彼女の季語を解説した歳時記関係の書物を観ると、
例えば、鶯について、
視覚50
聴覚100
とか点数のようなものが書いてあります。
普通の歳時記には、全然そんな書き方してないんですよね。
確かに、鶯の声や羽根の色については触れますが、
文章の中でサラッとだから、あまり印象に残らないんですよ。
この辺、夏井さんが中学の先生だったこともあって、学ぶ側の立場に立てるのが、
非常に大きいと思います。
また、別の本でも、「感覚表現を複数、いれる!」などと書かれていたり、
場合によると、五感じやなくて、
第六感も書くなどと書かれてあったりもします。
僕も常々、感覚表現を詩や小説の文章に入れるように努めてきましたから、
大いに首肯した点でした。
また、「オリジナルな発見があること」なんてのも、
僕が普段、金科玉条のように意識して、文章を連ねていること、そのままでした。
こうして見ると、
夏井さんの十二音日記というのは、俳句だけに利用させるのは、
もったいない発想であり、メソッドだと思います。
そんなこんなで、俳句研究を続けながら、
敬愛する児童文学の作家、岩瀬成子さんの作品を読み直してみると、
また新たな発見が文字通りありました。
こうして、表現にこだわって見ていくと、
今までの自分の小説や散文系の物語の書き方に
つくづくピントがズレてたんだな、と感じました。
それは、また後日に。