おはようございます。
いよいよこちらに風が吹いてきました。
海外工場からSV支援の要請が入りました。
頼まれごとは試されごと。
相手の予測を上回る実績をもって応えていきたいと思います。
今日の良い言葉も佐々木常夫氏の『働く君に贈る25の言葉』よりのシェア。
この本の中で最も感動した話です。
長文になりますがおつきあいください。
いままさに、自分がおかれた環境を見透かしていたかのような
すばらしいアドバイスの数々。
さすが、働く君に贈る言葉ですね。
では皆様、今日も愛と光と忍耐で充実の一日をお過ごしください。
コメント楽しみにしております。
──────────────────────────────
運命を引き受けなさい。
それが、生きるということです。
──────────────────────────────
先日は、わざわざ家まで来てくれてありがとう。
久しぶりに会えて、とても嬉しかったですよ。仕事もがんばっているようですね。会社での出来事を話す君の顔を見ながら、ずいぶんと逞(たくま)しくなったものだと感じました。どこか、覚悟のようなものが伝わってきました。
思えば、社会人になってからいろんな経験をしてきましたね。仕事が上手くいかなくて悩んだ時期もあったし、大失敗をして落ち込んだこともあった。苦手な上司の対応に苦慮したこともあったし、不本意な異動に力を落としたこともありました。
しかし、君は、困難から逃げることなく、その一つひとつを乗り越えて、ここまでがんばってきました。きっと、そうしたことの積み重ねが、君に、何があってもそれを引き受けようとする覚悟を育ててくれたのでしょう。
人生を生き抜いていくには、その覚悟こそが大切です。
私たちは、誰しも運命を背負っています。
親や兄弟を選ぶことはできませんし、能力や容姿も天から授かるものです。どの時代を生きるかを選ぶこともできません。これはすべて、所与の条件として私たちに与えられるものです。それらを引き受けて、生きていくほかないのです。
「出会い」もそうです。
この世には、数多くの人々が生きています。そのなかで、誰と出会うのかを、私たちは必ずしもコントロールできるわけではありません。すべての出会いの背景には、無数の偶然の積み重ねがあります。何ものかに導かれるようにして、私たちは出会いを繰り返しているのです。誰と友人になり、誰と結婚するか──。これも、運命というほかありません。
仕事も同じことです。君は、無数にある会社のなかから、いま勤めている会社に出会う運命にあったのです。
そして、会社における複雑な力学が働いた結果、配属が決まり、一緒に仕事をする上司や部下、取引先などが決まります。そこに、君の意志が入り込む余地はほとんどないと言っていい。君はそれを受け入れるほかないのです。
だだ、私たちはその運命のなかで改善するための努力をすることはできます。
君に与えられた才能は変えられないかもしれません。しかし、よい習慣を身に付ければ、その才能を超えることができるのです。上司の人間性も変えることはできません。しかし、君が適切なコミュニケーションをとれば、必ずそれなりの人間関係を築くことができます。たとえ、不遇なポジションに立たされたとしても、そこで腐らずにがんばり続ければ、いつか君を評価する人が現れるのです。
運命は、ときに厳しい逆風をもたらすこともあるでしょう。しかし、それを引き受け、その中で努力をする覚悟を持ち続けてほしい。
私の人生にも、苦しいことがありました。
覚悟を揺るがせるような試練が、次々と襲い掛かったのです。
長男の俊介は自閉症という障害をもって生まれました。自閉症とは先天的なもので、育て方で治るものではありません。私たち夫婦は、ほとんど毎日のように、彼をサポートするために走り回らなければなりませんでした。
最初に入った幼稚園の先生は自閉症に対する理解のない先生でした。そのため、「この子は少し変わったところがあるから、それなりに面倒をみてほしい」と何度お願いしても、「特別扱いはできない」と拒絶され、結局、退園せざるを得ませんでした。
中学校では、厳しいいじめにもあいました。学校側がきちんと対応しないために、私が同じクラスの生徒を自宅に呼んで、「弱い人をいじめるのではなく、励ましたり助けたりすることが大事なんだよ」と語りかけたこともありました。それでも、いじめはなかなか収まらなかったようです。
