帰農の拠点としての新しき村 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

帰農の拠点としての新しき村

すでに様々な帰農の試みがある中で、新しき村がその後追いをしても余り意味はないでしょう。別に殊更奇を衒うわけではありませんが、同じ帰農を目指すにしても、新しき村には独自の使命があると思います。それは一体何でしょうか。


先ず、新しき村が推進すべき帰農とは、単なる農業への転職ではありません。例えば、単品目大量生産の工業的農業では、たといそれで豊かな生活を実現できたとしても、帰農に値しないと思います。すなわち私の思い描く帰農は、昌益の言うような直耕によって誰もが人間らしい生活ができるようになることなのです。「ビジネスとしての農業」に対する「生き方としての農業」と言ってもいいでしょう。勿論、実際にはビジネスを無視することはできず、現実は「生き方としての農業」で食っていけるほど甘くはありません。しかし、今は空想的だと嗤われても、「生き方としての農業」で生活できる社会を築くこと、言い換えれば一つの価値観に統一される競争社会から多様な価値観が咲き誇る共生社会への移行を実現することこそ、真の帰農だと私は思っています。それは言わば反グローバリゼイションの「マンダラ共働態」の創造に他なりません。