また、今日のこの記事のテーマは「目覚め」です。
若松さんは、詩情(ポエジー)は誰の心にも眠っていて、
人は苦しいとき、何かに祈りたくなるとき、実は詩情が発現している、と説きます。
真心を込めて書いた、手紙は、自然と詩になる、という、ドイツ文学者のノヴァーリスの言葉を引用してみせます。
卓見だと思うし、僕自身を振り返ってみても、
そうだと思います。
そんな中でも、いちばん成る程と思ったのが、
「すぐれた詩は、読み手に「書け」と促します」
ということば。
その上で、山本健吉の詩の歴史に言及した言葉へ繋げます。
「何者かに目覚めさせられて詩を書いてきた詩人たちが、後世の誰かを目覚めさせ、それを伝えていくのです」
山本健吉は、いわゆる口語自由詩だけでなく、和歌や俳句、すべてを含めて、
「詩」と呼び、詞華集を作りなさい、と説きます。
これを至言、というのでしょうね。
肝に銘じて、この道によりいっそう精進しようと僕も思いました。
大袈裟に言えば、
この言葉に逢うために、2年と3ヶ月前に僕は詩が書けるようになったのか、
と、天の配剤、シンクロニシティを感じました。