さらに、試練は訪れました。
妻の浩子が肝臓病を患い入退院を繰り返すようになったのです。しかも、俊介にまつわる心労に加え、自分の病氣のために家族に負担をかけていることを氣に病んだことから、うつ病を併発するに至りました。
この間、会社ではまるで私の力を試すかのように、さまざまな部署への転勤が繰り返され、東京と大阪を6度も異動せざるを得ませんでした。
妻のうつ病がひどかった時期には、経営企画室長という重責を担っていました。経営と現場の結節点に位置する要(かなめ)の役職でしたが、何人もの役員を上司とする立場でしたから、極めて大きなストレスを私に強いるものでもありました。
ときに叫び出したいような思いを抱えながらも、私は家族と仕事を両立させるために必死の思いで耐えていました。
しかし、決定的な出来事が起こります。
3度に及ぶ妻の自殺未遂です。
3回目のときは、もしも娘がたまたま発見しなければ、妻は命を落としていたでしょう。救急治療室に運び込まれた浩子は、7時間にも及ぶ大手術を受けました。娘からの急報を受けて会社から駆けつけた私は、手術室の前のベンチで待つことしかできませんでした。このときは、さすがの私も絶望感のなかにいました。「この人は今日助かっても、明日またするかもしれない。私は仕事もあるので、彼女を24時間見張っているわけにはいかない。ああ、この人は死ぬんだ」と。
この直後の私はほとんど限界にきていました。「何のためにこんなに苦労しているのか」と思い、「これはいったい何なのだ」「私の人生はどうなっているんだ」と、ほとんど自暴自棄の氣持ちでした。
それでも、朝は訪れ、夜は来ます。私の氣持ちも、少しずつ落ち着きを取り戻していきました。そして妻が、「ごめんな、お父さん、迷惑ばっかりかけて」と心底情けなさそうに言うのを聞いて、「いちばん苦しんでいるのは彼女だろう。私ではない」と思い至ったのです。
「何のためにこんな苦労をしているのか」といった「何のため」という問題ではないのだ。要は、自分が出会った人生であり、自分が選んだ人生なのだ。それは運命として引き受けるしかない。恨んでも愚痴を言っても、事態は変わらないのだ──。
私は、そう自分に言い聞かせて、再び人生に立ち向かう氣力を取り戻したのです。
その後、数々の偶然にも助けられて、妻のうつ病は徐々に回復へ向かいました。今では、すっかり元氣になり、幸せな毎日を送ることができるようになりました。
妻からの嬉しいプレゼントもありました。テレビ取材でインタビューを受けたときに、妻は「この人からは、親よりも深い愛情をいただきました」と言ってくれたのです。この一言がどれだけ嬉しかったことか。
私はいま、つくづく思います。
あのとき、自暴自棄の一歩手前で踏みとどまることができてよかった。と。おあのとき、私は運命から逃げ出すこともできたかもしれない。そうすれば、楽になれていたかもしれない。しかし、もしそうしていたら、私はこの幸せを手にすることはできなかったのです。
いつも思い出すのは、「運命を引き受けよう」と言って微笑む母の姿です。26歳で未亡人となって、男4人兄弟を育てるために働きづめに働いた母です。しかし、母は、愚痴をいうことなく、どんなときでもニコニコ笑っていました。
母はいつも私の心の中にいました。そして、こう語りかけてくれたのです。
運命を引き受けて、その中でがんばろうね。
がんばっても結果が出ないかもしれない。
だけど、がんばらなければ何も生まれないじゃないの──。
私は、この言葉に支えられてここまで生きてくることができました。自分の人生を生き抜くことができたのです。
だから、遼君、今度は、私からこの言葉を君に贈りたい。
運命というものは、必ず幸と不幸を君にもたらします。しかも、幸と不幸がどのようなめぐり合わせで訪れるのか、誰にもわかりません。ときには、試練ばかり訪れる時期もあるかもしれない。
だけど、何があっても自分を見捨てないでほしい。「これが自分の運命なのだ」と、踏ん張って引き受ける覚悟を捨てないでほしい。もしも、その運命から逃げても、そこには新たな運命が待ち受けています。そして、再び君に試練を与えます。私たちは、逃げることはできないのです。
運命を引き受けてこそ、生きるということなのです。
(佐々木常夫[著] 『働く君に贈る25の言葉』 WAVE出版 p.172-179)
