「自宅介護で「胃ろう」をやめた日」-3






私は「かわいそうに・・」と言う言葉が嫌いです。




もちろん・・


本当に「かわいそう」なことは多々あります。


けれども、その「かわいそう」を連呼する人の多くというか、ほとんどの人は「かわいそう」な人のために何もしてはくれません。




ただ、涙を流して悲嘆にくれるだけです。


むしろ「かわいそう」だからやめさせろ、ということの方が多い。




「かわいそう」はその人にとって何も助けにはなりません。




むしろ、その人にとっては今は辛くても本当はよくないことにしてしまったりします。


自分が気持ちよくなりたいのか?なんてうがってしまいます。




病魔に襲われた時、不運に見舞われた時、わけもなく不幸に陥ったとき、人は「かわいそう」ですが・・


そこから立ち直った人、立ち直ろうと努力している人、生きたいと思っている人は決して「かわいそう」ではありません。




「かわいそう」という言葉は相手の上に立って見下しているから出てくるのではないかと思っています。





少なくとも、私の父は「かわいそう」ではありません。




同じ病気で倒れてそのまま亡くなってしまった方がたくさんいらっしゃいますが・・


父は元気で生きています。


今自分に出来ることを精一杯やって毎日を楽しく生きています。





母も「かわいそう」ではありません。



母は父が何度死にかけても死ななかったことを、どんな身体になっても生きていてくれて良かったと心から心から喜んでいます。


生きていてくれて嬉しいのですから、どんな介護でもそんなに苦にはならないようで、毎日楽しそうに介護しながらすごしています。





本当のところはわかりません、でも少なくともそう見えます。






「かわいそう」だから抱きしめているだけでは、その人は治りません。


「かわいそう」だから辛いリハビリをやめたら、その人は動けるようになりません。


「かわいそう」だからもうやめてあげて、その結果死んでしまったら元も子もありません。





「かわいそう」と思う心は大切です。


でも、その次はその人のために何が出来るのか、何をするべきなのか、本当に大切なことは何なのか?




「かわいそう」だから、やらせない・・


「かわいそう」だから、やってあげる・・


「かわいそう」だから、もうやめて。




は間違っていると思っています。







幻冬舎ルネッサンス

「自宅介護で「胃ろう」をやめた日」

25年にわたる壮絶で希望溢れる介護ドキュメント!


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