、頑張って努力してきたけれど

もしかしたら「それって根本的に間違いじゃないか」って。


この前から、マンガのネーム作りの方法を解いた中村裕久さんの本を読み込んで、

そのエッセンスを小説創作に取り込もうと悪戦苦闘してました。


で、それとは別に再開された「さばえ近松文学賞」の去年の受賞作やら、'16年や第一回の'13年の「恋の手本」を詳しく読解分析していました。


特に、この「恋の手本」は、改めて読むと、

マンガネーム構成的に見ると、

丁寧な機能(文字通り、コミュニティ・人物・環境の紹介や情報が埋め込まれている)がある文で隅々まで構成され、一切の無駄のない作品だったんです。


つまり、まさに、イントロから短い中盤で山場があり、短い後日談の1文で締められていた、という分です。


で、ちょうどゴミ捨てでステーションへ向かっている時に、ふと思った。


僕の書き方が乱暴なのが問題なんじゃないか?


粗雑で不親切で、書き手中心の我儘な書き方をしていることが問題なのじゃないか?

 かつ、反面、冗長で無駄な文も多い」って書き方をずっとしていることが原因で、

ずっとダメダメなのでは、と。


詩の初稿も、雑な書き方だとダメダメになる、それと同じだってこと。


つまり、口先だけ、読み手ファーストと表明してるけど、

現状、全然そうじゃない。

このマンガネーム構成の視点だって、丁寧に丁寧にシーンを構成しないといけない。

でないと、表明的に受け止めてることになってしまう。


必要ようなのは、真に読み手ファースト化した【姿勢】だったんじゃないか。


そう思って取り組んでみます。