頼まれごとは試されごと。
相手の予測を上回る実績をもって応えていきたいと思います。
今日の良い言葉も佐々木常夫氏の『働く君に贈る25の言葉』よりのシェア。
この本の中で最も感動した話です。
長文になりますがおつきあいください。
いままさに、自分がおかれた環境を見透かしていたかのような
すばらしいアドバイスの数々。
さすが、働く君に贈る言葉ですね。
では皆様、今日も愛と光と忍耐で充実の一日をお過ごしください。
コメント楽しみにしております。
──────────────────────────────
運命を引き受けなさい。
それが、生きるということです。
──────────────────────────────
先日は、わざわざ家まで来てくれてありがとう。
久しぶりに会えて、とても嬉しかったですよ。仕事もがんばっているようですね。会社での出来事を話す君の顔を見ながら、ずいぶんと逞(たくま)しくなったものだと感じました。どこか、覚悟のようなものが伝わってきました。
思えば、社会人になってからいろんな経験をしてきましたね。仕事が上手くいかなくて悩んだ時期もあったし、大失敗をして落ち込んだこともあった。苦手な上司の対応に苦慮したこともあったし、不本意な異動に力を落としたこともありました。
しかし、君は、困難から逃げることなく、その一つひとつを乗り越えて、ここまでがんばってきました。きっと、そうしたことの積み重ねが、君に、何があってもそれを引き受けようとする覚悟を育ててくれたのでしょう。
人生を生き抜いていくには、その覚悟こそが大切です。
私たちは、誰しも運命を背負っています。
親や兄弟を選ぶことはできませんし、能力や容姿も天から授かるものです。どの時代を生きるかを選ぶこともできません。これはすべて、所与の条件として私たちに与えられるものです。それらを引き受けて、生きていくほかないのです。
「出会い」もそうです。
この世には、数多くの人々が生きています。そのなかで、誰と出会うのかを、私たちは必ずしもコントロールできるわけではありません。すべての出会いの背景には、無数の偶然の積み重ねがあります。何ものかに導かれるようにして、私たちは出会いを繰り返しているのです。誰と友人になり、誰と結婚するか──。これも、運命というほかありません。
仕事も同じことです。君は、無数にある会社のなかから、いま勤めている会社に出会う運命にあったのです。
そして、会社における複雑な力学が働いた結果、配属が決まり、一緒に仕事をする上司や部下、取引先などが決まります。そこに、君の意志が入り込む余地はほとんどないと言っていい。君はそれを受け入れるほかないのです。
だだ、私たちはその運命のなかで改善するための努力をすることはできます。
君に与えられた才能は変えられないかもしれません。しかし、よい習慣を身に付ければ、その才能を超えることができるのです。上司の人間性も変えることはできません。しかし、君が適切なコミュニケーションをとれば、必ずそれなりの人間関係を築くことができます。たとえ、不遇なポジションに立たされたとしても、そこで腐らずにがんばり続ければ、いつか君を評価する人が現れるのです。
運命は、ときに厳しい逆風をもたらすこともあるでしょう。しかし、それを引き受け、その中で努力をする覚悟を持ち続けてほしい。
私の人生にも、苦しいことがありました。
覚悟を揺るがせるような試練が、次々と襲い掛かったのです。
長男の俊介は自閉症という障害をもって生まれました。自閉症とは先天的なもので、育て方で治るものではありません。私たち夫婦は、ほとんど毎日のように、彼をサポートするために走り回らなければなりませんでした。
最初に入った幼稚園の先生は自閉症に対する理解のない先生でした。そのため、「この子は少し変わったところがあるから、それなりに面倒をみてほしい」と何度お願いしても、「特別扱いはできない」と拒絶され、結局、退園せざるを得ませんでした。
中学校では、厳しいいじめにもあいました。学校側がきちんと対応しないために、私が同じクラスの生徒を自宅に呼んで、「弱い人をいじめるのではなく、励ましたり助けたりすることが大事なんだよ」と語りかけたこともありました。それでも、いじめはなかなか収まらなかったようです。
さらに、試練は訪れました。
妻の浩子が肝臓病を患い入退院を繰り返すようになったのです。しかも、俊介にまつわる心労に加え、自分の病氣のために家族に負担をかけていることを氣に病んだことから、うつ病を併発するに至りました。
この間、会社ではまるで私の力を試すかのように、さまざまな部署への転勤が繰り返され、東京と大阪を6度も異動せざるを得ませんでした。
妻のうつ病がひどかった時期には、経営企画室長という重責を担っていました。経営と現場の結節点に位置する要(かなめ)の役職でしたが、何人もの役員を上司とする立場でしたから、極めて大きなストレスを私に強いるものでもありました。
ときに叫び出したいような思いを抱えながらも、私は家族と仕事を両立させるために必死の思いで耐えていました。
しかし、決定的な出来事が起こります。
3度に及ぶ妻の自殺未遂です。
3回目のときは、もしも娘がたまたま発見しなければ、妻は命を落としていたでしょう。救急治療室に運び込まれた浩子は、7時間にも及ぶ大手術を受けました。娘からの急報を受けて会社から駆けつけた私は、手術室の前のベンチで待つことしかできませんでした。このときは、さすがの私も絶望感のなかにいました。「この人は今日助かっても、明日またするかもしれない。私は仕事もあるので、彼女を24時間見張っているわけにはいかない。ああ、この人は死ぬんだ」と。
この直後の私はほとんど限界にきていました。「何のためにこんなに苦労しているのか」と思い、「これはいったい何なのだ」「私の人生はどうなっているんだ」と、ほとんど自暴自棄の氣持ちでした。
それでも、朝は訪れ、夜は来ます。私の氣持ちも、少しずつ落ち着きを取り戻していきました。そして妻が、「ごめんな、お父さん、迷惑ばっかりかけて」と心底情けなさそうに言うのを聞いて、「いちばん苦しんでいるのは彼女だろう。私ではない」と思い至ったのです。
「何のためにこんな苦労をしているのか」といった「何のため」という問題ではないのだ。要は、自分が出会った人生であり、自分が選んだ人生なのだ。それは運命として引き受けるしかない。恨んでも愚痴を言っても、事態は変わらないのだ──。
私は、そう自分に言い聞かせて、再び人生に立ち向かう氣力を取り戻したのです。
その後、数々の偶然にも助けられて、妻のうつ病は徐々に回復へ向かいました。今では、すっかり元氣になり、幸せな毎日を送ることができるようになりました。
妻からの嬉しいプレゼントもありました。テレビ取材でインタビューを受けたときに、妻は「この人からは、親よりも深い愛情をいただきました」と言ってくれたのです。この一言がどれだけ嬉しかったことか。
私はいま、つくづく思います。
あのとき、自暴自棄の一歩手前で踏みとどまることができてよかった。と。おあのとき、私は運命から逃げ出すこともできたかもしれない。そうすれば、楽になれていたかもしれない。しかし、もしそうしていたら、私はこの幸せを手にすることはできなかったのです。
いつも思い出すのは、「運命を引き受けよう」と言って微笑む母の姿です。26歳で未亡人となって、男4人兄弟を育てるために働きづめに働いた母です。しかし、母は、愚痴をいうことなく、どんなときでもニコニコ笑っていました。
母はいつも私の心の中にいました。そして、こう語りかけてくれたのです。
運命を引き受けて、その中でがんばろうね。
がんばっても結果が出ないかもしれない。
だけど、がんばらなければ何も生まれないじゃないの──。
私は、この言葉に支えられてここまで生きてくることができました。自分の人生を生き抜くことができたのです。
だから、遼君、今度は、私からこの言葉を君に贈りたい。
運命というものは、必ず幸と不幸を君にもたらします。しかも、幸と不幸がどのようなめぐり合わせで訪れるのか、誰にもわかりません。ときには、試練ばかり訪れる時期もあるかもしれない。
だけど、何があっても自分を見捨てないでほしい。「これが自分の運命なのだ」と、踏ん張って引き受ける覚悟を捨てないでほしい。もしも、その運命から逃げても、そこには新たな運命が待ち受けています。そして、再び君に試練を与えます。私たちは、逃げることはできないのです。
運命を引き受けてこそ、生きるということなのです。
(佐々木常夫[著] 『働く君に贈る25の言葉』 WAVE出版 p.172-179)
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